第百六話「名を呼ばれるか」
圧は、消えない。
むしろ、
濃くなっていた。
ガイアスは、
ゆっくりと立ち上がる。
膝に残る重みを、
無理やり引き剥がすように。
呼吸が浅い。
だが、
止めない。
視線を上へ。
さらに上。
柱は、
まだ続いている。
その先。
“いる”。
見えない。
だが、
確実に。
そこに。
ガイアスは、
足を踏み出す。
音は、しない。
それでも、
確かに進んでいる。
跳ぶ。
蹴る。
次の柱へ。
空中で、
一瞬だけ身体が軽くなる。
だが、
着地と同時に、
再び重さが戻る。
世界そのものが、
拒んでいるような感覚。
「……上等だ」
小さく呟く。
その時だった。
“何か”が来た。
音ではない。
声でもない。
だが、
確実に。
意味だけが、
頭の奥に流れ込んでくる。
――。
言葉にならない。
だが、
分かる。
問われている。
ガイアスは、
わずかに目を細める。
「……なんだ」
返す。
声に出したわけではない。
だが、
確実に届いていると分かる。
再び。
――。
短い。
だが、
強い。
ひとつの概念だけが、
叩き込まれる。
“名”。
それだけだった。
ガイアスは、
一瞬だけ、
沈黙する。
「……名前、か」
理解する。
問われている。
お前は何者だと。
その時。
別の柱。
さらに上。
ヴァルターが、
止まった。
彼もまた、
“受け取っている”。
機械の生命補助装置が、
軋む音だけが、
わずかに響いた。
「……俺を、試す気か」
低い声。
怒りとも、
苛立ちとも違う。
挑戦する者の声音。
ヴァルターは、
顔を上げる。
見えない空を、
睨みつけるように。
「いいだろう」
踏み出す。
一歩。
さらに上へ。
圧が、
一気に増した。
空気が、
潰れる。
機械の継ぎ目が、
悲鳴を上げる。
血が、
にじむ。
それでも、
止まらない。
「……俺は、止まらん」
吐き捨てる。
だが。
次の瞬間。
“拒絶”が来た。
重さが、
桁違いに変わる。
膝が折れる。
片腕しかない身体が、
柱に叩きつけられる。
「……ッ!」
歯を食いしばる。
立ち上がろうとする。
だが、
押し潰される。
見えない何かに。
「……まだだ……!」
それでも、
諦めない。
顔を上げる。
その目は、
まだ死んでいなかった。
ガイアスは、
それを見ていた。
遠くから。
「……あいつ」
笑うでもなく、
呟く。
同じだ。
止まらない。
どこまでも。
違うのは。
向きだけだ。
ガイアスは、
ゆっくりと空を見上げる。
そして、
静かに言う。
「……お前が、空か」
戦うでもない。
挑むでもない。
ただ、
受け入れるように。
その言葉は、
自然と出ていた。
返答はない。
だが。
何も起きない。
圧は、
変わらない。
拒絶も、
ない。
ただ、
そこにあるだけ。
ガイアスは、
小さく息を吐く。
「……まだかよ」
焦りはない。
怒りもない。
ただ、
待つ。
それだけだった。
その瞬間。
空が、
止まった。
完全な静止。
風も、
空気も、
すべてが凍りつく。
時間が、
切り取られたような感覚。
そして。
“視線”。
見えない。
だが、
確実に。
向けられている。
ガイアスに。
真正面から。
身体が、
動かない。
だが、
逸らさない。
目を閉じない。
逃げない。
ただ、
見返す。
見えないものを。
その視線の中で、
ガイアスは理解した。
これは、
選ばれるかどうかではない。
“値踏み”だ。
存在そのものを。
その圧の中で。
ガイアスは、
ただ立っていた。
揺るがずに。
静かに。
燃えるように。
そして。
空が、
わずかに、
動いた。




