第百二十七話「静かな消失」
王城・中庭。
柔らかな光が、石畳を照らしていた。
「……ほら」
クロノスが、小さな体を抱き上げる。
ヴェルン。
かつてのクロノスの相棒であったワイバーンに影響を受けた名前。
まだ幼い男の子。
だが。
確かに、笑っていた。
「……軽いな」
「当たり前でしょ」
レグナが、隣で微笑む。
「まだ一歳よ」
その声は、王ではない。
一人の母のものだった。
ヴェルンは、クロノスの指を掴む。
小さな手。
だが、しっかりとした力。
「……」
クロノスは、しばらく何も言わない。
ただ。
その感触を、確かめるように。
見つめていた。
「……ねえ」
レグナが、静かに言う。
「この子」
「空を見てる」
視線の先。
ヴェルンは、空を見上げていた。
何も飛んでいない空。
それでも。
じっと、見ている。
「……似てるな」
クロノスが、ぽつりと言う。
「え?」
「……昔の俺に」
レグナは、少しだけ驚く。
そして。
ふっと、笑う。
「じゃあ」
「いつか飛びたくなるのかもね」
その言葉に。
クロノスは、何も返さなかった。
ただ。
空を見た。
その後。
王城・別室。
「リゼルの発表?」
レグナが、書類を見ながら言う。
「ええ」
「星の観測結果と」
「神とドラゴンの位置関係について」
クロノスが答える。
「……行きたいけど」
レグナは、ヴェルンを見る。
まだ、目を離せない。
「今回は、あなたが行って」
「……分かった」
短く、頷く。
場面は変わる。
王都・研究棟。
人が集まっていた。
研究者。
兵士。
貴族。
静かなざわめき。
「リゼルの発表は初めてか?」
「いや、前にも聞いたが……」
「今回はかなり踏み込んだ内容らしい」
クロノスは、後方に立つ。
目立たない位置。
だが。
確実に、場を見ている。
やがて。
時間になる。
壇上。
誰も、現れない。
ざわめきが、広がる。
「……遅いな」
「珍しいな」
クロノスの眉が、わずかに動く。
(リゼルが遅れる?)
(ありえない)
違和感。
嫌な予感。
しばらくして。
係の者が現れる。
「……本日の発表ですが」
「リゼル本人と連絡が取れておりません」
一瞬。
場が、凍る。
「現在、確認を行っております」
ざわめき。
クロノスは、すぐに動いた。
研究室へ向かう。
扉を開く。
中は――
“そのまま”だった。
荒らされた形跡はない。
机。
資料。
すべて、整っている。
ただ一つ。
“本人だけがいない”。
「……」
クロノスは、ゆっくりと室内を見渡す。
机の上。
星図が広げられている。
そこには。
奇妙な線が引かれていた。
塔の位置。
そして。
空の“何か”を結ぶ線。
「……これ」
低く、呟く。
(繋がっている)
(塔と、星と……)
(神か)
その瞬間。
理解する。
これは、偶然じゃない。
「……まさか…拉致…」
確信だった。
少し前、アルカ・ドラグナで会った女性の話。
元、海洋諸国連合のイリスが言っていた帝国の話がよぎる。
音もなく。
争いもなく。
ただ。
“消された”。
クロノスは、ゆっくりと拳を握る。
その目が、変わる。
静かに。
だが。
確実に。
「……帝国か」
その言葉は、重かった。
平和だった世界に。
再び、影が差し込む。
誰にも気づかれず。
だが、確実に。
物語は、動き出していた。




