第八十八話「空なき者達の旗」
大地の奥。
森を越え、山を越えた先。
そこに、ひとつの“国”があった。
今はまだ、自治領。他国から承認もされてはいないが。
アルカ・ドラグナ。
まだ地図には載らない。
だが確かに存在する場所。
王国でもない。
帝国でもない。
教国でもない。
“どこにも属さない者たち”の集まり。
難民。
兵士。
逃亡者。
そして――
信じるものを失った者たち。
彼らは、ひとつの象徴を掲げていた。
竜。
神ではない。
支配者でもない。
ただ、空を自由に飛ぶ存在。
その象徴に、
彼らはすがるように集まっていた。
「……また増えたな」
高台から見下ろしながら、男が言う。
ガイアス。
フードを被り、
かつての姿とは違う。
だが、その目は変わらない。
「昨日だけで三十人ほどです」
隣の男が報告する。
「王国から二十、帝国から十」
「教国は?」
「……ほとんど来ていません」
ガイアスは小さく息を吐く。
「だろうな」
教国は、まだ神を信じている。
「ここに来るのは」
「“どこにも居場所がなくなった奴ら”だけだ」
視線の先。
子供が走っている。
笑っている。
(……それでも、笑えるか)
その時。
「……あんたか」
背後から声がする。
振り返る。
数人の男。
粗末な装備。
だが、戦場を知っている目。
「ここをまとめてるのはお前か?」
ガイアスは少しだけ目を細める。
「違うなら」
男が続ける。
「上の奴を呼べ」
少しの沈黙。
そして。
「……いいだろ」
ガイアスは振り返る。
「来い」
男たちは顔を見合わせながらついてくる。
集落の中心。
粗末だが、他より少しだけ大きな建物。
中に入る。
そこには、一人の老人がいた。
白髪。
だが背筋は伸びている。
目は鋭い。
「……また増えたか」
静かな声。
「増えてる」
ガイアスが答える。
「で」
一歩横にずれる。
「こいつらだ」
男たちが前に出る。
「……あんたが上か」
老人は答えない。
代わりに、ガイアスが口を開く。
「ここの“代表”だ」
「名前は、グラウス」
老人――グラウスはゆっくりと視線を向ける。
「国じゃない」
静かに言う。
「ただの寄せ集めだ」
「ルールもない」
「命令もない」
「だが」
一拍。
「ここにいる者は、自分でここに来た」
男たちは黙る。
ガイアスが続ける。
「王国でもない」
「帝国でもない」
「教国でもない」
「どこにも従わない場所だ」
一歩、前に出る。
「その代わり」
「守るのも、自分だ」
空気が張る。
「……戦いは?」
男が問う。
「禁止だ」
ガイアスが即答する。
「ここで戦闘はしない」
「じゃあ、攻められたらどうする」
一瞬。
ガイアスの目が変わる。
「その時は戦う」
「だが」
「自分たちから壊すことはしない」
静かに。
「それをやるなら」
一歩、近づく。
「俺が戦う」
男たちは、わずかに笑う。
「……いいな」
「筋は通ってる」
「俺たちは残る」
グラウスが小さく頷く。
「好きにしろ」
それが許可だった。
男たちは去る。
ガイアスは外に出る。
空を見る。
何もない空。
(……いつか)
(あそこに戻る)
神でもない。
国でもない。
“誰にも縛られない空”へ。
そのために。
ここにいる。
アルカ・ドラグナはまだ小さい。
だが――
確実に形を持ち始めていた。
思想として。
そして。
“選んだ者たちの場所”として。




