第百十二話「王の責務」
王城の夜は、静かだった。
あまりにも、
静かすぎる。
戦争の音が消えた世界は、
こんなにも、
音がないのかと。
レグナは、
一人、
執務室にいた。
机の上には、
書類が積まれている。
復興。
難民。
食糧。
教国との関係。
すべてが、
山のようにある。
だが。
手は、
止まっていた。
視線は、
窓の外へ。
空。
白い球が、
規則正しく巡回している。
安全な空。
だが、
どこか、
遠い。
その時。
「失礼いたします」
扉が、
静かに開く。
入ってきたのは、
年配の侍従だった。
長年、
王家に仕えてきた男。
「まだ、お休みになられていないのですね」
穏やかな声。
レグナは、
軽く息を吐いた。
「ええ……少し、考え事を」
侍従は、
静かに頷く。
そして。
「陛下」
その声の調子が、
わずかに変わった。
「一つ、よろしいでしょうか」
レグナは、
視線を戻す。
「なにかしら」
侍従は、
ほんの一瞬、
言葉を選んだ。
そして、
口を開く。
「……そろそろ」
間を置く。
「お婿様をお迎えになる時期では、ございませんか」
沈黙。
空気が、
止まる。
レグナの目が、
わずかに見開かれる。
「……え?」
思わず、
聞き返す。
侍従は、
穏やかに続けた。
「戦時中は、そのような余裕はございませんでした」
「ですが、今は違います」
静かに、
言葉を重ねる。
「王国は、再建の段階にあります」
「そして――」
少しだけ、
声を落とす。
「次の世を見据える時期でもございます」
その言葉は、
重かった。
戦争の終わり。
それは、
“次”の始まりでもある。
王として。
国を繋ぐ者として。
血を、
繋ぐ必要がある。
「……」
レグナは、
言葉を失った。
考えたことが、
なかったわけではない。
だが。
意識的に、
考えないようにしていた。
戦争の中では、
必要なかったから。
いや。
考える余裕など、
なかった。
だが今は。
終わった。
だからこそ、
逃げられない。
「……そうね」
小さく、
呟く。
侍従は、
何も言わない。
ただ、
静かに頭を下げた。
「失礼いたしました」
それだけを残し、
部屋を出ていく。
扉が閉まる。
再び、
静寂。
レグナは、
動かなかった。
ただ、
座っていた。
そして、
ゆっくりと。
視線を、
外へと向ける。
空。
白い球が、
変わらず巡回している。
その規則正しさが、
妙に現実的だった。
「……お婿様、ね」
小さく、
呟く。
頭の中に、
いくつかの顔が浮かぶ。
貴族。
他国の王族。
政略。
すべて、
合理的な選択肢。
だが。
ふと。
別の顔が、
浮かんだ。
無意識に。
自然と。
クロノス。
「……」
レグナは、
わずかに眉をひそめた。
「……なにを考えているの、私は」
首を振る。
違う。
これは、
そういう話ではない。
王としての判断。
感情ではない。
そう、
思おうとする。
だが。
消えない。
その存在が、
頭から離れない。
自分の隣に、
いつもいる男。
命を預けた。
命を預けられた。
何度も。
その関係が、
今になって、
違う意味を持ち始めていた。
レグナは、
ゆっくりと目を閉じる。
「……困ったわね」
苦笑が、
わずかに漏れる。
王としての責務。
個人としての感情。
その境界が、
曖昧になっていく。
窓の外。
空は、
変わらず静かだった。
だが。
レグナの中では、
確実に、
何かが動き始めていた。




