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81話 魔球開発

「もしかして怒ってる?」


 練習試合から自転車での帰宅途中、乃愛が言った。


「怒ってるに決まってるじゃん」


「だよね」


 ちらっと横をうかがうと、その横顔には少しの申し訳なさも見当たらなかった。


 私が何に怒っているかというと、大阪桐葉との練習試合において、私がピッチャーをする方向へと、乃愛が仕向けたことだ。登板中の乃愛は突然、肩の痛みを訴えた。ホントに急な出来事で、千庄ベンチは次のピッチャーの用意ができてなかった。


 そこへ乃愛は私に、「投げて」と言い放った。なぜか周りの部員たちも、芹沢先生も反対せず、『ピッチャー私』が実現してしまったのである。


「いいじゃん、結果的にはナイスピッチングだったんだから」


「よくないって、もう」


「せっかくだし、これを機に投手転向――」


「しません!」


 たぶん、今日の結果はたまたまだ。普通にやれば大阪桐葉相手に、素人ピッチャーが抑えられるわけない。調子に乗ってピッチャーなんてやり出したりしたら、痛い目見るのは確実だ。


 そこで会話が止まる。今日、桐葉に良いようにやられた乃愛の心中は、あんまり穏やかでないと知った。陽気そうに鼻歌を歌ったりしていて、表情は明るく見えるけど、長い付き合いの私にはわかるんだ。


「桜希には抑えて欲しくなかったけどなあ」


 私の家が近づいてきたころ、乃愛は言った。


「打たれまくっていらいらしてたから、桜希がボコボコに打たれるの見て、精神を穏やかにしようと思ったのに」


「なんなのそれ。性格悪すぎ」


「わたしの性格の悪さは知ってるでしょうに」


「知ってるけど、それは酷いと思う」


「あはは。さすがにそれは嘘だって。ホントは前から思ってたんだよ。チームのために、桜希のピッチャーも選択肢として作っとくべきかなって」


「嘘くさい」


「ホントだって」


「肩痛いのは?」


「それもホント。ちょっと最近思うことあって、家でネットに向かって投げまくったからかもしれない」


 乃愛が思い悩むことといえば、やっぱり“エース争い”のことだろうか。綾乃というルーキーの登場は、争いを大きく変えた。現状、千庄のエースに近いのは間違いなく綾乃だ。その事実が乃愛を焦らせているのかもしれない。


「じゃあ、また明日」


 私の家の前まで来た。乃愛はそう言って、この場から遠ざかろうとしている。


「ま、待って」


「ん?」


 なにかを言わなければと思い、乃愛を呼び止める。正確な想いは計れないけど、乃愛が複雑な胸中を抱えているのは間違いない。なにか言ってあげたかった。


「なんか試合の途中、あれ言ってたじゃん。“わたしと綾乃、なにが違うんだろ”みたいな」


「……それが何?」


 乃愛の表情に、陰が差した。何かを警戒するように眉を潜めた。


「やっぱり決め球がないかなあって。綾乃の場合はストレートでもスライダーでも空振り取れるからバッターは余裕がなくなるけど、乃愛の場合は――」


「どの球種来ても対応できるから、バッターに余裕ありまくりってこと?」


「……簡単に言えば」


「なんだ――」


 固くなった表情を崩し、自嘲気味に続ける。


「わざわざ人を呼び止めて、かしこまって言うから、ズバッと真芯ついてくれると思ったのに。そんなこと、見てたら誰だって分かると思うよ。言いたいことはそれだけ?」


 ぐうの音も出ず、私は「うん」と頷いた。


「そう……じゃあね。また明日」


「じゃあね」


 手を振って、乃愛の遠ざかってく姿を見送る。変なこと言わなければ良かったと、頬をかいた。


◇◇◇◇


 中間テストを一週間後に迎え、部活は休みとなった。テストへ追い込みを掛けたい週末の休みの日、私と明日葉は、勉強を教えてもらおうと乃愛の家に向かった。


「二人っきりで勉強すればよかったのに。なんでわざわざうち来るの?」


「勉強教えてもらおうと思って」


「えー」


「いいじゃない、別に。わたしたちが来ることになにかご不満?」


「だってぇ、目の前で二人にイチャイチャされると集中できないんだもん」


 なんて明日葉と乃愛の会話を聞きながら、階段を上り、部屋のドアを開けた。


「ふーん。なかなか広いじゃない」


 もちろん私は何度も入ったことある乃愛の部屋だけど、明日葉は初めてで、部屋のあらゆるものに興味を示していた。その中でまっさきに明日葉の興味を惹いていたのは、何やら分厚そうな本の並ぶ本棚だった。


