第七十五話「鉄の誓い」
重苦しい空気だった。
帝都、中央軍議広場。
かつては、勝利を語る場。
だが今は——
敗北を処理する場になっていた。
円形に並ぶ席。
皇帝。
軍上層部。
貴族たち。
誰もが、言葉を選んでいる。
だが。
議題は、明確だった。
「……責任の所在を、明確にする必要がある」
老将が口を開く。
重く。
逃げ場のない言葉。
「ヴァルター・アイゼンヴァルト」
その名が、出た。
空気が、わずかに揺れる。
「飛行艇戦の指揮」
「ドラゴンとの接触」
「戦線崩壊の引き金」
「……すべて、彼に帰することは可能だ」
一瞬、誰も言葉を発しない。
だが。
「ふざけるな!」
一人の将が、机を叩いた。
「最前線で戦っていたのは誰だ!」
「誰があの戦場を持ちこたえさせた!」
怒号が響く。
「だが結果は敗北だ!」
「責任を取らねば帝国は立て直せん!」
「……ならば貴様が前に出ろ!」
言い争いが、激しくなる。
秩序が、崩れていく。
その中央で。
皇帝は、動かない。
ただ、座っている。
高みから、見下ろすように。
その時だった。
コツ。
コツ。
静かな音が、響いた。
石を踏む音。
重い。
規則的な音。
言い争いが、止まる。
全員が、そちらを見る。
扉の向こう。
ゆっくりと。
扉が、開かれる。
逆光の中。
一人の影が、立っていた。
誰も、言葉を発しない。
その姿を見た瞬間——
理解したからだ。
全身に、機械。
むき出しの金属。
繋がれた管。
呼吸装置。
そして——
口元にはガスマスク。
その場にいる全員が。
凍りつく。
生きているはずのない男が。
そこに、立っていた。
コツ。
コツ。
ゆっくりと、歩く。
一歩一歩。
確かめるように。
だが。
止まらない。
「……静かにしろ」
低い声。
機械越しに歪んだ音。
だが。
確実に、届く。
「俺は、まだ生きている」
誰も、反論しない。
できない。
ヴァルターは、ゆっくりと周囲を見渡す。
将たち。
貴族たち。
そして——
皇帝。
「……聞かせろ」
一歩、踏み出す。
「このままでいいのか」
「空を、奪われたままで」
「神に、支配されたままで」
「ドラゴンに、怯えたままで」
誰も、答えない。
だが。
全員が、聞いている。
「海の連中にも、裏切られたな」
「……それで、終わりか?」
ヴァルターの声が、少しだけ強くなる。
「帝国は、そんなものだったのか」
中央へ進む。
その姿は、もはや人ではない。
だが。
その“意志”だけは。
誰よりも、生きていた。
「俺は、戦う」
「一人でもだ」
空気が、張り詰める。
「祖父の名にかけて」
「空は、奪われるものじゃない」
「取り戻すものだ」
そして。
皇帝を、真っ直ぐに見た。
「……あんたに、従う理由はあるのか?」
ざわめきが走る。
「安全な場所から、見ていただけのあんたに」
「命を預けろと?」
「王国の女王は、最前線に立った」
「命をかけて、選んだ」
「……あんたは、何をした」
完全な沈黙。
だが、その沈黙は——
長くは続かなかった。
「……その通りだ」
誰かが、呟いた。
小さな声。
だが。
確かに響いた。
「……あいつが、前線を支えていたのは事実だ」
「俺たちは、何をしていた」
「……あの戦場を、知らない連中が判断するのか」
低い声が、重なる。
次第に。
空気が、変わる。
「……ヴァルターの言う通りだ」
「まだ終わっていない!」
「帝国は、こんなもので終わる国じゃない!」
興奮が、広がる。
椅子から立ち上がる者もいる。
拳を握る者もいる。
だが——
「無礼だぞ!!」
鋭い怒声が、空気を切り裂く。
「皇帝陛下に対して、その態度は何だ!」
「貴様ら、正気か!」
「黙れ!」
「正気だから言っている!」
「現実を見ろ!」
「このまま何もせず、従っていればいいのか!」
怒号が、ぶつかる。
支持と否定。
忠誠と反抗。
同じ帝国の中で——
完全に、割れていく。
その中心で。
皇帝は、なお動かない。
ただ、見ている。
その光景を。
ヴァルターは、何も言わない。
ただ、その全てを受け止めるように立っている。
「来たい奴は来い」
「来ない奴は、そこで見ていろ」
一人。
また一人。
ヴァルターの後ろへと続く者が現れる。
迷いながら。
だが、確かに。
その一方で。
席から動かない者たちもいる。
皇帝の側に残る者たち。
秩序を守る者たち。
帝国は。
その場で、分かたれた。
静かに。
だが、決定的に。
戻れない形で。




