第60話(最終話) 忘れても、またここから
「……ここ、どこだろ」
風が吹く。
やわらかい光。
見慣れたはずの景色。
だけど――
少しだけ。
遠い。
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屋上。
街を見下ろす場所。
俺はゆっくりと辺りを見渡す。
「……なんでここに」
思い出そうとする。
だが。
うまく繋がらない。
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胸の奥に。
違和感。
ぽっかりとした空白。
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そのとき。
隣に気配。
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「……起きた?」
声。
静かで。
少しだけ柔らかい。
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振り向く。
そこに。
一人の女性。
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銀色の髪。
真っ直ぐな視線。
どこか――
安心する。
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「……あなたは?」
思わず聞いていた。
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一瞬。
ほんの一瞬だけ。
その人の目が揺れる。
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だが。
すぐに。
小さく息を吐いて。
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「……アリア」
そう名乗った。
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「アリア……」
俺はその名前を繰り返す。
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なぜか。
しっくりくる。
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「……初めまして?」
少しだけ冗談めかして言うと。
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アリアは。
ほんの少しだけ。
笑った。
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「……そうね」
小さく。
「初めまして」
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そのまま。
一歩近づいてくる。
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距離。
近い。
かなり。
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なぜか。
嫌じゃない。
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むしろ。
落ち着く。
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「……ね」
アリアが言う。
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「はい」
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「これから」
少しだけ間を置いて。
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「一緒にいてもいい?」
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その言葉。
初めて聞いたはずなのに。
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なぜか。
迷いはなかった。
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「……はい」
自然に。
答えていた。
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その瞬間。
アリアがほんの少しだけ目を閉じる。
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「……ありがとう」
小さく。
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そして。
そっと。
手を伸ばしてくる。
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俺の手に。
触れる。
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温かい。
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その瞬間――
胸の奥。
何かが。
強く反応する。
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「……あれ」
記憶じゃない。
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感覚。
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“知っている”。
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この温もりを。
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「……どうしたの?」
アリアが聞く。
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俺は少しだけ首を振る。
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「……分からないけど」
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手を握り返す。
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「安心します」
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その瞬間。
アリアの表情がわずかに崩れる。
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嬉しそうに。
少しだけ。
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「……そう」
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そのまま。
手を離さない。
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風が吹く。
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静か。
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だが。
不思議と。
空白は怖くない。
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なぜなら。
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隣に。
この人がいるから。
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「……ね」
アリアが小さく言う。
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「はい」
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「もし」
少しだけ視線を逸らす。
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「全部忘れても」
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そして。
もう一度。
こちらを見る。
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「また、ここから始めましょう」
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まっすぐに。
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俺は少しだけ笑う。
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「……いいですね」
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その瞬間。
アリアがほんの少しだけ笑う。
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「……でしょ」
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遠く。
街の音。
人の声。
日常。
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すべてが。
続いていく。
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そして――
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俺たちも。
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手を繋いだまま。
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歩き出す。
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たとえ。
何度忘れても。
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そのたびに。
また出会えばいい。
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それだけで。
十分だから。
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⸻
完




