93話 兵庫県大会決勝VS神戸海稜⑤
『六回の裏、千庄高校の攻撃は、一番セカンド、関長さん』
一点を勝ち越された裏の攻撃、千庄の攻撃は打順良く、一番の明日葉から始まる。対する神戸海稜のマウンドには、沙音璃が立ち続ける。
両者の間合いの取り合いが続いた後、沙音璃はワインドアップから、大きく振りかぶった。初球、大胆にも高めのストレートがキャッチャーのミットを貫く。明日葉のスイングは、空を切った。球審の右腕が上がる。
明日葉の空振りは珍しい。ストレートに強い明日葉が当てることもできないのだから、沙音璃の球がよっぽどの威力を誇っているのだろう。
二球目、相手バッテリーはスライダーを選択する。
「ストライーク!」
横に逃げていく外寄りの球を、明日葉は見逃す。五回までで一二個の三振を奪っている沙音璃だが、この回はより一層キレを増している。表情にも鬼気迫ったものが見える。やはり、逆転をした後の守りだ。流れを私たちへ渡したくないという、強い意志を感じる。
三球目、内角高め、明日葉の体に近いところを通るストレートだった。危ない球だったが、明日葉は一切避けようとしない。左腕のユニフォームの端へとボールを当てデッドボールを狙おうとしていた。
「ボール!」
しかし試みは外れ、ボールはかすりもしない。ただこの試みには、明日葉の執念が窺える。
ここで出塁できるかできないかは、試合の流れを大きく変える。明日葉も、沙音璃も、それを分かっている。だからこそ、対決に熱が入る。
四球目、勝負は決する。外角へのスライダーを明日葉は逆らわない。ライト前へと芸術的に流し打ち、ヒットとなる。
ノーアウトで、同点のランナーが出塁した。そして打席に立つのは、私だ。
『二番ショート、青見さん』
沙音璃の瞳は、強く私を据えた。私は気にせず足場を均し、ベンチのサインを見る。芹沢先生のサインは、“二人に任せる”だった。
ノーアウトで一塁ランナーは超俊足、どんな作戦だって考えられる場面だ。盗塁、ヒットエンドラン、ランエンドヒットもある。バントしたっていい。でも、得点確率が最も高いのは、明日葉が盗塁し二塁を陥れ、私がタイムリーヒットを打つことだ。きっと明日葉もそれをわかっていて、初球から盗塁を試みる。
明日葉の盗塁を予想しているのは、味方だけじゃない、相手も当然、明日葉の足を相当警戒している。沙音璃は二回ほど、一塁への牽制をした。それでも初球、明日葉は走った。
投球動作が限りなく少ない、クイックモーションで沙音璃がボールを繰り出す。低めのストレート、私は見逃す。キャッチャーは捕球後すぐに二塁へ送る。
「セーフ!」
明日葉のスライディングはタッチを掻い潜る。警戒に警戒を重ねられた中の盗塁成功で、ノーアウト二塁と、同点のチャンスが生まれる。
沙音璃は驚く様子も悔しがる様子もなく、淡々と味方からボールを受け取った。きっと、あとの連中を抑えれば問題ない、ぐらいには思っている。
セットポジションに沙音璃は入る。今度はランナーを見もせず、投球モーションに移る。ワンストライクからの二球目、バッテリーは強気にストレートを続ける。
「ファウル!」
比較的甘い球だったが、捉えきれない。真後ろに飛ぶファウルとなり、ツーストライクと追い込まれる。
変化球も予想したけど、来たのはストレートだった。しかも、過去二打席よりも威力が増した球だ。甘く、コース的に捉えなきゃいけない球だったけど、球の力に負けた。
沙音璃の中でなにか吹っ切れたのか、球筋的にも、配球的にも、変化が現れている。ただ誰よりも速いストレートで、私を力で抑えようという、強い想いを感じる。
そして、三球目もストレートだ。
「っ……」
伸び上がるようなストレートに押され、打ちにいくも、完全に詰まらされる。バットの根っこに当たり、にぶい音が鳴る。両腕にしびれが走る。打球は力なく、無造作に転がる。
ところが、飛んだ場所が良かった。ショート前への転がった打球、相手は迅速に処理した。でも、私の足の方が速く、一塁は、
「セーフ!」
一塁審が大きくジェスチャーした。ショートへの内野安打となる。明日葉はその間、三塁へと進む。ノーアウトで一三塁、チャンスは広がる。
