第九十一話「残された海」
海洋諸国連合――南方の島。
かつて、交易の要所だった港は、
半壊していた。
焼けた木材。
崩れた石壁。
海に面した街は、
かろうじて形を保っているだけだった。
理由は、一つ。
“光”。
あの日。
空から降りた、無数の球体。
それは、空だけではなく。
海にも降りた。
艦隊は、
逃げる間もなく消えた。
船も、人も、砲も。
何も残さず。
ただ、消えた。
「……まるで、夢でも見ていたようだな」
男が呟く。
元首、グラディウス。
だがその声に、
かつての力強さはなかった。
「夢なら、どれだけ良かったかしら」
女の声。
セレナ・ヴァルキア。
彼女は崩れた港を見下ろしていた。
「現実よ」
「私たちは、確かに“負けた”」
静かに言う。
「負けてなどいない」
別の男、マルケスが言い返す。
「空の国の方が、壊滅的だ」
「我々は、まだ残っている」
その言葉に、
誰も即座には反論しなかった。
それもまた、事実だった。
王国。
帝国。
教国。
いずれも、空を失い、
大打撃を受けている。
それに比べれば――
「……マシ、ね」
リュシエルが笑う。
だが。
その笑みは、明らかに引きつっていた。
「“マシなだけ”よ」
低く言う。
「艦隊は壊滅」
「元帥たちは全員消滅」
一拍。
「指揮系統も、ほぼ崩壊してる」
沈黙。
その事実は、
誰もが理解していた。
連合を束ねていた“五人の元帥”。
彼らは、
あの光と共に消えた。
指示も、命令も。
もう、ない。
残されたのは――
“判断するしかない元首たち”だけだった。
「……それでも」
中央に座る老人、バルディアが口を開く。
「我々は、残った」
「それが全てだ」
静かに。
「空の支配は終わった」
「ならば、次は海だ」
だが。
「……本当に?」
セレナが言う。
その一言で、
空気が変わる。
「何が言いたい」
「終わっていないのよ」
静かに言う。
「“あれ”がいる限り」
全員が理解した。
その言葉の意味を。
誰も、名前を口にしない。
だが。
沈黙が、それを語っていた。
「……死んだはずだ」
グラディウスが言う。
「飛行艇は墜ちた」
「奴も、巻き込まれた」
「そう思っていたわね」
リュシエルが続ける。
「だからこそ、帝国を叩いた」
一拍。
「“いない前提で”」
沈黙。
それが全てだった。
もし。
あの男が生きていたなら。
この行動は――
“宣戦布告”に等しい。
「……確認は」
マルケスが問う。
誰も答えない。
情報がない。
だが。
“いない”と断言できる者もいない。
「……嫌な感じね」
セレナが呟く。
「まるで」
一拍。
「もう、こちらを見ているみたい」
その言葉に、
誰も笑わなかった。
その時。
兵が一人、駆け込んでくる。
「報告です!」
全員の視線が向く。
「東の島――通信が途絶しました!」
一瞬。
空気が凍る。
「……何だと?」
「つい先ほどまで正常でしたが……!」
「原因は!」
「不明です!」
沈黙。
次の瞬間。
別の兵が叫ぶ。
「西の拠点も、同時に連絡断!」
ざわめきが広がる。
「同時……!?」
「まさか……」
リュシエルの笑みが完全に消える。
セレナが、ゆっくりと立ち上がる。
「……来たわね」
静かに言う。
「誰がだ」
誰もが分かっている。
だが、それでも問う。
その名を、
口にするのが怖かった。
セレナは答えない。
代わりに。
海の向こうを見る。
何もない。
静かな海。
だが。
「……見えないだけよ」
小さく呟く。
「“あの男”は、姿を見せない」
一拍。
「気づいた時には、終わってる」
沈黙。
誰も、否定できない。
そして。
その恐怖は、
確信へと変わり始めていた。
ヴァルターは、生きている。
そして今、
“海”に来ている。
彼らはようやく理解した。
自分たちが、
何に手を出したのかを。
だが、もう遅い。
海は静かだ。
だがその下で。
確実に、
刃が近づいていた。




