第九十二話「音のない粛清」
夜。
海洋諸国連合――東の島。
かつて元首の一人が拠点としていた場所。
今は、その側近たちが統治を担っている。
「……落ち着いてきたな」
男が言った。
この島の中枢を任されている側近の一人。
窓の外。
崩れた港。
減った人影。
だが、それでも。
「最悪の状況は、過ぎた」
そう言い聞かせるように呟く。
「艦隊は失った」
「元帥も全員、消えた」
一拍。
「だが、我々は残っている」
それが、希望だった。
「帝国も、王国も、教国も」
「同じように壊れた」
「ならば――」
拳を軽く握る。
「ここからが勝負だ」
その時。
部下が口を開く。
「……帝国については」
「どう見ますか」
男は、鼻で笑った。
「決まっている」
「もう終わりだ」
「ヴァルターも死んだ」
一切の迷いなく言う。
「あの飛行艇の墜落」
「生きているはずがない」
断言だった。
「だからこそ」
机に手を置く。
「我々は動いた」
「帝国に牙を剥いた」
「今さら、恐れる理由はない」
その言葉に、
数人の部下が頷く。
不安を押し殺すように。
「……そうですね」
だが。
その空気のどこかに、
わずかな“引っかかり”があった。
誰も口にしない。
だが。
(……本当に、死んだのか?)
その疑問を。
押し込めるように、
男は息を吐いた。
「……妙だな」
その直後だった。
見張りの男が呟く。
灯台の上。
本来なら、
沖合に点在する灯りが見えるはずだった。
だが今は、
何もない。
「……こんなに暗かったか?」
目を細める。
見えない。
その時。
背後で、何かが動いた。
「……誰だ」
振り返る。
誰もいない。
ただ、
風が吹いただけ。
「……気のせいか」
そう呟いた瞬間。
喉に、何かが触れた。
冷たい。
一瞬。
何が起きたか分からなかった。
次の瞬間。
声が出なかった。
男の体が、
ゆっくりと崩れる。
音は、なかった。
血も、ほとんど流れない。
ただ。
“消えた”。
その場に立っていたのは、
黒い影だった。
顔は見えない。
息も聞こえない。
ただ、
存在しているだけ。
影は、
何も言わず、
次へと動く。
――島の内部。
石造りの建物。
「……最近、変だな」
先ほどの男が言う。
中枢の部屋。
「元帥もいない」
「艦隊もない」
一息つく。
「……だが、まだやれる」
そう言いかけた時。
扉が、開いていた。
「……閉め忘れか?」
立ち上がる。
廊下を見る。
誰もいない。
灯りが、一つ消えている。
「……おい、誰か――」
呼ぼうとした瞬間。
視界が揺れた。
一瞬。
何も見えない。
次の瞬間。
視界が低くなる。
床が近い。
理解が追いつかない。
何が起きた?
声が出ない。
音もない。
ただ。
世界が、途切れた。
背後に、
影が立っていた。
無言。
感情もない。
ただ、
任務を終えただけ。
影は、
懐から小さな装置を取り出す。
「……第一目標、排除完了」
低く、短く。
それだけだった。
返答はない。
必要ない。
すでに次は決まっている。
“次へ”。
影は、消える。
音もなく。
気配も残さず。
――数時間後。
朝。
島に、光が差す。
人々は目を覚ます。
いつも通り。
だが。
「……おかしい」
誰かが呟く。
中枢の建物。
誰も、出てこない。
扉は開いたまま。
中に入る。
机。
椅子。
何も変わらない。
だが。
“誰もいない”。
「……どういうことだ」
混乱が広がる。
争った跡もない。
壊れた形跡もない。
ただ。
人だけが、
消えている。
同時刻。
別の島でも。
さらに、別の島でも。
同じことが起きていた。
連合はまだ知らない。
これは、偶然ではない。
事故でもない。
“始まり”だということを。
そして。
その原因が。
“死んだはずの男”であることを。
海は静かだった。
だがその裏で。
確実に、
連合は削られていく。
誰にも気づかれずに。
確実に。
終わりへ向かっていた。




