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84話 三年生と一年生と二年生

 内角低めのストレート、タイミングはばっちりだった。ところが、ライトの頭上を越していくと思った打球は、失速し、ライトが下がり捕球した。


 実戦形式のバッティング練習、相手ピッチャーは綾乃だった。私のスイングが、綾乃の球威に負けた、ということである。


 入部当初からその才能を見せ続けている綾乃だけど、ここ最近、さらに凄みを増してきた。自分が高校レベルでも充分通用するのを知ったせいか、伸び伸びとしたピッチングをするようになった。


 とても頼もしい限りだけれども、乃愛の背番号1、エースを望む者としては少し複雑な思いもある。


「良い球投げたと思ったんですけど、あそこまで飛ばされるなんて……やっぱ凄いです、桜希先輩」


 バッティング練習を終えた後、綾乃は私に言った。


「さあ、どうだろ」


「詰まってたでしょ。あれ」


 私たちの会話に、明日葉が入ってきた。


「いや……うん、まあ」


 私が適当に返すと、綾乃は口を大きく開き、


「ええっ!? 詰まってあんなに飛ばすなんて……」


「確かに桜希のパワーも凄い。けどそれより、桜希に窮屈なバッティングをさせた自分の球も褒めるべきだわ」


「そ、そうでしょうか……?」


「そう。自信を持って良い。桜希は日本一のバッターだから」


「わ、わかりました、師匠」


「……」


 私は師匠と弟子が繰り広げる謎の会話を適当に聞き流しながら、ずっと聞いてみたかったことを綾乃へ問うてみた。


「綾乃は、背番号“1”が欲しいとか思ったりする?」


「えっ?」


 綾乃は困惑の表情を浮かべた。


「千庄のエースになりたいか、ってことですか?」


「うん、そう」


「えっと……わたしは、何番でもいいです。チームに貢献できるなら」


 彼女の性格からしてわかっていたが、教科書通りの答えだった。


「ダメよ。そんな消極的な気持ちでいたら」


 明日葉が言う。


「ここでエースを目指します! って言える、強い気持ちを持った人が大成するのよ」


「そ、その通りですね。桜希先輩、間違えました。わたしはエースを目指します!」


「……綾乃って、明日葉の言うことなんでも聞くのね。さすが明日葉派」


 綾乃は、もはや明日葉のことを心酔しきっている感じだ。私もあんまり人の事は言えないけども。


「明日葉派……ああ、あの美月ちゃんが聞いてきたやつですか? 確かにわたし、明日葉派って答えたんですけど、もちろん桜希先輩も好きです」


「ああいいよ、別に気を遣わなくて」


「なに明日葉派って?」


「美月がね、一年生みんなに、桜希派か明日葉派か聞いて回ったんだって」


「……ふーん。それで結果は?」


「確か、どっちも同じ票数だったって言ってたような」


「意外。後輩にとっては優しい桜希の方が支持が厚いのかと思ったのに。ていうか、そんなことわざわざ聞いて回るなんて、変な奴」


「変人ですよね。美月ちゃん」


 綾乃が明日葉に相づちを打った。なんだか同級生なのに、なんだか距離のある言い方だった。


「あんまり仲良くない? 美月と」


「え、いや……そういうわけじゃないんですけど。でも……」


 綾乃はなにかを言いにくそうに、口をモゴモゴさせた。


「なに?」


 明日葉が答えを促すと、


「……美月ちゃんは人と距離があるっていう感じなんです。誰とでもそれなりに仲がいいけど、でも一線を越えさせないというか。あんまり自分のことを話さないし」


 不必要なまでに私に近づく美月の姿から、そんな様子は見て取れない。ただ、合点がいかないこともなかった。美月は私に対してであっても、自分自身のことを話したりはしない。いつも私の話を聞いているばかりだ。


