第七十三話「空の監視者」
空は、静かだった。
どこまでも広がる青。
雲も、風も。
以前と変わらないはずなのに——
違って見える。
そこに、“ある”。
小さな影。
光を帯びた、丸い存在。
空に、浮かんでいる。
動かない。
だが。
“見ている”。
誰かを。
何かを。
常に。
石造りの建物の一角。
簡易的に組まれた研究設備。
紙。
器具。
そして。
少女が、一人。
「……やっぱり、ただの“監視”じゃない」
リゼルは、空を見上げていた。
目を細める。
球体の動きを、観察している。
「熱……じゃない」
「速度でも、ない」
「“意志”に反応してる……?」
小さく、呟く。
手元の紙に、書き込む。
数式。
仮説。
可能性。
「……あと一つだけ、試す」
息を整える。
足元に、小さな装置を置く。
簡易的な浮遊機構。
人が乗るほどではない。
だが。
“空に干渉する意思”を持つ生き物を入れる。
かつて空を飛んでいた生き物を。
装置が、空へ上昇していく。
数十メートル先まで到達したとき——
空の球体が。
“揺れた”。
「……来る」
リゼルの声が、低くなる。
次の瞬間。
球体が、わずかに光を増す。
そして——
一直線に、降下した。
音は、ない。
だが。
空気が、裂ける。
見えない何かが、装置を貫いた。
装置が、弾ける。
粉々に。
何も残らない。
その瞬間、リゼルは地面に伏せていた。
反応していた。
予測していた。
だから、避けられた。
球体は、再び上空へ戻る。
何事もなかったかのように。
ただ、そこにあるだけに戻る。
「……排除、か」
リゼルが、ゆっくりと立ち上がる。
息を吐く。
「“空に触れようとしたもの”だけを、正確に」
視線を上げる。
球体を見る。
「……徹底してる」
その報告は、すぐに届いた。
レグナの元へ。
報告書を読む。
短く、目を閉じる。
「……やはり、ね」
予想はしていた。
だが。
現実として突きつけられると——
重さが違う。
「空は、完全に奪われた」
誰にも聞かせない声。
そして——
もう一枚の書類に、視線が移る。
それは、戦場のものではなかった。
だが。
確実に、“戦い”の報告だった。
「……リュミエル連邦」
小さく、呟く。
物資の流通。
交易路の再編。
各国への支援。
そして——
影響力の拡大。
戦争が終わった今。
武力ではなく。
“経済”と“情報”で、世界が動き始めている。
その中心にいるのが——
連邦だった。
「……早いわね」
静かに言う。
まるで、待っていたかのように。
この状況を、利用している。
連邦は、戦争で勝つ必要がなかった。
最初から——
戦争以外で勝つ国だった。
「空が封じられた今……」
「一番強いのは、“飛べなかった者たち”ということね」
皮肉のように、笑う。
空は、神のもの。
ならば。
人間は、地上で争うしかない。
形を変えて。
レグナは、窓の外を見る。
動かない空。
その下で。
また別の“争い”が始まっている。
「……終わっていない」
ぽつりと、呟く。
「何も」
だが。
視線を戻す。
ペンを取る。
次の指示を書き始める。
復興。
外交。
新しい世界への対応。
すべてを。
王として、背負うために。
城の外。
クロノスも、空を見ていた。
あの球体。
あの日から、ずっと浮かんでいる存在。
じっと、見つめる。
すると——
わずかに。
球体が、揺れた。
ほんの一瞬。
反応しかけて。
止まる。
「……?」
眉をひそめる。
見間違いか。
それとも——
あれは。
完全な“支配”じゃない。
何かが、足りていない。
そんな感覚。
その時。
空の、さらに向こう。
球体の奥。
一瞬だけ。
何かが、動いた気がした。
影。
巨大な何かの気配。
だが。
すぐに消える。
空は、静かだ。
完璧に、管理されている。
誰も、飛べない。
誰も、触れられない。
それでも。
その向こうに、何かがいる。
そんな気配だけが——
消えずに、残っていた。




