境界のK (プロローグ)
ダア―ン。
手のひらを机に叩きつける音が響いた。
「どーして、こうなった⁈」
ガチギレの叫び声を発しながら手のひらを机に叩きつけたエリカは、荒い息を吐きながら肩を上下させていた。
ここは地下都市“天の岩戸”の政府関連施設内の一室。
東雲エリカが監禁されている部屋である。
牢屋みたく鉄格子はないが、窓はなく、電子ロックの扉がある部屋だ。
ベッドや簡易トイレ、洗面台、机などがコンパクトに配置されている。
彼女は数日前からここに監禁されているのだ。
(なぜ、私はこんなところに捕まっている? 全人類のための仕事をしていたはずじゃなかったの?)
つい数日前まで彼女は、メタバース世界“高天原”の研究所で、父・東雲仁の遺志を継ぎ、母・燈子の研究を超えるためにワクチン開発に没頭していた。
地下生活を余儀なくされた人類が、地上へ帰還するために絶対に欠かせないもの。対ビーストウィルス用ワクチン。新型ウィルスのビーストの毒性を無力化できる唯一のものである。
エリカはその生成方法を確立、コンピュータ上で実証実験を繰り返していた。
そして――それはついに完成した。
これを現実のワクチン生成に転用して、そのワクチンを大量生産して全人類に投与すれば地上世界からビーストウィルスを駆逐できる。
東雲エリカの名は、人類の救世主として歴史に刻まれる――
はずだった。
だが政府は、成果を称えるどころか、研究データをすべて没収したうえに彼女を逮捕した。
(朝、自宅の玄関を出たところで逮捕。ここに連れてこられてから数日たった。
落ち着きを取り戻したエリカの頭脳は、集めた情報を整理し始めた。
彼女の容疑は、国家反逆罪、および重要機密情報漏洩防止法違反とのこと。
(まったく心当たりはない)
確かに研究はメタバース世界で、スーパーコンピューターにして世界最高峰の生成AIである“AMATERASU”を使って行っていた。限られた人材と制限された環境内でしか行われていないので漏洩リスクは低い。が、ゼロではない。
世界中の都市国家が、この研究開発でしのぎを削っているのだ。思いも寄らない方法や手段で情報を盗まれる事はある。
しかし、それならば、何らかの接触が彼女自身、周囲に対してあってもよさそうなものだ。
ところがそんな形跡は、まったく残っていない。彼女自身も漏洩には気を使っているので、セルフチェックを欠かしていない。
ましてや、国家反逆罪なぞ想像もできない。これまで忠実に仕事をこなしてきたのだ。
(となると、これは冤罪、いや、でっち上げによる私の抹殺・・・)
秘密を知っている人物に対する口封じ。
(むしろ、こっちか)
政府は、地上に戻った時の他国に対する優位性を考え、ワクチンの独占を目論んでいる。そのためにエリカを拘束している。
(有りかなぁ)
となると、このまま一生監禁生活、いや、ホントに消される?
(このまま、ここにいては絶対にアカンやつだ)
エリカは脱走の機会を窺う事にした。
この施設に来てから、エリカは人間との接触がほぼなかった。
彼女が持っていた持ち物は、拘束時にすべて取り上げられたので、外部との接触する手段がなかった。
それどころか、彼女は人間と会っていない。
全てロボットが相手である。
彼女が逮捕された時も、相手はロボットの警官だった。
ビースト禍で人口そのものが大きく減少しているし、感染対策で人的接触を避けているのが一般的である。
代わりに各種ロボットが活躍している。もちろんロボット工学が劇的に発達したのが直接の原因だが、地下都市のインフラを管理維持している“AMATERASU”が、全てのロボット達を管理下に置いていた。
彼女を監視しているのは、彼女を逮捕した時と同じロボットだ。取り調べから食事の配膳までエリカの身の回りの世話を全てやっている。
その姿は下級兵の軍服を身に纏っているが、頭部は銀色の金属のしゃれこうべであり、両の目は赤く光っていた。
(映画か、何かに出てきそうな奴・・・)
そいつは逮捕直後の取り調べの時は高圧的な態度だったが、配膳の時は人(?)が変わったように愛想がいいのである。
「サァ、ショクジノジカンダ。シッカリタベテ、エイキヲヤシナエ。」
「コンカイハ、イチゴツキダ。レンニュウモカカッテイルゾ。」
取り調べ後の夕食を運んできたロボットは恩着せがましく言って、食事の載ったトレイを机の上に置いた。
「機嫌を取ろうって。小賢しい。」
ロボットの思いつきか何か知らないが、人の好物で機嫌を取ろうなんて片腹痛いわ。
しかしロボットは配膳が終わると、さっさと部屋を出て行った。
確かに練乳がかかったイチゴは大好きだった。
エリカはふと思い出した。
「……“SHIKI”、どうしてるかな。」
“SHIKI”は幼い頃から共にいた相棒AIで、リアル世界では眼鏡型端末、メタバース世界“高天原”では金髪碧眼のイケメンの姿で彼女と行動を共にしていた。いつも彼女を支えてくれた存在だった。拘束時に端末を取り上げられたので、今はどこいるのかも分からない。
身近な“SHIKI”と離れて、まだ数日しかたっていない。これだけで、こんなにも孤独なのかとエリカは初めて知った。
眠れない夜が続いた。
普段は気丈な彼女だが、気づかないうちに、じわじわと自身の不安を増幅させていっていた。
そんなある日のことだった。
(エリカ)
懐かしい声がエリカの頭の中に響いた。
“SHIKI”⁉
エリカは思わず、周囲を見回した。
しかし監禁部屋には彼女一人しかいない。
(“SHIKI”なの?)
