94話 兵庫県大会決勝VS神戸海稜⑥
同点のまま試合は延長戦、八回表に入っていく。千庄は、前の回に好リリーフを見せた奈桜先輩が続投する。神戸海稜の打順は六番からで、下位打線が続いていく。テンポ良く三人で終わり、裏の攻撃につなげたい。
奈桜先輩は、先頭打者に対しストライク先行で、球威も走っていた。やはり七回のピンチを乗り越えたことで、気分も乗ってきたのだろう。二球で追い込み、ボールを挟んだ後の四球目、バッターを完全に打ち取る。弱いゴロがサード前に転がる。
でも、美月が取り損ねる。ボールがグラブに入ってくれない。落ちたボールをすぐに拾いにいくが、お手玉をするようにボールは手につかない。結局一塁に投げることすらできず、エラーが記録される。
スコアボードにエラーのランプが点る。ノーアウト一塁、最悪の形で先頭打者が出塁した。喜ぶ神戸海稜と対照的に、千庄に不穏な空気が流れる。
数秒間下を向き、唇を噛んでいた美月が顔を上げた。悲痛な表情そのままに、「す――」と口を開いた。おそらく謝罪を口にしようとしていることを察した私は、
「美月、気にしないで、切り替えてこ。奈桜先輩も、その調子でいきましょう」
「は、はい……」
「おっけー」
今まで美月がチームに果たしてきた貢献を考えると、一個のエラーなんてちっちゃなものだ。さらに、この試合は両チームノーエラーで進んできた。一個ぐらいここで出ても、確率的に不思議じゃない。
でも、いくら周りが気にしなくとも、美月は自らを責めしまうだろう。その責任の呪縛から逃れさせてやるには、この場をゼロで乗り切り、試合に勝つしかない。
続く七番はセオリー通り送りバントを試みた。やや強めにピッチャー前に転がったバントだったが、奈桜先輩は無理せず一塁へ送球する。
ワンアウト二塁と、一打で勝ち越されてしまうピンチを迎え、八番九番と打線でも一番弱いところに回ってくる。なんとか二人を打ち取り、一番を迎えることなくこの回の守りを終えたい。
八番打者、右バッターの与田さんは、六回に二点目となるタイムリーヒットを放っている。バッテリーは内角を強気に攻めた。二球目、内角へのシュートで詰まらせる。私へのゴロとなる。冷静に捌き、二つ目のアウトカウントが入る。あと、一人だ。
『九番レフト、中原さん』
九番は、フォアボールでもデッドボールでもとにかく出塁し、一番に回そうという気迫を見せた。奈桜先輩は二球で追い込んだものの、中原さんはバットを最大限に短く持ち、粘りに粘る。
気付けば九球目、カウントはツーストライクスリーボール、フルカウントに至る。十球目、外角いっぱいへスライダーが決まる。バッターはバットを出しかかるが、ギリギリで止める。
「ボール!」
コールを聞いた瞬間、バッターは手を叩き喜びを全面に表しながら一塁へ向かった。三塁側スタンドが湧き、『一番センター、中嶋さん』というアナウンスで、さらに盛り上がる。
ツーアウト一三塁、今日何度目だろう試合の分水嶺、決着は初球だった。
少し中に入ったスライダーをバッターは真芯で捉えていく。強いライナー、最高の当たりがセンターへ伸びていく。
ヒットを予感し、息が詰まった。でも、当たりが良すぎた。ぐんぐん伸びていった打球は、外野芝生に落ちなかった。頭から飛び込んでいったすみれ先輩は左手を最後まで伸ばし、ボールを捕まえた。二塁審がすみれ先輩に駆け寄り、
「アウトッー!」
と宣告した。先輩は、大大大ファインプレーで海稜の勝ち越しを阻んだ。
「ナイスです、すみれ先輩。奈桜先輩も、ナイスピッチング!」
私は二人とハイタッチした。私だけでなくみんな、守りの立役者を大拍手で迎えた。試合は2-2のまま八回裏に突入する。私たちの、サヨナラのチャンスだ。
◇◇◇◇
考えてみれば千庄は、四回から八回まで連続で得点圏にランナーを背負った。それで二点で済んでいるのは、よく粘っているといるし、幸運だともいえる。
客観的にみて、有利なのはどっちだろう。千庄のピッチャーは、三人目の奈桜先輩だ。七回からの登場でスタミナには問題ないが、なかなか今後もゼロを続けられるとは言いがたく、綱渡りのようなピッチングにこの後もなるはず。
対する神戸海稜は沙音璃がずっと投げ続けている。もちろん名門だけあって、二番手三番手ピッチャーも良いけど、マウンドを降りる気配はない。
初回から全力投球だから、いつスタミナが切れてもおかしくないはず。ここ数イニングで投球のギアを上げてはいるが、いつまで持つか。
千庄と海稜、どっちが勝つかなんて断言できる人はいないはず。ただ今後の展望について、一つ確かなことがある。この八回裏を千庄が無得点で終われば、海稜がかなり有利になるということだ。
