第九十四話「空なき海の旅」
海。
どこまでも続く、青。
空は静かで、
何も飛んでいない。
だが。
ガイアスは、笑っていた。
「いいな……これ」
小さな船の上。
オールを握り、
ゆっくりと漕ぐ。
波が、船を揺らす。
それだけで楽しかった。
「空は飛べなくなったが……」
ふっと息を吐く。
「海は、まだ自由だな」
その言葉に、
誰も答えない。
当然だ。
一人だからだ。
だが。
それでも、満足だった。
風が頬を撫でる。
潮の匂い。
静かな音。
戦場とは、まるで違う。
「……こういうのも、悪くない」
手を止める。
釣り糸を垂らす。
しばらく待つ。
何も起きない。
「……ん?」
小さく動く。
引く。
魚がかかる。
「おっ、来たな」
引き上げる。
跳ねる魚。
「はは、いいじゃねえか」
素直に笑う。
そのまま船の上で処理する。
手慣れている。
「……案外、いけるな」
焼く。
簡単な火を起こし、
その場で食べる。
一口。
「……うまいな」
誰に言うでもなく。
ただ、そう呟く。
その時。
「おーい!」
声が飛んできた。
顔を上げる。
別の船。
漁師だった。
「そんな小舟でどこ行く気だ!」
笑いながら叫ぶ。
ガイアスも手を振る。
「ちょっと南の方にな!」
「南ぃ!? 無茶すんな!」
漁師は近づいてくる。
「乗れ! 少し話してやる!」
「助かる!」
すぐに応じる。
船を寄せ、
軽く飛び移る。
「いい動きだな、兄ちゃん」
「まあな」
笑って答える。
すぐに打ち解ける。
それが、ガイアスだった。
「どこまで行くんだ?」
「中央の島だ」
一瞬。
漁師の手が止まる。
「……中央、か」
少しだけ、表情が変わる。
「何かあるのか?」
「……いや」
少し考える。
だが。
「最近、妙なんだ」
正直に言う。
「政府の船が動いてねえんだよ」
「いつもは逆に邪魔なくらい動いとるのによ」
一拍。
「静かすぎる」
ガイアスは黙って聞く。
「嵐が起きてる訳でも」
「海獣出た訳でもねえ」
「なんか…妙なんだよなあ… 政府の役人さんもいないし…」
沈黙。
だが。
ガイアスは、笑った。
「なら、行くしかねえな」
「は?」
「何があるか、見てみねえと分からんだろ」
あっさりと言う。
漁師は、少し呆れる。
「……お前、怖くねえのか 何もないかもしれねえけどよ」
「怖いさ」
即答。
「だが」
空を見る。
何もない空。
「それでも行きてえ場所があるなら」
「行くだけだ」
その言葉に、
漁師は少しだけ笑う。
「……馬鹿だな」
「よく言われる」
ガイアスも笑う。
「いいか」
漁師が指をさす。
「このまま南西に行け」
「途中で岩礁がある」
「そこを抜けた先だ」
「中央島が見える」
ガイアスは頷く。
「助かった」
「気をつけろよ」
「死ぬなよ、兄ちゃん」
「簡単には死なねえよ」
軽く言う。
そして。
再び、自分の船へ戻る。
オールを握る。
海を見る。
「……中央島、か」
静かに呟く。
その先に、
何があるかは分からない。
だが。
「面白くなってきたな」
笑う。
恐怖ではない。
好奇心。
それが、ガイアスだった。
船は進む。
静かな海を、
まっすぐに。
その先で。
“恐怖に震える者”が、
待っていることも知らずに。