さっきの守りでは意気消沈していた千庄は、一気に活況を取り戻し、球場を熱気で包み込む。だけど一塁ベース上の私は、その熱狂に一人取り残されたよう、自分の両手を見つめていた。
白いバッティンググローブをした手には、未だしびれが残る。あまりの球のスピードにバットが遅れに遅れ、完全に詰まらされてしまった。ずっと出塁し続けている今大会、ここまで意図しないバッティングをさせられたことはなかった。それだけ、沙音璃の球が素晴らしかったということだ。
でも、結果はヒットだ。二十何打席だか続く連続出塁の記録、大会出塁率十割という記録も、継続となった。こんなラッキーな形で続くと、なんだか野球の神様が記録を応援してくれている気がする。
『三番センター、相庭さん』
ここでチームの副キャプテン、すみれ先輩に回ってくる。ノーアウト一三塁、クリーンナップといえど、スクイズもあり得る。でも、先生からのサインは何も無し、すなわち、すみれ先輩のバッティングに打撃に賭ける、ということだ。
一塁ランナーの私は先輩に目配せした。左手で頭を二回叩く。盗塁の合図、私は二塁を狙う。三塁には明日葉がいるし、私はほぼノーリスクで走れると思う。
初球、さほど小さくないモーションで沙音璃はボールを投じる。左足が上がった瞬間、スタートする。
一瞬ホームを確認し、すみれ先輩がストレートに空振りしたのを見る。あとは脇目も振らず二塁へ走る。
「セーフ!」
盗塁成功でノーアウト二三塁、同点どころか逆転のチャンスができる。
状況は変われども、サインは変わらなかった。すみれ先輩へのバッティング頼みだ。二球目、キャッチャーが立ち上がった。海稜バッテリーはスクイズを予期したか、球を大きく外す。
ワンストライクワンボールとなった三球目は、またしてもストレートを貫いてきた。矢のような直球に、先輩のバットは空を切る。そして四球目、
「ストライクッ、バッターアウト!」
ストレートが唸る。キャッチャーミットが気持ちの良い音を立てる。内角低めにズバッと決まる球に、スイングすらさせてもらえない。見逃し三振で、アウトカウントだけが一つ増える。
間違いなく、沙音璃のギアは上がってきている。前半もフルスロットルでの投球に見えたのに、まだ上があった。絶望感ある。でも、なんか、嬉しさも感じている私がいた。
四番の星奈先輩も、三球で充分だった。ストレートとスライダーのコンビネーションで三振を奪う。これで十四個目の奪三振だ。
これでツーアウト、ランナーは動けず、アウトカウントだけが積もっていく。
『五番キャッチャー、弓削さん』
日菜子先輩が右打席に入った。初球は、みんなが予想した通りであろう、ストレート。外角低めいっぱい。
「ストライク」
無慈悲にも、球審はストライクを宣告する。今の沙音璃から最終回もチャンスが簡単に作れると思わない。ここで同点にしとかないと、きつい。
「なんとかして! 先輩!」
二球目、今度は内角低めへのストレート。抜群に制球されていて、コースいっぱいを寸分の狂いもなく突いていた。ツーストライク、もう後がない。
勢いに任せストレートを続けるか、スライダーで料理しにかかるか、読めない。私にできるのはただ祈ることと、次の走塁への準備しかない。
三球勝負、内角へストレートがやってくる。先輩は腕を畳んだスイングで立ち向かう。芯で捉えながら少し詰まった打球は、コース良く、三遊間に飛ぶ。ショートは追いつき、踏ん張り、一塁へ遠投する。
「セーフ!」
あんまり足の速くない日菜子先輩だけど、懸命に走り、セーフをもぎ取った。三塁ランナーの明日葉がホームを踏み、まず同点。さらに、逆転を狙い、私も走る。
ショートの送球を見て、迷わず三塁を蹴っていた。一塁審の“セーフ”を聞いたファーストは、すぐに私の試みに気付き、ホームへボールを送る。私は頭から突っ込む。プレーが交差する。
でも、私の左手が本塁に触れるほんのわずか前、キャッチャーミットが腕に触れたのが分かった。球審はタッチを見逃さず、「アウト!」と右手を上げた。
◇◇◇◇
「欲張りすぎ」
「ごめんなさい……」
ホーム突入に失敗し、うなだれながらベンチに戻った私は、明日葉に軽く頭を叩かれた。
「でも、わたしならセーフだったけどね」
「……かもね」
確かな根拠はなくとも、仮に私でなく明日葉が二塁ランナーだったら、成功し逆転できていた気がする。
