第八十三話「残されたもの、その先へ」
王都の外れ。
小さな住宅が並ぶ一角に、ユークスの家はあった。
豪華ではない。
だが、丁寧に整えられている。
窓辺には花。
庭には簡素な柵。
誰かが、ここで“生きている”と分かる場所だった。
「おーい、開いてるぞー」
中からユークスの声がする。
クロノスは軽くノックし、扉を開けた。
「入るぞ」
「おう、いらっしゃい」
ユークスが笑う。
その表情は、戦場にいた頃とは違っていた。
柔らかい。
肩の力が抜けている。
奥から、ウェナスが顔を出す。
「レグナ様も、ようこそ」
「邪魔してるわ」
レグナは軽く会釈する。
室内は温かかった。
火の匂い。
食事の匂い。
人の生活の匂い。
それが、どこか懐かしい。
「ちょうど飯作ってたとこだ」
「すぐ用意するね」
ウェナスが台所へ戻る。
ユークスは椅子を引く。
「座れ座れ」
「悪いな」
クロノスが腰を下ろす。
レグナもその隣に座る。
「なんだ、その顔」
ユークスがニヤッとする。
「どんな顔だよ」
「なんつーか……気抜けてる顔?」
「……そうか?」
「そうそう。戦場じゃ絶対しない顔だ」
クロノスは少しだけ視線を逸らす。
「まあ……そういう場所じゃなかったしな」
「だろ?」
ユークスは満足そうに笑う。
「でも、こういうのも悪くないだろ」
クロノスは少しだけ間を置く。
「……ああ」
短く答える。
「お待たせしました」
ウェナスが料理を運んでくる。
湯気が立つ。
素朴な料理。
だが、温かい。
「大したものじゃないけど」
「十分だよ」
クロノスが自然に返す。
レグナも頷く。
「ええ、とても良いわ」
食事が始まる。
会話は自然と続く。
復興の話。
街の様子。
これからのこと。
戦争の話は出ない。
出す必要がない。
ふと。
クロノスは、ユークスとウェナスを見る。
二人は自然に笑い合っている。
言葉がなくても通じている。
視線だけで。
仕草だけで。
それが、当たり前のように。
(……こういうのか)
心の中で呟く。
守ったもの。
戦った意味。
それが、ここにある。
レグナもまた、その光景を見ていた。
そして、クロノスを見る。
視線が合う。
一瞬。
すぐに逸らす。
だが、それで十分だった。
食事が終わる。
「また来いよ」
ユークスが言う。
「今度はもうちょい豪華にするからよ」
「いや、十分だよ」
クロノスが答える。
「また来る」
それは素直な言葉だった。
「またいらしてくださいね」
ウェナスが微笑む。
家を出る。
風が吹く。
静かな空。
「……良い時間でしたね」
クロノスが言う。
レグナは少しだけ横を見る。
「敬語に戻るのね」
「……癖です」
少しだけ困ったように言う。
レグナは小さく笑う。
「でも」
レグナが続ける。
「ああいうの、どう思った?」
クロノスは少し考える。
そして答える。
「……悪くないと思います」
一拍。
ほんの少しだけ柔らかい声で続ける。
「……ああいうの、守れたなら」
レグナは何も言わない。
ただ、頷く。
しばらく歩く。
やがて、足を止める。
王都の外れ。
簡素な墓標。
ヴェントラ。
亡骸はない。
残ったのは、手綱の切れ端だけ。
それが、静かに納められている。
クロノスは前に出る。
膝をつく。
土に触れる。
「……遅くなった」
短く言う。
誰に向けたものかは、明白だった。
「……守れなかった」
拳を握る。
声は変わらない。
だが、わずかに重い。
「最後まで」
風が吹く。
静かな空気。
「……それでも」
ゆっくりと立ち上がる。
「……進むよ」
短い言葉。
だが、それが全てだった。
レグナが静かに言う。
「……あの子も、それを望んでるわ」
クロノスは空を見る。
何もない。
だが、確かにあったもの。
「……行きましょう」
今度は敬語。
だが、柔らかい。
レグナは頷く。
二人は並んで歩き出す。
距離は近い。
触れはしない。
けれど――
確実に、前よりも近かった。




