第百五話「音の消える空」
柱は、さらに上へと続いていた。
終わりが見えない。
ただ、
空へ。
ひたすらに。
ガイアスは、
登っていた。
一歩。
また一歩。
足場は狭く、
崩れかけている。
だが、
止まらない。
下を見る。
海は、
もう遠い。
船も見えない。
イリスの姿も、
見えなかった。
「……ここから先か」
小さく呟く。
そして、
踏み出す。
柱の外壁。
蹴る。
空中へ。
次の柱へと跳ぶ。
本来なら、
その瞬間。
光の球が反応するはずだった。
だが。
何もない。
完全な空白。
静寂。
着地。
音が、しない。
足が触れているのに、
響かない。
「……?」
もう一歩、踏み出す。
やはり、
音がない。
振り返る。
風も、
波も、
すべて消えている。
世界から、
音だけが抜き取られたような空間。
ガイアスは、
ゆっくりと息を吸う。
その瞬間。
“自分の呼吸音だけ”が、
異様に大きく響いた。
「……っ」
違和感。
外の音は消えている。
だが、
内側の音だけが、
やけに鮮明だった。
鼓動。
ドクン。
ドクン。
やけに重い。
強く、
近い。
ガイアスは、
ゆっくりと顔を上げる。
空。
歪んでいる。
遠くが、
近く見える。
近いものが、
遠く感じる。
距離が、
おかしい。
「……領域、か」
低く呟く。
その時。
視界の端。
柱の一部が、
崩れているのが見えた。
だが、
ただの崩壊ではない。
近づく。
触れる。
石が、
滑らかだった。
溶けている。
いや、
焼けている。
ガラスのように、
変質している。
「……これ」
理解する。
何かが、
通った。
ただそれだけで、
この質量を、
この硬度を、
変えてしまう。
ガイアスは、
目を細める。
「……通り道か」
その時。
上。
さらに上の柱に、
影が見えた。
人影。
ヴァルター。
すでに、
先にいる。
さらに高く。
さらに奥へ。
ガイアスは、
口元をわずかに緩める。
「……やるな」
だが、
次の瞬間。
空気が、変わった。
重い。
圧が落ちる。
身体が、
沈む。
「……っ」
膝が、
わずかに落ちる。
踏ん張る。
だが、
重い。
空気が、
押し潰してくる。
息が、
浅くなる。
視界が、
揺れる。
それでも、
目を逸らさない。
上を見る。
空。
何もない。
だが、
確実に“いる”。
見えない。
だが、
そこにある。
存在だけが、
世界を歪めている。
ガイアスは、
ゆっくりと膝をついた。
初めてだった。
強制されたわけではない。
ただ、
理解した。
これは、
そういう存在だと。
「……これが、あいつか」
低く呟く。
恐怖はない。
ただ、
納得だった。
その瞬間。
空が、裂けた。
雲が、
横に流れる。
何かが、
通過した。
一瞬。
影。
巨大な輪郭。
だが、
見えない。
認識できない。
ただ、
“いた”と分かる。
その余波だけで、
柱が軋む。
空間が、
震える。
そして。
静寂が戻る。
何事もなかったかのように。
だが。
確かに、
通った。
ガイアスは、
ゆっくりと立ち上がる。
呼吸を整える。
そして、
上を見る。
さらに上。
まだ、
届いていない。
だが。
確実に近づいている。
その目に、
迷いはなかった。
ただ、
静かに燃えていた。