八回裏の千庄は九番の美月から。そして一番明日葉、二番私へと繋がっていく最も得点の期待ができる打順だ。逆に九回表の海稜は二番からで、三番沙音璃、四番西川さんへと回る。こちらも得点確率がかなり高くなる。
私たちにとってはこの攻撃で決め、沙音璃たちの打席をもう見ることなく試合を終えたいのだ。
「この回でサヨナラ決めよう!」
「オー!」
円陣を組む。やっぱり、この回で決めたい。それがみんなの共通認識だ。
「さっきのエラー、取り返して来ます!」
回の先頭、美月がそう言って打席に向かった。私は“気負っている”と感じた。案の定、
「ストライクッバッターアウト!」
沙音璃の投球に手も足も出ず、三球空振っての三振となった。これで沙音璃の奪った三振は十八個、二十二個のアウトの内である。
「明日葉」
私が呼びかけると、明日葉は「任せて」と言いたげに口角を上げ、打席に向かった。
あえなく三振に倒れた美月はうつむき、こちらに目も合わせず、足早にベンチへ戻ろうとした。私はすれ違いさま言った。
「泣いちゃダメ」
美月は足を止め、顔を上げてこちらを見た。思った通り、美月の瞳は涙のせいか、潤んでいた。
「まだ試合中」
「……はい」
「ちゃんと見てて、私たちの打席」
美月は何かを堪えるよう瞳に力を込め、何も言わず頷いた。いつも素直で、元気な後輩の、初めて見る姿だ。
今日の美月は三打席連続三振だ。きっと、今まで積み上げてきた自信とかを沙音璃に粉々に壊され、その上致命傷になりかねないエラーをやらかしたりして、もう心がボロボロなのだろう。
そんな後輩を救ってやるには、やっぱり、試合に勝つしかない。それには、明日葉の出塁が必要不可欠だ。
明日葉に対し、沙音璃は二球スライダーを続けた。警戒しているのか、どちらもストライクからボールへと逃げていく誘い球だった。
ノーストライクツーボールとなり、「おっ」と思ったが、そう簡単にいくはずもない。二球連続でストレートをストライクゾーンに入れる。外角低めコースいっぱいで、とてもじゃないが打てる球じゃなかった。明日葉は二球とも見逃したが、手が出なかったのかもしれない。
百球以上投げているのに、沙音璃の調子は上がり続けていて、驚くしかない。疲れをまったく感じさせず、今日最高の球を更新しつづけている気がする。
凄い複雑な気持ちだ。試合の勝敗だけを考えるならば、さっさと疲れを見せ、簡単に打たせてくれればいいのに、と思う。
同時にただのファン的な思考で、このままどこまで上がっていくのか、女子野球の最大到達点を見たい気持ちもある。
あとは個人的に、沙音璃が壊れるのが怖い。無理して怪我したりしたら、女子野球界の損失だし、今後、私と沙音璃の、楽しい勝負ができなくなるかもしれない。それは嫌。
「ファウル!」
なんとか明日葉はボールをバットに当てた。打球は後ろ向きに飛んでいく。
追い込んだ後、沙音璃はストレートとスライダーで最後の仕上げにかかった。完璧な球を続けたものの、明日葉はすべてバットに当て、三球連続でファウルとした。
投げる沙音璃も化け物だけど、それを当てる明日葉も相当だ。レベルの高すぎる戦いに、息を吸うのも忘れてしまう。
八球目、沙音璃は外角低めの隅へ、ストレートを正確に投げきった。明日葉は手を出さなかった。
「ボール!」
「ふぅー」
溜まった息が一気に漏れる。球場にため息の合唱が起こる。
フルカウントとなっても勝負はすぐに決着はつかなかった。沙音璃は自身の最大の武器と心中したか、ストレートを連発しだした。やや甘い球もあったが、明日葉は前に飛ばせなかった。それでも、空振りだけはしなかった。五球連続、ファウルだった。
バットを握る両手に力が入る。手に付けたバッティンググローブの下は、手汗でいっぱいだ。私はもう一度グローブをきつく締め直し、勝負の終わりを見届けようと、マウンドとバッターボックスへと、焦点を合わした。
十四球目、終わった瞬間、沙音璃は大きく空を仰いだ。最後は高めにストレートが浮いた。やっと、四つ目のボールが宣告される。
「ボールフォア!」
フォアボール、明日葉は私の前で出塁してくれた。明日葉は私に目配せをし、一塁へ走った。
「凄い!」
「エグい!」
千庄ベンチからいろんな賛辞が飛ぶ中、誰がいったシンプルな言葉。私の彼女は凄くて、エグい。
『二番ショート、青見さん』
八回裏、ワンアウト一塁、明日葉がホームに還ればサヨナラ勝利、私は左打席に立ち、前の前にバットを掲げ、沙音璃を見据えた。




