第八十九話「静かな地、動く意志」
アルカ・ドラグナ。
朝。
風は穏やかで、
空は静かだった。
誰も、空を見上げない。
見ても、もう飛べないからだ。
それでも。
人々は生きていた。
水を汲む者。
畑を耕す者。
子供と笑う者。
そこには、戦場はない。
ただ、“日常”があった。
「……悪くないな」
ガイアスが呟く。
木陰に腰を下ろし、
その光景を見ている。
「最初はどうなるかと思いましたが」
隣の男が言う。
「案外、落ち着いています」
「争いがないからな」
短く答える。
「皆、疲れてる」
それが全てだった。
戦いに。
失うことに。
選ばされることに。
だから、ここでは争わない。
誰もが、それを暗黙で理解していた。
「……ガイアス」
背後から声がする。
振り返る。
グラウスだった。
「来ていたのか」
「少し、話があってな」
ガイアスは立ち上がる。
二人は少し離れた場所へ移動する。
「……この場所は、どうだ」
グラウスが問う。
「悪くない」
即答。
「争いもない」
「強制もない」
一拍。
「……生きやすい」
グラウスは頷く。
「そうだ」
「だからこそ」
視線を向ける。
「お前は、落ち着かんだろう」
ガイアスは答えない。
だが。
否定もしない。
「……分かるか」
「分かるさ」
グラウスは笑う。
「お前は“そっち側”だ」
「ここに残る人間じゃない」
ガイアスは空を見る。
何もない空。
だが。
そこに、確かにあったもの。
「……まだ終わってない」
小さく呟く。
「何がだ」
「空だ」
迷いなく言う。
「神に奪われたまま終わるつもりはない」
「戦争がない世界には賛成だけどな」
その言葉に、
グラウスは少しだけ目を細める。
「……危険な道だな」
「分かってる」
「それでも行くのか」
一拍。
「行く」
即答だった。
その目には、
迷いが一切ない。
「……そうか」
グラウスはそれ以上言わない。
止めることもしない。
「なら、行く前に一つ」
静かに言う。
「情報だ」
ガイアスが視線を向ける。
「海洋諸国連合」
その名前に、
わずかに空気が変わる。
「その中に一つ」
「“竜の記録”を持つ国がある」
ガイアスの目が鋭くなる。
「……確かか」
「古い話だがな」
「だが」
「連中は海の底や島の遺跡を漁っている」
「その中に」
「ドラゴンに関する記録があると聞いた」
沈黙。
風が吹く。
「……場所は」
「南西の群島」
「連合の中でも独立色の強い国だ」
ガイアスはゆっくりと頷く。
「……行く」
それだけだった。
「だろうな」
グラウスが苦笑する。
「止めても無駄か」
「止められると思うか?」
「思わん」
二人とも、少しだけ笑う。
短い沈黙。
「戻ってくる気はあるか」
その問いに、
ガイアスは少しだけ考える。
そして。
「……分からない」
正直に答える。
「だが」
「ここは残しておけ」
「いい場所だ」
それが答えだった。
グラウスは頷く。
「任せておけ」
それで十分だった。
ガイアスは歩き出す。
止まらない。
もう、決まっている。
(……ドラゴン)
(お前は、何を知ってる)
空を見る。
何もない。
だが。
(俺は、行く)
その先へ。
アルカ・ドラグナは、静かに続く。
戦いのない場所として。
だが、その中から。
一人の男が、
再び“空”へ向かって動き出した。




