第九十八話「残された痕跡」
崩れた石造りの建物。
かつて。
連合の中枢だった場所。
今は、
静まり返っている。
「……ここか」
ガイアスが呟く。
イリスは、無言で頷く。
「……元首たちがいた場所よ」
その声は、
以前よりも落ち着いていた。
だが。
完全ではない。
二人は、ゆっくりと中へ入る。
扉は開いたまま。
軋む音だけが響く。
中は――
“そのまま”だった。
机。
椅子。
書類。
すべてが、
何もなかったかのように残っている。
だが。
「……誰もいない」
ガイアスが言う。
当然のことを。
だが。
それが異常だった。
イリスは、
机の一つに触れる。
指先が震える。
「……ここに、いたのよ」
小さく呟く。
「つい数日前まで…」
静かに。
「普通に、会話して」
「普通に、指示を出して」
一拍。
「……普通に、生きてた」
その言葉は、
現実を突きつけるものだった。
ガイアスは、黙って見ている。
床に視線を落とす。
わずかに残る、擦れた跡。
だが。
争った形跡ではない。
「……綺麗すぎるな」
低く言う。
「戦った跡がねえ」
イリスは頷く。
「だから、怖いのよ」
静かに。
「何もできなかったってことだから」
沈黙。
風が、窓から入り込む。
書類が、かすかに揺れる。
その音に、
イリスの肩が跳ねる。
だが。
すぐに、息を整える。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように。
ガイアスは、それを見て。
「少しは慣れてきたか」
軽く言う。
「……慣れたくなんてないわよ」
即座に返す。
だが。
その声は、
最初よりも確かに強かった。
二人は、さらに奥へ進む。
中央の部屋。
最も重要な場所。
そこにも、
何も残っていない。
ただ。
椅子が、五つ。
円形に並んでいた。
「……元首の席」
イリスが呟く。
その中央に立つ。
何もない空間。
だが。
確かに、そこに“いた”。
その気配だけが、
残っている。
「……終わってるな」
ガイアスが言う。
静かに。
だが、
現実を受け入れた言葉だった。
イリスは、目を閉じる。
深く息を吸う。
そして。
ゆっくりと吐く。
「……行きましょう」
振り返る。
もう、
立ち止まらない。
外へ出る。
光が差し込む。
海が見える。
「この島は、もう終わり」
そう言い切る。
「次に行く場所は?」
ガイアスが聞く。
イリスは少しだけ考える。
「……連合の中心にある大島」
「比較的、安全なはず」
一拍。
「まだ、“完全には壊れてない”場所」
ガイアスは頷く。
「なら、そこだな」
二人は、
再び歩き出す。
――数日後。
大島。
連合の中でも、
最も大きな島。
ここは――
まだ、“日常”が残っていた。
市場があり、
人が行き交い、
子供が笑っている。
「……嘘みたいね」
イリスが呟く。
この数日で見てきたものとは、
あまりにも違いすぎる。
「まあ、全部が同時に終わるわけじゃねえだろ」
ガイアスが言う。
軽く。
だが、
その言葉には現実があった。
二人は、
小さな宿を借りる。
久しぶりの、
まともな寝床。
温かい食事。
静かな時間。
「……生きてるって感じね」
イリスがぽつりと言う。
ガイアスは、何も言わずに笑う。
その数日。
二人は、
何も起きない時間を過ごした。
ただ、
食べて、休んで、話して。
少しずつ。
イリスの表情が戻っていく。
だが。
その平穏は、
長くは続かなかった。
ある日。
昼。
市場の中央。
ざわめきが広がる。
「……何?」
イリスが顔を上げる。
人が集まっている。
ざわざわと、
不安な声が広がる。
二人も近づく。
そして。
それを見た瞬間。
空気が、凍る。
中央に掲げられていたのは――
“帝国の旗”。
風に揺れていた。
静かに。
だが。
確実に。




