第四十六話「雨の指令室」
石壁を叩く音が途切れることなく続き、窓の外は白く霞んでいる。空と地の境界すら曖昧で、世界そのものが濡れて沈んでいるようだった。
指令室の中は静かだった。
だがそれは、落ち着きではない。
張り詰めた、沈黙。
「……報告を」
レグナ・アストレアは、顔を上げずに言う。
机の上には広げられた地図。無数の駒が置かれ、戦況を示しているが、そのすべてが不安定に見えた。
「はっ」
部下が一歩前に出る。
「帝国飛行艇部隊、依然として健在。各所に損傷は確認されておりますが、撃墜には至っておりません」
ペンが、わずかに止まる。
だが、すぐに動き出す。
「……続けて」
「教国飛竜部隊、突入を開始。……損耗、多数」
言葉が、わずかに詰まる。
レグナは何も言わない。
ただ、書き続ける。
インクが、少しだけ滲む。
「……オルディウス元帥について、ですが」
報告する兵の声が、わずかに低くなる。
言葉を選んでいる。
いや。
“言いたくない”のが、はっきりと分かる。
「……現地にて、戦闘を確認」
一拍。
唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。
「……敵将ヴァルターと、交戦」
空気が、張り詰める。
「……その後」
言葉が、止まる。
拳が、強く握られる。
それでも、続ける。
「……元帥は、最後まで戦闘を継続」
顔を上げる。
逃げないように。
「……敵将ヴァルターの一撃により」
一瞬。
声が、揺れる。
「……戦死、確認」
そして。
「……元帥は、最後まで退きませんでした」
静かに、言い切る。
逃げない。
誤魔化さない。
事実だけを、置く。
沈黙が落ちる。
静かだった。
雨の音だけが、部屋を満たしている。
レグナの手が、止まる。
ペン先が紙に触れたまま、動かない。
インクが、じわりと広がる。
それでも。
顔は上げない。
ただ、目を閉じる。
一瞬だけ。
本当に、一瞬。
そして。
開く。
「……各部隊へ通達」
声は、変わらない。
「作戦は継続する」
誰も、何も言わない。
それが、この場の答えだった。
指令室に動きが戻りつつあった矢先。
「……続報です」
別の兵が、やや早口で言う。
空気を変えようとするように。
「飛行艇内部にて、クロノス隊員およびガイアス隊員の突入を確認」
ペンが、わずかに止まる。
「さらに、帝国側よりエルンストを同飛行艇内に確認」
一拍。
「……敵将ヴァルター、同地点にて接敵」
その瞬間。
空気が、凍る。
誰もが理解する。
それが意味するものを。
(……そう)
心の中で、呟く。
対の鍵が揃った絶好の機会でもあり、
最悪の状況。
逃げ場のない場所で、全てが重なった。
だが。
「……問題ない」
口に出す。
それが、女王の役目だから。
「クロノスは……」
一瞬だけ、言葉が止まる。
ほんの、わずかに。
だが。
「任務を理解している」
続ける。
信じるしかない。
それが、王だ。
外で、雷が鳴る。
光が一瞬だけ差し込み、空が歪んで見える。
ただの嵐ではない。
何かが、近づいている。
(……この空は)
レグナは、わずかに視線を上げる。
窓の外。
雨に覆われた空の奥。
そこに、何かが潜んでいるような気がした。
「……状況を整理する」
声が、場を引き締める。
「飛行艇は未だ健在。教国は損耗しつつも戦線維持」
「そして――」
一瞬、間を置く。
「クロノス達が、内部で交戦中」
視線が集まる。
レグナは、顔を上げる。
赤い髪が、静かに揺れる。
「……ならば」
静かに言う。
「この戦いは、まだ終わっていない」
その言葉に。
誰もが、頷いた。
雨は、止まない。
むしろ、強くなる。
空が、荒れる。
その奥で。
まだ見ぬ何かが、静かに目を覚まそうとしていた。




