第99話 選び続ける世界
春だった。
いつの間にか、街路樹には新しい緑が増えていた。
あの最終決戦から、三か月。
世界は滅ばず、初期化もされず、驚くほど普通に続いている。
電車は遅れる。
天気予報は外れる。
SNSではどうでもいいことで炎上している。
完璧じゃない。
だからこそ、少し愛おしい。
⸻
朝。
俺は寝坊した。
「……やば」
時計を見て飛び起きる。
完全に遅刻だ。
慌てて着替え、パンをくわえて玄関へ向かうと――
ドアの前にアリアがいた。
「遅い」
「なんでいるんですか」
「迎え」
当然の顔だった。
「連絡くれれば……」
「三回した」
スマホを見る。
通知が並んでいた。
本当に寝坊していたらしい。
「……すみません」
「あとで反省文」
「厳しい」
彼女は少しだけ笑った。
「走るわよ」
⸻
通学路。
俺たちは並んで走る。
春の風。
朝の匂い。
急いでいるのに、妙に心地いい。
「……こういうの、前にもありました?」
俺が聞くと、アリアは少し考える。
「たぶん」
「曖昧ですね」
「あなたが忘れてるから」
ぐうの音も出ない。
⸻
学校では、何事もなく授業が進む。
教師の話。
眠そうな生徒。
窓の外の青空。
以前なら退屈に思ったかもしれない。
でも今は違う。
この何でもない一日が、誰かの試行結果じゃない。
今この瞬間にしかない時間だ。
⸻
昼休み。
屋上で弁当を広げる。
リゼは購買パンを山ほど抱えて現れた。
「今日の戦利品!」
カイはなぜか資料を持っている。
「観測群との共同運用案だ」
「昼休みにやる話じゃない!」
白い観測者――今は“ハク”と呼ばれている――も来ていた。
以前の無機質さは残っているが、制服姿だ。
なぜか似合っている。
「人間の学校生活を観察」
「潜入捜査みたいな言い方やめて」
⸻
リゼがパンをかじりながら言う。
「で、最近平和すぎない?」
ハクが即答する。
「小規模歪みは各地で発生」
「だが共同対処により沈静化」
カイが補足する。
「要するに、裏では仕事してる」
俺はため息をつく。
「休みたい」
アリアが即答した。
「昨日も言ってた」
「心読まれてる」
⸻
放課後。
小さなダンジョン反応が出た。
駅前地下街。
以前なら緊急事態だった規模だが、今は違う。
俺たちは現場へ向かう。
⸻
現場には避難誘導の警備員。
観測群のサポート。
人類側の探索者チーム。
連携ができている。
ハクが報告する。
「内部モンスター三体」
「脅威度低」
リゼが笑う。
「じゃ、サクッといこ」
⸻
十分後。
終わった。
俺が線を読み、アリアが斬り、リゼが吹き飛ばし、カイが封鎖する。
いつもの流れ。
帰り道、俺は少し笑う。
「慣れましたね」
アリアが答える。
「平和って、そういうものよ」
⸻
夕方。
屋上。
街がオレンジに染まっている。
皆は先に帰った。
残ったのは俺とアリアだけ。
⸻
「……なあ」
「なに」
「俺、最近思うんです」
「珍しいわね」
「失礼ですね」
少し笑ってから、続ける。
「世界を救うとか、大げさなことあったじゃないですか」
「ええ」
「でも、結局大事なのって」
街を見る。
信号待ちの人。
買い物帰りの親子。
遠くの部活の声。
「こういうの守ることなんだなって」
アリアは黙って聞いていた。
やがて、静かに言う。
「やっと気づいたの?」
「遅かったです?」
「かなり」
⸻
風が吹く。
俺は彼女を見る。
三か月経っても、まだ時々思う。
どうしてこんなに好きなんだろう、と。
全部の記憶は戻っていない。
でも、答えはもういらなかった。
⸻
「アリア」
「なに」
「俺、たぶんこれからも何回も迷います」
「知ってる」
「そのたびに、相談していいですか」
彼女は少しだけ目を細めた。
「許可する」
「上からですね」
「当然」
そして、少しだけ近づく。
「私も迷うから」
その言葉が嬉しかった。
完璧じゃない人が、隣にいてくれる。
それだけで十分だ。
⸻
夜景が灯る。
世界は今日も不完全だ。
事故もある。
失敗もある。
泣く日もある。
でも、誰かが誰かに手を差し出せる。
なら、きっと続いていける。
⸻
俺は手を伸ばす。
アリアは自然に握り返した。
⸻
「行きましょうか」
「どこへ?」
「明日へ」
彼女は少しだけ笑った。
「……くさい」
「ひどい」
でも、手は離れなかった。
⸻
選び続ける世界。
その一日一日を、俺たちは生きていく。