試合は2-2の同点となり、最終回に向かっていく。逆転とはいかなかったものの、同点にすることができ、千庄ベンチは明るさを取り戻した。この流れのまま守りを速攻終わらせ、裏の攻撃でサヨナラといきたいところ。でも、拭えない懸念点が私たちの間に存在する。
マウンド上、この回も綾乃が続投する。六回の投球は、いつもの速球が鳴りを潜め、ボールも制球できていなかった。
先頭の九番バッターは、二球目を打ち上げ、サードへのフライに打ち取った。とはいえ、投球は甘く、バッターが打ち損じただけ。ラッキーだった。
『一番センター、中嶋さん』
海稜打線は四巡目に入る。上位打線、より一層気を引き締めたいところだったが、綾乃は初球を打たれた。
甘く入ったスライダーを簡単にはじき返され、センター前ヒット。出したくない俊足のランナーが出塁する。
ここで芹沢先生がベンチを出て、ピッチャーの交代を告げる。ブルペンで投球を続けていた奈桜先輩がマウンドに上がる。綾乃はライトへと戻ることとなった。
綾乃には、終盤のプレッシャーがかかる場面は肩の荷が重かったのかもしれない。とはいえ、彼女がそういう弱いところを克服していってくれないと、千庄が全国制覇を成し遂げるのは厳しい。
『二番セカンド、佐藤さん』
勝ち越しのランナーが出た状態での最終回の登板、奈桜先輩にとっても、プレッシャーがかかるシチュエーションである。
でも、さすがは数々の経験を持つ三年生だ。冷静で投球を組み立て、二番バッターをキャッチャーフライに打ち取る。
『三番ピッチャー、上橋さん』
ラスボス登場じゃないけど、一気に緊張感が高まる。一振りで試合を決めることができる沙音璃相手に、バッテリーは慎重に攻める。ボール球を振らせようとするが、沙音璃はまったく誘いに乗らない。四球ボール球が続き、フォアボールとなる。
ワンアウト一二塁、再び勝ち越しを許しかねないピンチ、相手の四番、西川さんが右打席に入る。沙音璃にはバッターとして劣れども、この人も全国屈指のバッターだ。
奈桜先輩、日菜子先輩は四番相手にミスを犯さなかった。決して打ちごろは放らなかった。それでも四球目、外角のカーブをライト前に運ばれる。
二塁ランナーは三塁を蹴った。しかし急ブレーキをかけ、三塁に戻る。ライトは綾乃、超強肩だ。糸を引くような送球がキャッチャーへと送られる。
「あっぶな……」
奈桜先輩の投球は全然悪くなく、バッターを褒めるしかできない。見事なタイムリーを食らったと思ったが、首の皮一枚繋がった。綾乃がライトで良かった。
『五番ファースト、森さん』
絶体絶命のピンチは続く。クリーンナップの三人目、左バッターの森さんが打席に入る。日菜子先輩が奈桜先輩になにか声をかけが、歓声にかき消されよく聞こえなかった。
「さっきの打席のあなたの球、とってもよかった。なんか、吹っ切れた感じ」
意外なことに二塁にやってきた沙音璃に、私は無意識に話しかけた。私たちの会話はいつも沙音璃から始まるから、自分でもびっくりしている。それだけ、さっきの沙音璃の球に心動かされたのだと思う。
「……認めるよ。君はあたしの想像以上だって」
沙音璃は瞳を細め、私を見る。
「だから、あたしも自分の想像を超えなきゃいけない。小細工はやめて、ただ百パーセントを超えて百二十パーセントを目指してっていう気持ちだった。でもどうやら、それでも当てられたから、君から三振を奪うには、百五十パーセントが必要かもね」
沙音璃は微笑んだ。優雅さの中にも、力強さを感じる瞳、表情、声だった。こういう形で出会わなければ、ファンになっていたぐらい。
「沙音璃のそういうところ、好き。もっと楽しい勝負、しよ」
五番の森さんが四球目を打ちにいく。高く上がったフライは、長い滞空時間をへて、最後は明日葉のグラブに収まった。
◇◇◇◇
七回裏、一点でも取れば勝利の千庄の攻撃は、六番の綾乃からだったけど、一瞬で終わった。
無駄球無し、六番綾乃、七番乃愛、八番奈桜先輩に対し、ストライクを九球連続で奪う。三者三球三振、これで奪った三振は、七回にして一七個に達した。
2-2、試合は七回で決着が着かなかった。県王者、そして全国への切符をかけた千庄と神戸海稜の決勝は、二年連続で延長戦に突入する。




