第81話 選べない夜
雨だった。
細く、冷たい雨が街を濡らし続けている。
ネオンは滲み、道路の光は水たまりの中で揺れていた。
そんな夜に限って、嫌な予感はよく当たる。
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「……二重発生?」
リゼの声が低くなる。
本部から送られてきた緊急通知。
同時刻、別地点。
二つのダンジョン異常反応。
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片方は郊外の住宅街。
もう片方は、駅前の地下街。
どちらも人が多い。
どちらも放置できない。
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「最悪ね」
アリアが短く言う。
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カイはすでに端末を見ていた。
「戦力は足りん。分けても不足する」
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つまり。
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どちらかを優先すれば、どちらかが遅れる。
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俺は空を見る。
雨粒の向こう、無数の“線”が見える。
未来へ繋がる流れ。
選択肢。
結果。
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だが。
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今日は、嫌になるほど見えていた。
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住宅街を優先すれば、地下街で多数負傷。
地下街を優先すれば、住宅街で取り返しのつかない犠牲。
分隊を分けても足りない。
干渉しても、完全には覆せない。
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「……っ」
思わず奥歯を噛む。
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アリアが俺を見る。
「どうするの?」
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その問いは、責めるものじゃない。
ただ、現実だった。
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俺は答えられない。
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“選ばない”と決めた。
誰かの代わりに決めないと。
そう言ってきた。
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なのに今は。
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決めなければ、どちらも傷つく。
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「……観測者なら」
俺は小さく呟く。
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最適解を出すだろう。
損失の少ない方。
助かる人数の多い方。
迷いなく。
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「でも、お前は違う」
カイが静かに言う。
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「……分かってます」
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リゼが珍しく真顔だった。
「時間ないよ」
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雨音だけが響く。
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そのとき。
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空気が静かに“整う”。
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来た。
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“観測者”。
姿は現さない。
ただ、見ている。
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「……選択点を確認」
声が頭に響く。
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「干渉個体。判断を要請」
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俺は睨む。
「……見てるだけか」
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「介入要請はない」
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冷たい答え。
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アリアが一歩前に出る。
「黙ってなさい」
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空気が揺れる。
だが、観測者は退かない。
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俺は目を閉じる。
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住宅街。地下街。
数字なら地下街だ。
人数なら地下街。
でも住宅街には、避難の遅れている子どもがいる。
地下街には、動ける人も多い。
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どちらにも理由がある。
どちらにも命がある。
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「……くそ」
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俺は、まだ迷っている。
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アリアが手を握る。
強く。
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「……一人で背負わないで」
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「でも……」
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「決めるのは、あなただけじゃない」
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その言葉で、はっとした。
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俺はずっと、“自分が選ぶか選ばないか”だけを考えていた。
でも。
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一人で選ぶ必要なんて、ない。
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俺は顔を上げる。
「リゼ。地下街、行けるか」
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リゼは即答した。
「任せな」
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「カイ、支援と誘導を頼む」
「了解」
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俺はアリアを見る。
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「住宅街、行きましょう」
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彼女は、少しだけ笑った。
「最初からそれでいいのよ」
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俺は空を見る。
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“線”が変わる。
未来が分岐し直す。
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完璧じゃない。
それでも。
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“誰かに押しつけた選択”じゃない。
皆で引き受けた選択だ。
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「……行くぞ!」
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雨の中を駆け出す。
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住宅街では、崩れた家屋の奥から泣き声がしていた。
アリアが迷いなく瓦礫を斬り裂く。
俺は干渉で崩落を止める。
中から、子どもを抱えた母親が出てくる。
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「ありがとう……!」
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その声に、胸が少しだけ軽くなる。
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一方、通信越しにリゼの笑い声が聞こえる。
『地下街、片づけた! でも人多すぎ! 手伝って!』
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「今行く!」
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走りながら、俺は空を見た。
観測者の気配はまだある。
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「……確認」
声が響く。
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「単独最適ではなく、分散協調による解決」
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「効率低下」
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少し間があって。
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「……だが、損失は許容範囲内」
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俺は笑った。
「褒めてる?」
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返事はない。
だが、気配は少しだけ遠ざかった。
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地下街に着くと、リゼが派手に笑う。
「遅い!」
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カイは冷静に指示を飛ばしていた。
「西側通路が詰まってる。ユウト、開けろ」
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「了解」
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俺は干渉で崩れた通路の圧力を逃がし、道を作る。
人々が流れ出す。
泣き声。安堵。怒号。雨音。
全部が生きている音だった。
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数時間後。
すべてが終わったころ、夜明け前の空は少し白んでいた。
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俺は屋上で一人、雨上がりの街を見る。
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アリアが隣に来る。
「後悔してる?」
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少し考えてから、首を振る。
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「……してないです」
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本当は、完璧じゃなかった。
もっと上手くやれたかもしれない。
それでも。
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「一人で決めなかったから」
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アリアは小さく頷いた。
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「それでいい」
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手が触れる。
自然に、繋がる。
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空の奥で、見えない視線がまた揺れた。
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選べない夜だった。
でも、選ばなかったわけじゃない。
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皆で選んだ。
それだけで、少し世界は違って見えた。




