第四十七話「空の奥の何か」
飛行艇の内部は、傾いていた。
金属の床は斜めに歪み、足を踏み出すたびにわずかに滑る。蒸気と煙が通路に滞留し、焦げた油と鉄の匂いが肺に重くまとわりつく。
その中心で。
俺とエルンストは、互いの間合いを測るように向かい合っていた。
「……来たか」
エルンストが静かに言う。声に無駄な力はない。ただ事実を確認するような、冷たい響きだった。
構えは崩れていない。むしろ、さっきよりも洗練されている。余計な力が削ぎ落とされ、純粋な“戦うための形”だけが残っている。
「逃げないのか」
「逃がす気がないだろう」
短いやり取り。
だが、その中で互いの意図はすべて伝わる。
(……こいつが、鍵)
胸の奥が、はっきりと震える。
距離が近づくほどに、その反応は強く、確かなものへと変わっていく。
「……やはり、そうか」
エルンストも同じように感じているのだろう。わずかに息を吐き、視線を細める。
「お前と俺が揃えば、何かが起きる」
「……ああ」
踏み込む。
距離が一瞬で消える。
刃と刃が正面からぶつかり合い、金属が軋む音が狭い通路に響く。衝撃が腕を通じて骨まで伝わる。
重い。
だが、遅くはない。
受ける。
流す。
そのまま体を捻り、角度を変えて押し返す。
エルンストも同じだ。
無駄がない。最小の動きで最大の効果を出す、徹底した実戦の動き。
だが。
俺は、斬らない。
急所を外す。
動きを止めるための一撃だけを選び続ける。
「……甘いな」
エルンストの声は低い。
責めるでもなく、ただ“事実”として言っている。
「違う」
押し込む。
「お前は、連れていく」
言葉と同時に踏み込み、間合いをさらに詰める。
その瞬間。
空気が、わずかに揺れる。
胸の奥が強く脈打つ。
さっきまでとは違う。
明確に、繋がりかけている感覚。
見えない何かが、互いを引き寄せる。
エルンストの目も、わずかに変わる。
「……なるほど」
低く呟く。
「面白いな」
構えが変わる。
逃げの構えではない。
真正面から、叩き潰すための構え。
その時。
空気が、一気に落ちた。
温度が下がるわけではない。
だが、重さが増す。
呼吸が、わずかに遅れる。
「……まだ終わっていない」
背後からの声。
振り向く。
ヴァルター。
右腕はない。
肩口から先が失われている。
それでも。
血は止まり、姿勢は崩れていない。
全身に刻まれた傷が、むしろ異様な迫力を与えている。
そして。
圧倒的に、強い。
俺。
ガイアス。
エルンスト。
ヴァルター。
空気が、完全に止まる。
動けば、死ぬ。
そんな緊張が、全身を縛りつける。
「……クロノス」
横からの声。
振り向かない。
だが分かる。
ガイアスだ。
その声には、いつもの軽さがない。
短く。
はっきりとした意思だけが乗っている。
視線だけで、合図が来る。
“ここは任せろ”
そして。
“行け”
その意味を。
俺は、理解してしまう。
「……やめろ」
思わず、口に出る。
だが。
ガイアスは、笑う。
「お前、何しに来たんだよ」
一拍。
「……鍵、だろ」
言葉が、胸に突き刺さる。
ガイアスが俺とヴァルターの間へ飛ぶ。
そして、ガイアスから攻撃魔法が放たれた。
初めて見た最高出力の火球。
その火球はヴァルターの前を勢い通過し、
奥の部屋の壁を爆発させた。
鈍い音。
その奥は。
燃料保管庫だった。
「――伏せろ!!」
叫びと同時に。
爆発。
耳をつんざく轟音とともに、熱と衝撃が一気に押し寄せる。視界が白く弾け、身体が宙に浮く。
壁が崩れ、飛行艇の構造が裂ける。
天井が崩壊し、瓦礫が落ちてきた。
爆発の衝撃で飛行艇が大きく傾く。墜落し始めたようだ。
そして。
戦場が、分かれる。
俺とエルンスト。
ヴァルターとガイアス。
完全に。
だが、外へ続く出口は俺とエルンスト側にしかない。
ヴァルターとガイアスは飛行艇エンジン部に取り残された。
瓦礫によって全てが閉ざされた機械室に。
爆発の衝撃で、辛うじて外が隙間越しに見える程度。
煙の中で、エルンストが立っている。
その姿は揺らがない。
むしろ、状況を受け入れているようにすら見える。
「……ヴァルター殿」
爆炎の向こうからヴァルターの声。
「貴様は行け 空が俺の居場所だ」
そして、ガイアスの声。
「……クロノス」
声が、やけに落ち着いている。
「お前さ」
一拍。
「空、好きか?」
「……は?」
意味が分からない。
こんな状況で、何を――
「俺は好きだ」
笑っているようだ。
血だらけなのに。
「自由だからな」
「だからさ、お前は行け」
「……何言って――」
「鍵だろ、お前」
言葉を遮る。
「だったら、生きてなきゃ意味ねえ」
その一言で。
全部、理解する。
「……ガイアス」
止める言葉が、出ない。
もう、決まっている。
「安心しろ」
軽く手を上げるのが瓦礫の隙間越しに見えた。
「俺、しぶといから」
笑う。
いつも通りに。
それが。
一番、きつい。
俺とエルンストは互いに干渉せず
ただ、ワイバーンを呼び、飛行艇から飛び去った。
すぐ後ろで飛行艇が墜落を始めている。
――飛行艇内部
飛行艇が、崩れる。
金属が裂ける音が響き、機体が大きく傾く。
高度が、落ちる。
制御は、もう効いていない。
「……終わりだな」
ヴァルターが、低く言う。
「案外あっさりしてるな あんたも」
ガイアスはいつも通りの返答。
その時だった。
風が、止まる。
落ちているはずなのに。
空気が、動かない。
「……?」
違和感。
機体が、大きく震える。
今までの爆発とは違う。
外から。
何かに叩かれたような、鈍く重い衝撃。
ヴァルター。
その表情が、大きく変わった。
額に、一筋。
汗が流れる。
ほんのわずか。
だが、確実に。
「……まさか」
低く、絞り出すような声。
信じていない。
だが。
墜落する飛行艇の中、理解した。
外の音が、消える。
雨の音すら、消える。
世界が、一瞬だけ止まる。
空気が、支配される。
これは、戦いではない。
力の衝突ですらない。
“存在”そのものによる圧。
次の瞬間。
雲が、裂ける。
“それ”が現れる。
巨大な影。
空を覆う存在。
ドラゴン。
ヴァルターの目が、見開かれる。
「……っ……!」
息が、止まる。
脳裏に浮かぶ。
祖父の背中。
そして。
“同じ光景”。
「……これが……」
歯を食いしばる。
「……あの時の……!」
理解する。
祖父が、何に挑んだのか。
一方で。
ガイアスは、笑う。
「……すげえな」
震えている。
それでも。
目を逸らさない。
「……あれが、本物かよ」
同じものを見て。
ヴァルターは、憎んだ。
ガイアスは、惹かれる。
次の瞬間。
衝撃。
機体が、完全に崩壊する。
視界が、弾ける。
飛行艇は墜落をした。
そして、ドラゴンが――降りてくる。




