第100話(最終話) 何度でも、初めての今日へ
朝だった。
窓の外で、鳥の声がする。
カーテンの隙間から差し込む光。
少し眩しくて、少し暖かい。
俺は目を開ける。
そして、最初に思う。
⸻
――今日も、始まる。
⸻
特別な警報はない。
世界崩壊の予兆もない。
空に裂け目もない。
ただの朝だ。
でも、それが奇跡みたいに思える。
⸻
スマホが震える。
画面には一件の通知。
アリア:起きてる?
その三秒後。
アリア:既読つけて
さらに五秒後。
アリア:寝てるなら行く
早い。
俺は慌てて返信する。
起きてます
すぐに返ってきた。
嘘っぽい
鋭い。
⸻
玄関を開けると、案の定アリアがいた。
制服姿。
腕組み。
少し不機嫌そうな顔。
でも、会えた瞬間に安心する。
⸻
「おはようございます」
⸻
「遅い」
⸻
「まだ約束の十分前ですけど」
⸻
「気分の話」
⸻
理不尽だ。
でも、懐かしい。
⸻
並んで歩き出す。
春の空気。
少し冷たい風。
通学路のざわめき。
何でもない景色が、ちゃんと愛しい。
⸻
「……見てる」
アリアが言う。
⸻
「見ますよ」
⸻
「毎回思うけど堂々としすぎ」
⸻
「好きなんで」
⸻
沈黙。
⸻
耳まで赤くなって前を向く。
⸻
「朝からうるさい」
⸻
でも歩幅は合わせてくれる。
⸻
学校。
授業。
昼休み。
屋上には、いつもの面子が集まる。
⸻
リゼはパンを五個持っている。
「今日は新作制覇する!」
⸻
カイは資料を広げている。
「共同管理区域の報告書だ」
⸻
「昼休みにやるなって!」
⸻
ハクは静かに弁当を観察していた。
「人間はなぜ揚げ物を好む」
⸻
「永遠の謎だね」
⸻
笑い声が響く。
⸻
こういう時間を守るために戦ったんだと、今ならはっきり分かる。
⸻
午後。
小規模なダンジョン反応。
駅前で十分。
郊外で二十分。
終わったあとはコンビニでアイスを買って帰る。
そんな世界になった。
⸻
夕方。
屋上。
空が茜色に染まっている。
皆は帰り、俺とアリアだけが残った。
⸻
風が吹く。
彼女の髪が揺れる。
その横顔を見ながら、ふと思う。
⸻
記憶は、完全には戻っていない。
失ったものもある。
思い出せない会話も、景色も、感情もある。
⸻
でも。
⸻
「……アリア」
⸻
「なに」
⸻
「もし俺が、また忘れても」
⸻
彼女は少しだけ目を細めた。
⸻
「またその話?」
⸻
「大事なんで」
⸻
「……続けて」
⸻
俺は息を吐く。
⸻
「また最初から、好きになります」
⸻
沈黙。
⸻
夕焼けの光が、彼女の頬を赤くする。
⸻
「……知ってる」
⸻
小さな声。
⸻
「私も、そのつもりだから」
⸻
胸が熱くなる。
⸻
俺は手を伸ばす。
アリアは自然に握り返した。
⸻
何度目かも分からないこの感覚が、初めてみたいに嬉しい。
⸻
空を見る。
裂け目はない。
誰かが管理する線もない。
あるのは、無数の未来。
迷って、間違えて、選び直せる線たち。
⸻
完璧じゃない世界。
だから、進める世界。
⸻
「……これから、どうしましょう」
⸻
アリアは少し考えてから言った。
⸻
「まずは進級」
⸻
「現実的」
⸻
「次に、ちゃんと卒業」
⸻
「さらに現実的」
⸻
「そのあと……」
⸻
珍しく言葉を止める。
⸻
「そのあとも、たぶん一緒」
⸻
一瞬、息が止まる。
⸻
「……それ、かなり告白ですよ」
⸻
「今さら?」
⸻
たしかに。
⸻
笑ってしまう。
彼女も少し笑った。
⸻
世界は続いていく。
事件も起きるだろう。
また戦う日もあるだろう。
迷って、失って、泣く日もある。
⸻
それでも。
⸻
一人じゃない。
⸻
なら、きっと大丈夫だ。
⸻
俺は夕焼けの街を見下ろす。
誰かの初めての今日が、そこら中で始まっている。
⸻
そして俺たちもまた、始める。
⸻
何度でも。
⸻
初めての今日へ。