「あと、たまにですけど、とても寂しそうな表情をするときがあって、普段とのギャップにびっくりするんです」


「なかなか、難しい子なのかもね」


 明日葉が言うとおり、美月は、出会った当初に思ったほど単純ではなさそうだった。


◇◇◇◇


 それから数日たったある日、練習が終わり部室を出て帰ろうとする私をある人が呼び止めた。


「さっちゃん、私、ベンチ入りメンバーと“背番号”知ってるけど。教えてあげよっか?」


 チームのキャプテン、日菜子先輩だった。先輩はいたずらっぽい笑顔を浮かべていた。


「そりゃあ、知りたいですけど」


 明日は夏大会のベンチ入りメンバー、並びに背番号が発表される予定だった。多くの部員たちが緊張な面持ちで待っているそれを、先輩は流出させようとしているのだ。


「嘘、教えるわけないじゃん。それは明日のお楽しみね」


「わかってますよ、それぐらい」


「そんなことより、乃愛はどんな感じ?」


「“そんなことより”って、先輩から振ってきたのに……乃愛がどうかしました?」


「エースがどうとか言ってたじゃない。そこら辺について」


 乃愛との直近の会話を整理し、先輩に話す。


「どういう結果でも受け入れる、って言ってます。“だいたい、綾乃の方がピッチャー歴長いんだから。わたしの方が不利じゃん”とも言ってました」


「そう……」


 先輩は、意味深に視線を伏せた。


「頑張ってたから、報われて欲しかったけどねえ」


「……先輩、それ……」


「ん? あっ……」


 口を両手で塞いだ先輩は、大慌てで、


「今の無し!」


 と言った。私は頭の中で“アホ”と言った。


「誰にも言いませんから、安心してください」


 当然、乃愛にも言わない。


「あと、乃愛は強いから、心配しなくても大丈夫ですよ」


「そっか」


◇◇◇◇


 そして翌日、いよいよ夏大会の背番号が発表される。


「1番、森下綾乃」


 日菜子先輩が綾乃の名を告げた時、部員たちは驚いたり、喜んだり、感情を顔に表した。一部の人たちは「おおっ……」と声まで漏らした。      


 当の本人は目をまん丸にして、心ここにあらずといった感じだった。


「綾乃?」


「は、はい!」


 日菜子先輩に再度呼びかけられ、我に返ったように返事をした。慌てて前に出て、先輩から背番号1を受け取る。


「2番が私、弓削日菜子で……3番、高村星奈」


「はい」


「4番、関長明日葉」


「はい」


 背番号4――明日葉は抑えたトーンで答え、背番号をしっかり受け取る。


「5番、瀬尾美月」


「はいっ!!」


 美月が声を高らかに響かせた。あまりの音量に、思わず耳を塞ぎかけた。


「6番、青見桜希」


「はい!」


 身構えていたはずなのに、自分の名を呼ばれた瞬間、心臓がビクッと跳ねた。少しドキドキしながら貰った背番号は、やっぱり重かった。


「7番、小野結衣」


「8番、相庭すみれ」


 結衣先輩、すみれ先輩が背番号を手に取る。やっぱり、三年生たちの表情には、強い意志を感じる。


「9番、末広乃愛」


「はい!」


 乃愛は特に変わった様子もなく、スムーズに背番号を受け取った。


「10番、佐伯奈桜」


「11番、古谷舞香」


 発表が続く。名前を呼ばれ背番号を受け取る部員たちの顔に、喜びや悔しさや、様々な感情を観ることができた。


 最後の“18番”を渡し、日菜子先輩は言う。


「以上が、県大会のベンチ入りメンバーとなります」


 先輩が口を閉ざすと、静寂が流れる。やがて先輩は小さく息を吸い、話し始めた。


「みんな、色々な想いを持ったと思います。嬉しい人もいると思います。でもやっぱり、悔しい人も、納得いかない人も絶対いると思います。でも、そういう想いを、私は受け止められるかはわかんないけど。でも……やっぱりこのチームは、ベンチ入りメンバーだけじゃなくて、部員みんながいてこそのチームだと思ってます。全員で、みんなで勝ちたいです」


 先輩の言葉は少し乱雑で、途切れ途切れだった。でもだからこそ、熱くなるものがあった。

「この一年、私がちゃんとキャプテンできていたとは思わないです。でも……」


「日菜子、“でも”が多いって」


 すみれ先輩が突っ込み、和やかな笑いが起きた。頬を真っ赤にした日菜子先輩は、罰が悪そうに苦笑いしながら、続ける。


「えっと、不甲斐ないキャプテンだったけど、みんなのおかげで、ここまでやってこられました。このチームのキャプテンになれて、とても幸せでした。あと少し、最後は笑って終わりたいです。

 県大会で勝って、そして全国でも勝って去年のチームを超えて。最後は甲子園で、みんなで笑って終われるよう、日本一に、なりましょう!」


「はい!」


「先生お願いします……先生?」


 日菜子先輩に促された芹沢先生だけど、なぜか目のあたりを抑えていた。


「ごめんなさい……あなたの言葉に感動してしまって……そうですね、私が顧問になって何年も経ちますが、このチームは歴代でも一番だと思います。去年も同じぐらい強かったけど、このチームには経験・・がありますから」


 千庄は去年の夏が全国初出場だった。それと今年の春の選抜と、県大会、近畿大会、さらに練習試合含め、たくさん全国の強豪たちと戦ってきた。その成果を出すのが、この夏だ。


「日本一を間違いなく狙えるチームだと思います。ですが、まだまだ上げていかなければならいないところもあります。短いですがまだ時間はあるので、最後の詰めを本番までやっていきましょう」


「はい!」


 何度目かの幾重にも重なった声は、今日一の響きだった。


◇◇◇◇


「あたしは、綾乃より、乃愛先輩の方がエースにふさわしいと思います」


 ミーティングを終えた後、乃愛の元に駆け寄った美月は言った。乃愛はひょうひょうと返す。


「先輩に媚び売ったって、なんも出ないよ」


「いや、そういうのじゃないです。あたしは本気で思ってるんですよ。だって綾乃って性格が“エース”ぽくないじゃないですか、陰気だし」


「綾乃、陰気って言われてるよ」


 いつのまにか近くにいた明日葉が言った。横には例によって綾乃がくっついていた。


「……いえ、ホントのことなんで、返す言葉ないです」


「綾乃ちゃん、おめでとう!」


 乃愛が綾乃に駆け寄り、握手を求めた。


「ど、どうもです……」


「次は負けないから」


「まあグラウンドでは背番号とか関係ないですよね。ポジションと打順、与えられた役割をこなすだけですよ。ですよね? 先輩」


 美月は私に同意を求めた。あなたが背番号の話をし始めたのに。私が答えるより先に、明日葉が、


「あなたもたまには(・・・・)いいこと言うのね」


「“たまには”ってなんですか!? あたしはいつもいいことしか言いません!」


 ここにいる私と明日葉、乃愛、そして美月と綾乃は、みんな一二年生だ。四人の織りなす会話を聞いていると、なんだか私という人間の居場所を感じられ、心が落ちつく。これがずっと続いてくれたら、と思う。


 少し離れた場所、三年生は日菜子先輩を中心に輪を作っている。先輩たちの姿を、このグラウンドで見るのも、あと少しの期間だけだ。


「みんな、頑張ろうね。三年生のためにもさ」


 私が言うと、四人はばらばらに返してくる。


「うん」


「おー」


「はい」


「もちろんです!」


 三年生にとっては最後、一年生にとっては最初、私たちにとっての二度目の夏はすぐそこまで来ていた。

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