声は出さずに、心の中で尋ねた。
(あなたどうやってアクセスしてきたの? 端末は取り上げられたままなのに・・・)
端末が手元になければ、接触はできないはずである。
(すまない。それは言えない。どこで盗聴されているかわからないし)
“SHIKI”はさらりと言った。
だが“SHIKI”は人類が使っているネットワークを統括している“AMATERASU”と同等の権限を持つAIである。
どこかの端末を経由してエリカに接触してきたのだろう。
(……Kが動いたらしい)
(えっ⁈)
“SHIKI”の言葉にエリカの心臓が跳ねた。
(地上世界で行動が確認されたらしい)
“SHIKI”は続けて言った。
K。
幼い頃、施設に面会に来てくれた優しいおじさん。
両親の死に関わっているという噂を耳にしたが、エリカは信じなかった。
しかしエリカの成長と共に、Kおじさんの足は遠のいていった。
もう十年ぐらい会っていない。
「Kおじさん。」
懐かしさがこみ上げてくる胸の奥で、何かが形を持った。
『両親の謎の死』
『開発したばかりのワクチンの奪取』
『そして今、再び姿を現した“K”』
すべてが一本の線で繋がり始めた。
(……たぶんここにいてもダメね)
エリカは決意した。
“外”に出る。
Kのいる地上世界へ!!
次の日からエリカは、研究者としての観察眼と目的を持った時の思考力をフル稼働させて脱走プランを練りあげた。
もちろん監禁されているエリカでは得られる情報には限りがあったが、目に見えない“SHIKI”からの情報が大いに役立った。
そして――数日後の夜。
施設全体が一瞬、暗転した。
「……GO‼」
非常灯が赤く点滅する中、エリカは扉に飛びつくと全力で開けた。
電子錠でロックされている扉である。
普段であれば人力で動くはずがない。
が、あっさりと扉は開いた。
(Thank you “SHIKI”)
もちろん施設の電気系統に侵入し、停電を起こしたのは“SHIKI”だった。
エリカは開いた隙間に身体を滑り込ませた。
廊下に出た瞬間、警報がけたたましく鳴り響いた。
「拘束対象、脱走! 至急確保せよ!」
人工的な声が廊下内に響いた。
赤いライトが回転し廊下が血のように染まっている中、エリカは息を切らしながら廊下を走った。
(次、通路を右‼)
頭に“SHIKI”の声が響いてきた。
(了!!)
エリカは“SHIKI”のサポート通り通路の突き当りを右に入り、いったん物陰に隠れ、ここで呼吸を整える。
(安心してくれ。君を守る。それが僕の役目だ)
“SHIKI”の声が頼もしかった。
しかしその声にはノイズが混じっていた。
“AMATERASU” からの干渉だろうか?
もちろん妨害は予想できていた。
それでも――行くしかない。
「“SHIKI”……行くよ!!」
自分に喝を入れるように叫んだ。
廊下から非常扉に入り非常階段を一気に駆け下り、メンテナンス通路に入る。
ここは普段、一般人が立ち入れない区域である。
お世辞にも通りやすい通路ではなく、アップダウンの起伏が大きく、通路が分岐や合流を繰り返している。さらに通路の照明は薄暗く、視界が良くない。
だが、“SHIKI”からのサポート情報はエリカに直接伝達されて、3D化された建物の図面がエリカの脳内に展開されていた。
脳内の図面と目の前の光景を同時に認識できるエリカにとって、目的地である非常用エレベーターの座標を認識する事は難しくはなかった。
(100メートル直進。そこで左通路。さらに30メートル直進)
“SHIKI”からのガイドが次々と入ってくる。
(右に曲がり、やや上り坂になっている通路を直進)
(その先に地上へ続く非常用エレベーターがある)
脳内で展開されている図面上の右斜め上の少し離れた座標に、目的地である事を示す緑色の光点がある。これが非常用エレベーターホールなのだろう。エリカの位置は白い光点で示されている。
もうあと少しと言ったところか。
「⁈」
その時、エリカは振り返って後ろを見た。
脳内の図面には彼女が走ってきたルートが表示されている。そしてその逃走ルートをなぞる様に複数の赤色の光点が追って来ていた。
「追手が来るんでしょ? 分かっている‼」
再び走りながらエリカは叫んだ。
(思ったより速い。すぐに追いつかれるぞ)
“SHIKI”の言葉通り、赤い光点の追撃速度は速い。
「大丈夫。あなたがいてくれるだけで十分。」
(・・・)
“SHIKI”の声が一瞬、沈黙した。
廊下を駆け抜けたエリカは目的地のエレベーターホールの扉の前に到着した。
渾身の力で、通電していない金属の分厚い引き戸を開けた。
エレベーターホールに入ると、今度は再び全力の力で戸を閉めた。
「“SHIKI”、ロックして!!」
エリカは扉がロックされる音がしたのを見届けた。
(こんなものは気休めでしかない)
「でも、いきなり撃たれる事はないわ。」
彼女は小さく笑って、大きくないエレベーターホールを進んだ。
目の前には鉄格子がある。その奥にエレベーターはある。
「これが地上へと続くエレベーター・・・」
エリカは鉄格子を開けた。
(・・・)
だが、それはさらに地下深くまで続く穴の中空に浮かぶ、むき出しのゴンドラだった。
腰のあたりまでしか目隠しの板がなく、あとは骨組みのみ。
壁にワイヤーで固定されているものの、下からの強風に煽られてかなり強めに、右に左にと揺れている。
(これに、乗るんかーい‼)
あくまで非常用兼作業用のエレベーターである。
(コスパ重視? いやいや人が乗る物じゃないだろう!)
