第五十話「空に挑んだ男」
それは。
後に“世界最強”と呼ばれた戦士の話。
その名が伝説となり。
やがて、その血は受け継がれる。
だが。
その結末を、誰も知らない。
そして――
その男の孫は、ヴァルターと名付けられた。
空は、静かだった。
どこまでも、澄んでいた。
争いは、なかった。
叫びも、怒号も、血の匂いもない。
ただ。
すべてが、整っていた。
神が降臨してから。
世界は、変わった。
戦争は、なくなった。
誰も、争わない。
争えない。
空を飛べば。
神の目がある。
刃を取れば。
神の裁きがある。
すべては、管理されていた。
完全な秩序。
完全な静寂。
それを、人は。
“平和”と呼んだ。
だが。
男は、違った。
空を駆け。
誰にも敗れず。
誰よりも高く飛んだ男。
その男は。
空を見上げるたびに、思っていた。
(……これが、平和か)
争いはない。
血も流れない。
だが。
息が、詰まる。
空は、ある。
だが。
触れることは、許されていない。
飛べるのに。
飛んではいけない。
それは。
自由と呼べなかった。
人々は、笑っていた。
安心していた。
守られていると、信じていた。
子供は空を見上げ。
大人はそれを止める。
「危ないからやめなさい」
その言葉に、疑問はない。
誰も。
“なぜ危ないのか”を考えない。
考える必要が、ないからだ。
すべては、神が決める。
それが、この世界だった。
ある日。
男は、それを知る。
空の奥。
誰も近づかない領域に。
もう一つの存在がいることを。
ドラゴン。
男は、空を見上げる。
遠く。
雲のさらに奥。
わずかに揺らぐ影。
(……あれなら)
(神に、届く)
あれは、支配されていない。
誰にも、従っていない。
空を、奪われていない。
あれだけが。
この世界で唯一、自由だった。
男は、飛ぶ。
許されていない空へ。
神の視線を無視して。
ただ。
“確かめるため”に。
自由が、本当に存在するのかを。
そして。
出会う。
ドラゴンに。
圧倒的な存在。
敵ではない。
味方でもない。
ただ、そこに在るもの。
その瞬間。
男は、悟る。
これは。
戦う相手ではない。
勝てるかどうかの問題でもない。
もっと、根本的に違う。
“在り方”が。
神とも。
人とも。
まったく違う。
それでも。
男は言う。
「我に従え」
その声は、真っ直ぐだった。
「力を貸せ」
「神を倒す」
迷いはない。
それが、正しいと信じていた。
ドラゴンは、答えない。
ただ。
見ている。
その眼で。
すべてを見透かすように。
問いすら、返さない。
その時。
男は、気づく。
自分が。
何をしようとしているのか。
神と、同じことを。
しようとしている。
空を、支配しようとしている。
自由を。
奪おうとしている。
だが。
止まれなかった。
ここまで来て。
退くことは、できなかった。
男は。
戦士だった。
戦うことでしか。
答えを出せなかった。
男は、飛ぶ。
ドラゴンに向かって。
神に向かって。
この空すべてに、抗うように。
その姿は。
誰よりも高く。
誰よりも自由に見えた。
そして。
そのまま。
帰ってこなかった。
空には、何も残らなかった。
戦いの痕も。
叫びも。
ただ。
静かな空だけが、そこにあった。
誰も知らない。
なぜ、男が敗れたのか。
だが。
ひとつだけ、残ったものがある。
言葉ではなく。
形でもなく。
“在り方”として。
それは、後に。
別の誰かへと、辿り着く。
支配する者ではなく。
共に在る者へ。
空を奪うのではなく。
空と、生きる者へ。
その答えに、辿り着く者へ。




