第百四十一話「正義の器」
夜。
教国。
地下深く。
教団の拠点。
静寂が支配していた。
その中を。
一人の影が走る。
名もなき者。
王国の諜報員。
息は荒い。
だが、足は止まらない。
「……これで」
小さく呟く。
握りしめているのは。
数枚の記録。
そして。
刻印。
帝国軍のもの。
教団の資金流れ。
武装供給の記録。
全てが繋がっている。
教団は――
帝国によって作られた。
“裁き”という名の装置。
それが、証明された。
「……戻らないと」
だが。
足が止まる。
前方。
扉の前に。
一人、立っていた。
白い衣。
長い髪。
静かな眼差し。
アルヴェリオ。
教団の頂点。
「……どこへ行くのですか」
穏やかな声。
だが。
逃げ場はない。
諜報員は、ゆっくりと立ち止まる。
そして。
覚悟を決める。
「……あなたに会いに来た」
正面から言う。
アルヴェリオの目が、わずかに細まる。
「……私に?」
「ああ」
一歩、踏み出す。
「あなたは、知らない」
「この教団が、何なのかを」
沈黙。
アルヴェリオは、何も言わない。
ただ、聞く。
「これは」
諜報員は、手にしていた記録をアルヴェリオに渡す。
「帝国の記録だ」
「資金」
「武器」
「人員」
「全部、帝国が流してる」
一つ一つ、言葉を刻む。
「教団は」
「“裁き”じゃない」
「帝国の道具だ」
空気が、凍る。
アルヴェリオは、ゆっくりと紙を受け取る。
目を通す。
その表情は。
変わらない。
だが。
指先が、わずかに震えていた。
「……これは」
小さく呟く。
理解している。
真実だと。
そして。
ゆっくりと、目を閉じる。
「……そうですか」
それだけ。
長い沈黙。
諜報員は、息を呑む。
「……あなたなら分かるはずだ」
「これは違う」
「あなたのやろうとしていることじゃない」
「利用されてるだけだ」
言葉を重ねる。
「まだ、戻れる」
「今なら――」
「戻りません」
即答だった。
諜報員の言葉を、切るように。
アルヴェリオは、目を開く。
その瞳。
揺れは、消えていた。
「たとえ、そうだとしても」
「この世界は、歪んでいる」
「神に支配され」
「空を奪われ」
「それでも、人は争う」
一歩、前へ。
「ならば」
「裁きは、必要です」
静かに。
だが、確信を持って。
「誰が始めたかではありません」
「何を成すかです」
その言葉。
“正義”。
それそのものだった。
諜報員は、歯を食いしばる。
「……間違ってる」
「それは、正義じゃない」
「ただの――」
「それでも」
アルヴェリオが遮る。
「私は、これを選びます」
完全な覚悟。
その瞬間。
背後から。
「……実に美しい対話だ」
低い声。
二人が、振り向く。
そこに立っていたのは――
カルディス。
薄い笑み。
冷たい目。
「真実を知りながら、なお進む」
「素晴らしい」
ゆっくりと歩く。
二人の間へ。
「さて」
視線が、諜報員へ向く。
「問題は、あなたです」
空気が、変わる。
諜報員は、構える。
だが。
遅い。
「もう、役目は終わった」
一瞬。
影が、揺れる。
音もなく。
刃が、走る。
諜報員の体が、崩れる。
床に、倒れる。
血が、静かに広がる。
声は、出なかった。
ただ。
最後に。
アルヴェリオを見る。
その目。
何かを、託すように。
そして。
動かなくなる。
沈黙。
カルディスは、軽く息を吐く。
「……これで障害は排除された」
何事もなかったかのように。
「さあ」
アルヴェリオを見る。
「アルヴェリオ様」
「あなたの“正義”を、世界に示す時です」
アルヴェリオは、何も言わない。
ただ。
倒れた男を見る。
しばらく。
静かに。
そして。
ゆっくりと、目を逸らす。
「……準備を」
その一言。
決断は、下された。
正義は。
止まらない。