自然とエリカの足がすくむ。
だが、その時・・・
背後から激しい音が聞こえてきた。
ガン!! ガン!!
力任せに扉を殴打している。
初めから扉のロックを外すつもりなどなく、明らかに破壊するつもりの物音である。
(エリカ!! 追いつかれた!)
“SHIKI”の声が切羽詰まっている。
エリカは振り返り、ロックされているはずの扉を見た。
ガーン!! ガーン!!
騒音がなる毎に、みるみる扉が歪んで、隙間ができていた。
グズグズしていたら捕まる――
「わぁ――っ‼」
エリカは叫びながらゴンドラに飛び乗った。
彼女が乗った反動で、ゴンドラは大きく揺れた。
エリカはゴンドラにしがみつきながら、ゴンドラの柱に括り付けてあるコントローラーの上昇ボタンに拳を叩きつけた。
バシュー!!
破裂音とともにロックが解除され、壁からゴンドラが離れた。
支えを失ったゴンドラは、さらに大きく揺れた。
ゴン!!
下から突き上げるような感触があり、ゴンドラはゆっくりと動き出し上昇を始めた。
その時――
バーン!!
扉が吹き飛び、武装したロボット兵達がエレベーターホールになだれ込んできた。
一体のロボット兵が、ゴンドラを捕まえようと腕を伸ばして迫ってきた。
が――届かなかった。
ロボットの手は空を切り、勢い余った彼は奈落の底に落ちていった。
エリカはゴンドラの柱にしがみついたまま、残っているロボット兵達を見下ろした。
ロボット兵達が銃を構えた。
エリカは腰を屈めゴンドラの腰板に身を隠した。
が、撃ってこない⁉
エリカは腰板からそっとロボット兵を窺った。
指揮官らしきロボット兵が、銃を構えている部下たちを制していた。
(あいつじゃん・・・)
指揮官は配膳していたロボットだった。
指揮官はゴンドラを見上げた。
エリカは指揮官の赤い目と目が合った。
(・・・)
(えっ⁉)
エリカには、それが何か訴えているように見えた。
(一体、何を・・・)
ゴォー。
ゴンドラは加速して一気に急上昇をはじめた。
赤い目はみるみる遠ざかっていった。
(何なの? あれ!!)
だが、振り落とされそうになりながらゴンドラの柱にしがみついているエリカには、それ以上考える余裕はなかった。
やがてゴンドラが減速して停止した。
エリカはエレベーターホールの鉄格子の扉を開けた。
エリカはゴンドラを降り、エレベーターホールに立った。
このエレベーターホール自体は地上にあるが密閉されていて、地上世界とは遮断されている。
この外は荒れ果てた地上世界。
ビーストウィルスが蔓延し、人類が捨てた大地である。
(エリカ……気をつけて。地上は君の想像以上だよ)
“SHIKI”の声が微かに震えていた。
干渉のせいか、それとも――
「そうね。でも、行かなきゃ。」
エリカは拳を握りしめた。
「Kおじさんに会う。そして……全部、確かめる」
(わかった)
“SHIKI”の声が続けた。
(外への扉の横にあるロッカーの中にリュックを用意した。持っていくといい。君に必要な物が入っているはずだ。中にKのいる場所の座標を記したメモがある)
「ありがとう。」
エリカはロッカーからやや大きめのリュックを引きずり出し背負った。一緒にあったローブを羽織った。
(僕が案内できるのはここまでだ。地上世界では中継局がなく通信ができない)
「“SHIKI”、ありがとう。“SHIKI”がいないのは寂しいけどね。」
突然、エリカの脳裏に、“SHIKI”の顔が浮かんだ。メタバース“高天原”で行動を共にした金髪碧眼のイケメン野郎が優しく微笑んでいた。
胸にこみ上げて来るものを感じてうつむいた。
だがそれも一瞬。
不敵な笑みを浮かべて顔を上げたエリカの瞳は、強い決意に満ちていた。
こうして、東雲エリカの“境界”を越える旅が始まった。




