第六十一話「背負うもの」
エルンストは、雪の上に倒れていた。
白く染まっていたはずの山頂は、すでにその色を失っている。
赤。
雪に滲んだ血が、ゆっくりと広がり、静かに、確実に、その場所の色を塗り替えていた。
風が吹く。
だが、その冷たさを感じる余裕はなかった。
俺は、立ったまま動かなかった。
剣を握る手は、すでに力を抜いている。
それでも、離さない。
離してはいけない気がした。
視線の先。
倒れた男。
つい先ほどまで、刃を交えていた相手。
そして——
同じものを背負っていた男。
ゆっくりと、膝をつく。
エルンストの体に、手を伸ばす。
重い。
ただの重さではない。
その奥にあるもの。
背負ってきたもの。
それが、すべて乗っているようだった。
エルンストの瞳は、すでに閉じられていた。
苦しんだ様子はない。
ただ、戦い抜いた顔だった。
「……」
何も言わない。
言葉にする必要がなかった。
すでに、理解している。
この一撃の意味も。
この選択の重さも。
そして、その体を、抱え上げる。
血が、腕に付く。
温もりは、まだ残っていた。
だが、それもすぐに消える。
分かっている。
だから。
目を逸らさない。
ヴェントラが、静かに近づいてきた。
何も言わない。
ただ、見ている。
すべてを。
この戦いを。
この決着を。
そして——
この選択を。
俺はヴェントラの背に乗る。
エルンストの体を、しっかりと抱えたまま。
ヴェントラが翼を広げる。
雪が、舞い上がる。
そして——
空へ。
空は、変わらず青かった。
何も知らないように。
何も変わっていないように。
だが。
その中で。
確実に、一つの戦いは終わった。
しばらく飛んだ後だった。
遠くに、影が見える。
いくつも。
編隊を組んでいる。
警戒する。
だが——
次の瞬間、それが何か分かった。
紋章。
見慣れた、王国のもの。
その編隊は、乱れていなかった。
戦場帰りとは思えないほど、整っている。
無駄がない。
静かすぎる。
そして——
分かる。
これは、通常の部隊ではない。
近衛兵。
王のためだけに動く、例外の存在。
その近衛兵が空を飛んでいた。
その中心に、一騎。
白銀の装甲。
他とは明らかに違う存在感。
アストレア王国女王。
レグナ。
その中に、一つだけ、乱れた動きがあった。
隊列を崩しかける影。
一直線に、こちらへ向かってくる。
「……クロノス!!」
ユークスだった。
その目が、俺を見る。
そして。
すぐに、気づく。
腕の中。
抱えられているもの。
ユークスの動きが、止まる。
何も言わない。
言えない。
理解してしまったから。
「……そっか…」
それだけだった。
怒りでもない。
否定でもない。
ただ。
受け入れるしかない現実だった。
レグナは、ゆっくりと近づく。
何も言わない。
ただ、見る。
俺を。
そして、その腕の中を。
すべてを理解したように。
「……選んだのね」
静かに。
問いではない。
確認でもない。
ただ、受け止める言葉。
「……はい」
短く、答える。
それ以上は、必要なかった。
その時だった。
遠くから、低い音が響く。
雷ではない。
風でもない。
もっと重い。
地面を震わせるような音。
全員の視線が、同じ方向を向く。
海。
その先。
水平線の向こう。
黒い影が、広がっていた。
無数の艦。
そのすべてが、海を埋め尽くすように並んでいる。
そして。
砲門が。
空ではなく。
大地へ向けられていた。
「……海洋諸国連合」
その声には、わずかな緊張が混じっていた。
その光景を、見つめる。
理解する。
戦いは、終わっていない。
むしろ。
さらに広がっている。
「……ガイアスは」
絞り出すようなユークスの声。
「……分からない」
それが、すべてだった。
静かな空。
その下で。
すべてが、動いている。
止まることなく。
クロノスは、エルンストを抱えたまま、前を見た。
その重さは、消えない。
これからも。
ずっと。
背負っていく。
そして。
その先にあるものへ。
進むしかない。




