第百十話「届かない空」
空は、静かだった。
あまりにも、
静かすぎた。
風は吹いている。
雲も流れている。
だが。
“何も起きない”。
それが、
異様だった。
かつて、
空は騒がしかった。
ワイバーンが飛び、
戦火が走り、
命がぶつかり合っていた。
だが今は、
違う。
すべてが、
“管理されている”。
王国城。
高い塔の上。
レグナは、
空を見上げていた。
白い光の球が、
規則正しく巡回している。
一定の間隔。
一定の速度。
感情のない、
完全な動き。
「……」
その光景を、
ただ見つめる。
これが、
自分の選んだ世界。
戦争のない空。
だが、
自由のない空。
その時。
背後から、
足音。
「報告です」
兵が、
緊張した声で告げる。
「無主地一帯の空域にて、異常を確認しました」
レグナの目が、
わずかに動く。
「……異常?」
「はっ」
「光の球が、一定範囲において反応していません」
沈黙。
「侵入を避けるような挙動を確認しております」
レグナは、
ゆっくりと振り返る。
「……それだけ?」
「いえ」
兵は、
言葉を選ぶ。
「同空域にて、未確認の巨大影を確認」
空気が、
変わる。
「形状不明。ただし飛行体でありながら、球が一切反応せず――」
一瞬、
言い淀む。
だが、
告げる。
「……ドラゴンの可能性が高いと判断されています」
沈黙。
風が、
塔を抜ける。
レグナは、
再び空を見上げた。
球は、
変わらず巡回している。
だが。
その外に、
“届かない領域”がある。
その事実が、
静かに胸に落ちる。
「……続けて」
レグナの声は、
静かだった。
兵は、
もう一つの報告を口にする。
「現在、その空域周辺にて、新たな自治領の形成を確認」
クロノスの目が、
わずかに動く。
「自治領……?」
「はい。王国、教国、帝国領から流入した難民による共同体と見られます」
「名称は――」
一瞬、
間を置く。
「アルカ・ドラグナ」
その名が、
空気を変えた。
レグナは、
ゆっくりと繰り返す。
「……アルカ・ドラグナ」
初めて聞く名。
だが、
どこかで。
“意味”を持っているように感じる。
「……続けなさい」
兵は、
頷いた。
「その自治領上空に、ドラゴンが常時滞在しているとの報告」
そして。
最後の報告。
最も重要なものを、
口にする。
「さらに――」
「その地にて、“ドラゴン騎士”の存在が確認されました」
沈黙。
空気が、
止まる。
「……ドラゴン騎士?」
レグナの声が、
わずかに揺れる。
「はい」
兵は、
まっすぐに言った。
「名は――ガイアス」
その瞬間。
空気が、
確かに変わった。
クロノスが、
小さく息を吐く。
「……やっぱり、あいつか」
どこか、
納得したように。
そして、
少しだけ笑う。
「無茶をして、ちゃんとやる」
「昔から変わりませんね」
レグナは、
何も言わない。
ただ、
空を見ていた。
球が、
巡回している。
完璧な秩序。
だが。
その外に。
もう一つの空が、
生まれていた。
自由な空。
守られる空。
人が、
選んだ空。
「……やったのね」
小さく、
呟く。
「ガイアス」
その声には、
驚きと。
そして、
わずかな安堵があった。
だが。
「……問題は、ここからです」
クロノスが、
静かに言う。
レグナは、
目を閉じた。
「ええ」
神に管理された空。
例外として存在する空。
その違いを、
人は知る。
そして。
必ず、
選び始める。
レグナは、
再び空を見上げる。
白い球が、
変わらず動いている。
だが。
あの空には、
届いていない。
その事実が。
世界を、
静かに、
確実に、
揺らし始めていた。




