第百十三話「王と兵士」
夜風が、
静かに流れていた。
王城の外。
訓練場には、
人影はほとんどない。
その中央で。
クロノスは、
剣を振っていた。
振る。
踏み込む。
斬る。
無駄のない動き。
だが、
どこか、
落ち着かない。
止まる。
息を吐く。
「……はぁ」
軽く、
空を見上げる。
白い球が、
遠くで動いている。
あの空。
そして、
もう一つの空。
ガイアスの空。
「……」
その時。
「よぉ」
背後から、
気の抜けた声。
振り返るまでもない。
「……なんだよ、ユークス」
クロノスは、
剣を肩に乗せたまま言う。
「なんだよ、じゃねえよ」
ユークスが、
笑いながら歩いてくる。
「お前、最近変だぞ」
「……別に」
即答。
だが。
ユークスは、
ニヤッとする。
「嘘つけ」
距離を詰める。
「顔に出てんだよ」
「出てねえよ」
「出てる」
即返し。
クロノスは、
ため息をついた。
「……何が言いたい」
ユークスは、
一拍置く。
そして、
真っ直ぐ言った。
「王様のことだろ」
沈黙。
風が、
二人の間を抜ける。
クロノスは、
否定しなかった。
それだけで、
答えだった。
「……はぁ」
ユークスが、
肩をすくめる。
「やっぱりな」
クロノスは、
視線を逸らす。
「……で」
ユークスが、
続ける。
「どうすんの?」
シンプルな問い。
だが、
重い。
「どうもこうもねえよ」
クロノスは、
短く返す。
「相手は王だぞ」
「……知ってる」
「俺はただの兵士だ」
言い切る。
それが、
現実だった。
「好きとか」
一瞬、
言葉が止まる。
だが、
続ける。
「……そういうの、言うべきじゃねえだろ」
静かに。
だが、
確かな本音。
「立場が違う」
「責任も違う」
「だから――」
言いかける。
その瞬間。
「好きなんだろ?」
ユークスが、
被せた。
クロノスの動きが、
一瞬止まる。
「……」
否定しない。
できない。
ユークスは、
軽く笑う。
「ちゃんと言えよ」
クロノスは、
少しだけ、
顔をしかめた。
「……好きだよ」
小さく、
吐き出すように。
「でも、それを伝えるべきじゃないって言ってんだ」
苛立ちでも、
怒りでもない。
ただ、
押し殺している感情。
ユークスは、
一歩近づいた。
「なんで?」
「だから――」
「王だから?」
言葉を遮る。
クロノスは、
何も言えない。
それが、
理由だから。
ユークスは、
少しだけ、
真面目な顔になる。
「……お前さ」
一拍置く。
「英雄だろ?」
その言葉に、
クロノスの目が動く。
「……は?」
「神降ろしたの、誰だよ」
「……」
「王国も教国も、あの戦争終わったの、お前がいたからだろ」
淡々と。
だが、
はっきりと。
「誰も可笑しいなんて思わねえよ」
ユークスは、
笑った。
「むしろ」
少し肩をすくめる。
「なんでまだなんだって思うレベルだろ」
沈黙。
クロノスは、
何も言えない。
その言葉は、
あまりにも、
真っ直ぐだった。
「……でもな」
ユークスが、
少しだけ声を落とす。
「王だからって理由で、何も言わねえ方が」
一歩、
踏み込む。
「そっちの方が失礼だと思うけどな」
その言葉は、
深く刺さった。
クロノスは、
目を伏せる。
そして、
小さく息を吐く。
「……」
考える。
ずっと、
避けてきたことを。
正面から。
「……分かんねえよ」
正直に言う。
「どうなるかなんて」
ユークスは、
頷く。
「だろうな」
軽く笑う。
「でもさ」
少しだけ、
真剣な目になる。
「逃げる理由にはなんねえだろ」
沈黙。
クロノスは、
ゆっくりと顔を上げた。
空を見る。
白い球が、
動いている。
管理された空。
そして、
思い出す。
もう一つの空。
自由な空。
「……」
そして、
小さく言う。
「……逃げねえよ」
ユークスが、
ニヤッと笑う。
「いいじゃねえか」
背中を叩く。
「行ってこいよ」
「王様の隣、取りに」
クロノスは、
少しだけ、
苦笑した。
「……簡単に言うな」
「簡単だろ」
即答。
クロノスは、
呆れたように笑う。
だが。
その目は、
もう迷っていなかった。
「……行くか」
小さく呟く。
その一歩は、
戦場よりも、
ずっと重いものだった。
だが。
確実に、
踏み出していた。




