第九十九話「海の終わり」
広場の外れ。
石造りの建物の陰。
ガイアスとイリスは、
そこから様子を見ていた。
「……あれ」
イリスが、かすれた声で呟く。
視線の先。
広場の中央。
そこに掲げられていたのは――
帝国の旗。
黒く、重く、
風に揺れている。
「……来たか」
ガイアスが低く言う。
その瞬間。
足音が響く。
規則正しく。
揃った音。
帝国兵。
装備を整え、
無言で広場へと進入してくる。
民衆が、ざわめく。
「な、なんだ……?」
「帝国……?」
誰も理解できていない。
なぜ、ここにいるのか。
なぜ、堂々と入ってくるのか。
だが。
帝国兵たちは止まらない。
広場の中央を占拠する。
まるで、
最初からそこにいたかのように。
そして。
一人の将校が前に出る。
整った制服。
冷たい目。
静かに、口を開く。
「諸君」
声はよく通った。
「混乱しているだろう」
民衆が静まる。
否応なく、
聞かされる。
「だが、安心してほしい」
「帝国は、敵ではない」
一拍。
「統治者だ」
ざわめきが広がる。
「何を言ってるんだ……!」
「ふざけるな!」
声が上がる。
当然だった。
だが。
将校は、一切動じない。
「この島は、今後帝国の管理下に入る」
淡々と告げる。
「混乱を収めるための措置だ」
言葉は整っている。
だが。
納得する者はいない。
「認めるかよ!!」
誰かが叫ぶ。
「なんで従う必要がある!」
怒りが広がる。
その中で。
将校は、わずかに口元を緩める。
「……当然だ」
そして。
「ならば、紹介しよう」
静かに言う。
その瞬間。
空気が変わる。
帝国兵たちが、
一斉に道を開ける。
中央。
そこに、
一人の男が現れる。
重い足音。
一歩。
一歩。
地面を踏みしめる。
姿が見える。
異形。
右腕はない。
代わりに、
機械が体を覆っている。
呼吸音が、かすかに響く。
ガスマスクの奥。
目だけが、生きている。
「……っ」
イリスの呼吸が止まる。
広場が、ざわめく。
「……誰だ……」
「まさか……」
そして。
誰かが、呟く。
「……ヴァルター……?」
その名が、広がる。
波のように。
広場全体に。
ざわめきが、
恐怖に変わる。
ヴァルターは、
ゆっくりと前に出る。
そして。
口を開く。
「……従え」
それだけだった。
だが。
その一言は、
全てを押し潰した。
「帝国に従え」
低く。
重く。
逃げ場のない声。
沈黙。
だが。
「ふざけるな!!」
再び声が上がる。
「なんで従う必要がある!」
「ここは俺たちの国だ!」
当然だった。
だが。
ヴァルターは、
一切動かない。
そして。
わずかに手を動かす。
合図だった。
帝国兵が動く。
重いものを運んでくる。
五つ。
柱。
広場の中央に、打ち込まれる。
そして。
さらに運ばれる。
“何か”が。
布に包まれた、
長いもの。
民衆がざわめく。
「……何だ……?」
布が、外される。
その瞬間。
時間が止まる。
吊るされる。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
五つの柱に。
五つの遺体。
風に揺れる。
顔が見える。
誰もが知っている顔。
「……あ……」
誰かが声を漏らす。
「……元首……?」
ざわめきが、
一瞬で恐怖へと変わる。
「……そんな……」
「嘘だろ……」
現実が、
理解されていく。
そして。
崩壊する。
海洋諸国連合の、
象徴そのものが。
目の前で。
吊るされている。
ヴァルターが、言う。
「従わなければ」
一拍。
「こうなる」
それだけだった。
だが。
十分だった。
誰もが理解する。
逆らえば、終わりだと。
この瞬間。
海洋諸国連合は、
完全に終わった。
「――いやああああああああ!!」
絶叫が響く。
イリスだった。
涙が溢れる。
止まらない。
「……なんで……」
「なんでよ……!!」
声が、壊れる。
ガイアスが、
静かに支える。
何も言わない。
ただ、
倒れないように。
イリスは、
泣き崩れる。
見たくない。
だが、
目が逸らせない。
現実だった。
完全な終わり。
ガイアスは、
その光景を見ていた。
静かに。
何も言わずに。
ただ。
その男を見ていた。
ヴァルター。
かつて戦った男。
そして今。
完全に“別の存在”になった男。
その目が、
わずかにこちらを向いた気がした。
錯覚かもしれない。
だが。
ガイアスは、動かない。
ただ。
静かに、
その場に立っていた。




