第百二十五話「滲む白」
教国。
白焔教団の施設は、以前よりも広がっていた。
石造りの廊下。
人の数も、明らかに増えている。
だが。
騒がしさはない。
むしろ。
静けさが、より深くなっていた。
その中を、一人の男が歩く。
名を持たぬ者。
王国の諜報員。
(……一年)
潜入から、すでに一年が経っていた。
(ここまで入り込めるとはな)
彼の服装は、完全に教団のそれ。
動きも、言葉も、違和感はない。
周囲の者も、彼を“内側の人間”として扱っている。
だが。
(油断するな)
(ここは、まだ“外側”だ)
やがて。
重厚な扉の前に立つ。
ここから先は。
選ばれた者しか入れない領域。
――“内円”。
「入れ」
短い声。
扉が、開く。
中は、さらに静かだった。
白い空間。
中央には、数名の人物。
そして。
その中心にいるのは――
アルヴェリオ。
「……来たか」
視線が向く。
逃げ場はない。
だが。
男は、頭を下げる。
「お呼びに応じました」
声は、自然だった。
嘘ではない。
“役割”としての真実。
アルヴェリオは、しばらく黙っていた。
そして。
「君は、よく観ている」
唐突に、そう言った。
一瞬。
空気が凍る。
(……来たか)
だが。
男は、表情を変えない。
「光栄です」
短く返す。
アルヴェリオは、わずかに微笑む。
「恐れていないな」
「恐れは、判断を鈍らせます」
即答。
それは。
訓練の成果か。
それとも。
この場所に“慣れてしまった”からか。
「……いい」
アルヴェリオは、ゆっくりと頷いた。
「君には、次の段階に進んでもらう」
その言葉の意味。
理解できる。
(……内側に、入る)
つまり。
より深く。
より危険な場所へ。
「感謝します」
そう答えながら。
男の内側で、何かが揺れる。
(……なぜだ)
(これは任務だ)
(ただの任務のはずだ)
だが。
アルヴェリオの言葉は。
どこか、否定しきれない。
「世界は、まだ迷っている」
アルヴェリオが言う。
「だからこそ」
「選ばなければならない」
「誰が、導くかを」
その言葉は。
正しいように聞こえる。
(……違う)
(これは“正しさ”じゃない)
(選ばせるための言葉だ)
そう理解している。
だが。
それでも。
完全には否定できない。
(……危険だ)
この場所は。
人を殺さない。
だが。
“考え”を変える。
それこそが、最も恐ろしい。
男は、静かに目を伏せる。
(……任務を続行する)
だが。
その決意は。
以前よりも、わずかに揺れていた。
そして。
その情報は。
確実に、王国へと送られる。
断片的に。
だが、確実に。
“危険”が、形になり始めていた。




