第六十三話「原初の遺構」
それは、空に存在していた。
雲の裂け目の奥。
ゆっくりと、その全貌を現したそれは——もはや“遺構”という言葉では収まらない異質さを放っていた。
巨大な岩塊。
だが、その表面には明確な意図を持った構造が刻まれている。
塔のように伸びる柱。
円環状に重なり合う回廊。
崩れているはずなのに、崩壊しない形。
空に浮かんでいること自体が、すでに理屈を拒んでいた。
息を呑む。
王国の遺構を思い出す。
あれも確かに異質だった。
だが。
目の前のそれは、比べることすら許さない。
「……違う」
思わず、口から漏れる。
レグナが、それに静かに応じた。
「ええ。これは原初の遺構」
視線は、逸らさない。
「王国のものは人間が再現しただけの模倣に過ぎなかったようね」
「でも、あれは違う」
「最初から、そこにあるもの」
その言葉が、重く空に残った。
次の瞬間。
空が、歪んだ。
風が止まり——
逆巻く。
ヴェントラの体が、不自然に持ち上げられる。
「……来る!」
黒。
無数。
遺構の内部から、噴き出すように飛び出してくる。
コウモリの群れ。
だが、異様だった。
目が赤く光る。
鳴き声が、揃っている。
個ではない。
一つの意思。
そして。
その群れは、一斉に方向を変えた。
クロノスへと。
「……鍵を、認識してる!」
ユークスの声。
近衛兵が動く。
迷いはない。
陣形を維持したまま、迎撃へ移行。
剣が閃き、正確に群れを切り裂く。
そして、雷撃、火球が空を飛ぶ。
連携。
精度。
隙がない。
だが。
数が、多すぎる。
気流が崩れる。
落ちる。
次の瞬間、持ち上げられる。
上下の感覚が消える。
視界が歪む。
音が遅れる。
空そのものが、敵だった。
その中で。
ユークスが、前に出る。
群れの進路に、割り込む。
剣を振るう。
一撃。
二撃。
無駄がない。
俺の前に、道ができた。
振り返らない。
ただ、切り開く。
だが。
次の瞬間。
レグナの周囲へ、群れが集中する。
「レグナ!」
叫ぶ。
だが、遠い。
間に合わない。
迷う前に、動く。
ヴェントラを無理やり傾ける。
気流を無視して、群れへ突っ込む。
衝突。
爪が装甲を削る。
視界が黒に覆われる。
それでも、進む。
止まらない。
剣を振り抜く。
群れをまとめて叩き落とす。
その一瞬の隙へ、体をねじ込む。
レグナのすぐ前へ。
視線が、ぶつかる。
その瞳に、わずかな驚き。
そして——
「……私は、鍵ではない… ただの一国の王よ」
短く。
「だから——」
一瞬の間。
「あなたの命を、優先しなさい」
「……できません」
即答。
「あなたがいる場所が、俺の守る場所です」
横から、群れが突っ込む。
体勢が崩れた。
落ちる。
そこへ。
ユークスが飛び込む。
無理な軌道。
だが、間に合った。
落ちかけた態勢をユークスが強引に戻してくれた。
そして、
斬る。
叩き落とす。
叫ばない。
ただ、守っていた。
その時。
群れが止まる。
一斉に。
そして。
引いた。
まるで。
選別が終わったかのように。
原初の遺構が、わずかに変化する。
構造が開く。
内部へ続く道。
許された。
そう、理解する。
だが。
次の瞬間。
別の影が、後方から迫ってきていた。
帝国。
残存部隊。
傷だらけの装備。
だが、目は死んでいない。
「……鍵を持つ者を発見」
「皆の者…ここで我らの戦を終わらせるぞ…」
王国近衛兵が即座に反応する。
迎撃。
陣形を組み、帝国と衝突する。
「女王陛下と鍵を必ずお守りしろ!」
ユークスが、俺の前に出る。
「行け!!」
振り返らない。
命令でもない。
自分の意思。
一瞬迷う。
だが。
「……行くわよ」
レグナは、止まらない。
「止まれば、全員無駄死にになる」
振り返らない。
王の判断だった。
歯を食いしばる。
そして。
前を見る。
ヴェントラを、遺構へ向ける。
距離が、縮まる。
入口が、見える。
届く。
その時だった。
空が、止まる。
音が、消える。
風が、消える。
光が、遮られる。
巨大な影が、空を覆った。
雲ではない。
影。
生きている。
ヴェントラが、完全に硬直する。
動かない。
呼吸すら止まりかける。
圧倒的な存在。
理屈ではない。
本能が拒絶する。
俺の隣を飛んでいたレグナの瞳には、初めて恐怖が宿っていた。
ただ、見上げる。
理解する。
「――っ!? これがあのドラゴン…」
「……来たのね」
ドラゴンは、何もしていない。
ただ、見ている。
クロノス達を。
遺構を。
そのすべてを。
試すように。




