第百八話「契約」
空は、まだ歪んでいた。
だが。
もう、
拒まれてはいない。
ガイアスは、
最後の柱を蹴った。
踏み込む。
跳ぶ。
その先。
“何もない空間”へと、
足を踏み入れる。
本来なら、
落ちるはずだった。
だが。
落ちない。
そこには、
“存在”があった。
見えない。
だが、
確かに、
足場がある。
「……ここか」
ゆっくりと、
息を吐く。
圧は、
変わらない。
だが、
さっきまでとは違う。
押し潰すものではなく、
“包むもの”へと変わっていた。
そして。
ついに。
“輪郭”が現れる。
巨大。
あまりにも巨大。
空そのものを、
歪ませる存在。
だが、
まだ見えない。
認識が、
追いつかない。
ただ、
“そこにいる”としか、
理解できない。
ガイアスは、
その前で、
立ち止まった。
剣も抜かない。
構えもしない。
ただ、
向き合う。
その時。
再び、
“意味”が流れ込む。
――何故。
短い。
だが、
重い。
問い。
ガイアスは、
少しだけ笑った。
「……やっと喋ったな」
声に出す。
だが、
返すのは声じゃない。
そのまま、
思考を乗せる。
「守りたいからだ」
迷いはない。
すぐに続ける。
「全部じゃねえ」
一歩、
踏み出す。
「世界も、空も、全部は求めねえ」
見上げる。
見えない存在を、
真正面から。
「俺が守れる分だけでいい」
その言葉に、
嘘はない。
誇張もない。
ただ、
事実だけ。
アルカ・ドラグナ。
あの場所。
戦争から逃げてきた者たち。
空に縛られず、
生きようとする者たち。
その光景が、
一瞬で脳裏をよぎる。
「……あそこだけでいい」
静かに言う。
「そこは、戦わせねえ」
拳を握る。
「その代わり」
一歩、
さらに踏み出す。
「そこは、俺が守る」
一瞬、王国。クロノス達の姿を思い出す。
クロノス達は自分達の選択をした。
彼らの選択は尊重する。
ガイアスがガイアスの選択をするまでだ。
視線を、
逸らさない。
「お前は、見てりゃいい」
沈黙。
空が、
わずかに揺れる。
だが、
何も起きない。
否。
“見られている”。
深く。
奥まで。
嘘がないか。
揺らぎがないか。
すべて、
確かめられている。
ガイアスは、
動かない。
逃げない。
隠さない。
そのまま、
晒す。
その時。
“応答”が来た。
意味が、
流れ込む。
“許容”。
それだけだった。
ガイアスは、
一瞬だけ、
息を止めた。
そして。
「……そうか」
小さく、
笑った。
その瞬間。
空が、
わずかに変わる。
圧が、
消える。
いや、
“外れる”。
選別が、
終わった。
そして。
初めて。
“視える”。
巨大な影。
翼。
空を覆うほどの、
存在。
だが、
完全には見えない。
それでも、
確かに。
そこにいた。
ガイアスは、
その存在を見上げながら、
静かに言う。
「……頼むぜ」
その言葉は、
命令でも、
願いでもない。
ただの、
約束だった。
その時。
遠く。
別の柱。
ヴァルターの身体が、
崩れ落ちた。
支えきれない。
血が、
流れ続けている。
左腕一本で、
なんとか踏みとどまっていたが、
限界だった。
「……は……」
かすれた笑い。
足が、
滑る。
身体が、
傾く。
そのまま。
落ちた。
柱の頂上から、
真っ逆さまに。
海へ。
風を切る。
落ちる。
落ちる。
だが。
その目は、
閉じていなかった。
「……いい」
小さく呟く。
「……なら……」
空を見上げる。
遠ざかる柱。
遠ざかる“領域”。
そして。
理解する。
「……人間じゃ、届かない…」
初めて、
認めた。
敗北ではない。
“限界”を。
だが。
その口元は、
わずかに歪む。
「……なら」
海面が、
迫る。
その直前。
「ぶつける」
次の思想が、
生まれていた。
神と。
ドラゴンを。
そのまま、
ヴァルターの身体は、
海へと叩きつけられた。
水柱が、
高く上がる。
そして、
静寂。
空では、
ガイアスが、
ただ一人、
立っていた。
新しい“空”の中で。




