第百十一話「静かな浸食」
帝国は、
まだ終わっていなかった。
表向きには。
戦争は、
終わっている。
空は封じられ、
軍は機能を失い、
かつての覇権国家は、
沈黙している。
だが。
地下では、
別の戦いが始まっていた。
帝国軍地下施設。
かつて、
戦略会議が行われていた広間。
今は、
光も少なく、
静まり返っている。
その中央に、
一人の男が立っていた。
ヴァルター。
以前とは、
明らかに違っていた。
身体は、
さらに削れている。
右腕はない。
肩口は、
機械で補強されている。
呼吸は、
機械に支えられている。
胸部。
背部。
首元。
複数の生命補助装置が、
無機質な音を立てている。
だが。
目だけは、
変わっていなかった。
鋭く。
燃えている。
「……確認する」
低く、
響く声。
周囲にいた帝国兵たちが、
一斉に背筋を伸ばす。
誰も、
疑っていない。
疑えない。
この男が、
まだ立っているという事実が、
すでに異常だったからだ。
「神は、空を管理する」
「ドラゴンは、その外にいる」
ゆっくりと、
言葉を紡ぐ。
「人間は、そのどちらにも届かない」
沈黙。
誰も、
口を挟まない。
ヴァルターは、
わずかに視線を上げる。
「……なら」
その目が、
わずかに歪む。
「ぶつける」
静かな声。
だが、
その中にあるのは、
狂気ではない。
“確信”。
「神と、ドラゴンを」
空気が、
凍る。
だが。
誰も、
否定しない。
誰も、
笑わない。
ただ、
聞いている。
あのヴァルターが、
言っているのだから。
「……その後だ」
低く続ける。
「空は、空白になる」
「その時、初めて人間が手を伸ばせる」
帝国兵の一人が、
思わず息を呑む。
だが、
声には出さない。
「……その空を」
ヴァルターは、
ゆっくりと言った。
「帝国が取る」
沈黙。
重い。
だが、
揺るがない。
その思想に、
誰もが飲み込まれていく。
「……それを実現させるためには、まず”神”を動かす必要がある」
神は今、沈黙している。
空を球で支配しながらも、神自体の干渉はないに等しい。
「おそらくだが、そのためには…またあの原初の遺構が必要だ…」
将校たちにざわめきが広がる。
あの、エルンストの亡骸がある場所だ。
ヴァルターでさえ、脳裏にはエルンストの姿が浮かんでいた。
「だが、遺構は空にある。今の我々では飛ぶことができない」
数人の帝国兵が下を向く。彼らは以前ワイバーン騎兵だったのだろう。
「ならば、届く場所を作るまで」
ヴァルターの言葉に下を向いていた帝国兵が顔を上げた。
「遺構まで届く塔を建設する…海洋諸国連合の前身国家がかつて使っていた手だ」
常識外れの発想と思われるだろう。
だが、ヴァルターにとっては、ただの手段に過ぎない。
「だが、一つ足りない…鍵だ」
クロノス。
神を降臨させた、もう一人。
あの男を、引きずり出す必要がある。
だが、
「王国の連中が、簡単に手放さないのは目に見えてる」
「ならば……」
わずかに、口元が歪む。
「“正当な理由”を作ろうではないか」
「ノクティア教国…」
「あそこは軍も壊滅し、崩壊寸前だ…しかし強い思想はある」
「利用しやすい…」
一人の将校が呟く。
「そうだ」
ヴァルターの声。
「しかし、どのように利用いたしましょう?武器の横流しでもさせますか?」
「ぬるいな それでは”正当”な理由にはならない」
「教団を作る」
空気が、わずかに揺れる。
「我々の傀儡だ」
「信仰を語り、秩序を掲げ」
「そして――」
「人を集めるための教団。塔を建設するための大義名分」
将校の目が、鋭くなる。
「そこまで…お考えとは!」
その場の将校や帝国兵はただ驚いていた。
自分達では到達できない高みに…ヴァルターはいると。
「人を集める名目など、いくらでも作れるだろう」
「そして、その場に――」
「クロノスを引きずり出す」
沈黙。
誰も、その意図を理解する。
「……鍵を、揃えるために」
ヴァルターは、ゆっくりと歩き出す。
「塔の建設は、同時に進める。」
「教団の名のもとでな」
「神へ近づく“聖地”として」
だが、その本質は違う。
それは。
戦場だ。
神とドラゴンをぶつけるための。
世界の運命を決める、舞台。
「準備を始めろ」
振り返らずに、言う。
「静かに、確実に」
「……世界を、動かす。例え、何年かかろうともな」
その言葉は、低く。
だが、確実に。
すべてを変えるものだった。




