第九十五話「静かなる崩壊」
暗い。
どれだけ時間が経ったのか、
分からない。
窓は閉めたまま。
光も遮っている。
外を見るのが、怖かった。
「……っ」
イリスは、息を止める。
今、何か聞こえた。
いや。
気のせいだ。
そう思おうとする。
だが。
耳が、勝手に音を拾う。
風。
木の揺れる音。
遠くで、何かが落ちた音。
「……やめて」
小さく呟く。
誰もいない部屋で。
手が震えている。
止まらない。
何かに触れれば、
それが“来た”合図のように思えてしまう。
「……違う」
自分に言い聞かせる。
「これは、ただの現象」
「敵は人間」
「組織的な攻撃」
理屈を並べる。
冷静に。
いつものように。
だが。
すぐに崩れる。
「……じゃあ、なんで」
声がかすれる。
「音がないのよ」
あの夜。
誰一人として、
抵抗できなかった。
戦闘の痕跡もない。
血もない。
ただ、“消えた”。
「……ありえない」
否定する。
だが。
その言葉に、力はなかった。
沈黙。
喉が渇く。
水を飲む。
残りは、少ない。
「……このままじゃ」
分かっている。
ここにいても、
助からない。
だが。
出るのが、怖い。
外には――
「……いるかもしれない」
あの“何か”が。
膝を抱える。
震えが止まらない。
時間が過ぎる。
どれくらいかは、分からない。
だが。
ふと。
違和感に気づく。
「……?」
耳を澄ます。
音が、ある。
人の声。
遠くから。
「……え?」
ゆっくりと立ち上がる。
窓に近づく。
少しだけ、
隙間を開ける。
外を見る。
――人がいた。
普通に、歩いている。
荷物を運び、
会話をし、
笑っている。
「……何、これ」
理解できない。
あの夜。
すべてが終わったはずだった。
だが。
日常は、残っている。
まるで何も起きていないかのように。
「……違う」
すぐに気づく。
残っているのは――
“末端”だけだ。
指示を出す者。
判断する者。
中枢。
それらが、
綺麗に消えている。
「……狙われてる」
誰が、ではない。
“どこが”か。
背筋が冷える。
「……ここも」
いつか。
そう思った瞬間。
決断した。
「……出る」
震える足で、
扉に向かう。
鍵を外す。
手が、うまく動かない。
「……落ち着いて」
深呼吸。
ゆっくりと、
扉を開ける。
外。
光が、まぶしい。
数日ぶりだった。
一歩。
外に出る。
誰も気にしていない。
普通の生活。
だが。
それが、逆に怖い。
「……ここにいたら」
小さく呟く。
「確実に、終わる」
歩き出す。
目的はない。
ただ、
ここから離れるために。
港へ向かう。
そして。
ふと、足を止める。
海。
その先。
小さな影が見えた。
「……船?」
目を細める。
小舟。
誰かが乗っている。
「……人?」
その瞬間。
胸の奥で、
何かが動いた。
恐怖ではない。
わずかな。
“希望”。
だが同時に。
「……罠?」
疑念も浮かぶ。
立ち尽くす。
逃げるべきか。
近づくべきか。
判断できない。
ただ。
その船は、
ゆっくりと島へ近づいていた。
そして。
その上には、
何も知らない男が一人。
笑いながら、
海を進んでいた。
静かな崩壊の中で。
二つの存在が、
交わろうとしていた。