「宇宙とか星とか、そんな本が多いけど、天文学? そういうの好きなの?」


「ううんまあ、なんとなく」


 乃愛の返事はあんまり歯切れ良くなかった。


「どの辺が好きなの?」


「うーん、ロマン?」


「よくわからん」


 実際のところ、私もよくわからない。昔、乃愛から宇宙についての講義をさんざん聞かされたが、何一つ共感を覚えられず、全然話を覚えていない。いつしか乃愛が話題を切り出すことはなくなった。


「あっ、そうだ」


 明日葉が何かを思い出し、


「なんか前、乃愛言ってたでしょ。星を掴もうとしたとかどうとか。もしかして、あれがきっかけ?」


 それは以前乃愛が私たちに話した、幼いころの乃愛が、夜空の星を掴もうと手の伸ばした話。どんなに手を伸ばしても星に届かなかった乃愛は、父親に星にたどり着けるかどうか聞いたら、乃愛のお父さんは「いける」とか答えたとかなんとか。実際は幼い乃愛が星に手を伸ばしたというのは嘘らしい。でも、あとの星に行けるかどうか聞いた話は本当だと言う。


「まあ、そうだけど……」


「へえー。純粋な子供だったのね」


「馬鹿にしてるじゃん」


「全然。ただ意外だなあって思っただけ」


 自分自身の話ということもあり、乃愛からいつもの饒舌ぶりは消えていた。しかし、なにやら物思いの顔をした後、


「あの話にはね、続きがあるの」


 と机に肘を突き、顎に顔を乗せながら言った。


「続き?」


「うん。お父さんが星にたどり着けるって言うから、“じゃあどうやって?”って聞いたの。そしたら、“うんと勉強して、運動して、友達たくさん作れば”って返ってきた。それを聞いたわたしは、言われたとおり運動と勉強頑張って、友達作るの頑張った」


「それって要するに、宇宙飛行士になるにはって話でしょ?」


「あとから気付いたけど、そういうこと」


「でも、いいじゃない。その時のお父さんの話のおかげで、今のあなたがあるんでしょ」


「さあ、どうでしょう」


 乃愛は知り合った頃から、勉強できたし、スポーツもできたし、友達も多かった。それは単に、乃愛に元から備わっていた才能のおかげだと思っていた。でも、ホントは違うんだ。


「ところで、今もなりたいと思ってるの?」


「宇宙飛行士?」


「そう」


「さあどうなんだろう」


「あなたなら行ける気もするけど」


「そうかなあ。でもなんか、明日葉ちゃんに言われたらなんか行けそうな気がしてきた」


「そうよ。あんまり」


 しんみりとした話が続き、なかなか勉強という雰囲気にならない。私が「そろそろ勉強しよう」と言ったけど、乃愛が

 

「ちょっとなんかわたしの話ばっかでなんか嫌だから、わたしも二人のこと、一つ聞いていい?」


「いいけど」 


「なんかさあ、二人の感じ、変わったよね」


「えっ」


 これには、私たち二人とも素っ頓狂な声を出した。


「なんか君たち、一時期凄い仲悪そうに見えたのに、今はもうラブラブ、なんか――」


「いやいや、ふ、普通だって。ね?」


 明日葉は、明らかに普通じゃない様子で私に振ってきた。ヤバい雰囲気を感じたので、私は再度、「さあ、勉強しよ!」と流れを切った。乃愛は「ふーん」と意味深に笑っていた。


◇◇◇◇


「やっぱ、乃愛がいるとはかどるなあ」


「桜希と二人だと、同じところで詰まってなかなか先に進めないから。特に数学とか数学とか数学とか。できる人がいてくれると助かる」


「お役に立てて光栄です。それにわたしも、他人に教えてあげると、それについて、さらに自分の理解が深まったりするし、結構勉強になってるんだよ」


 勉強会における学習ははかどった。とにかく乃愛がいるのがありがたかった。


「これさあ、どうやるの?」


「ん?」


 数学のある問題に詰まった私は、乃愛に助けを求めた。


 乃愛は問題を一瞥するとすぐに、


「ああこれ。これ公式があるから」


 そう言って教科書を開き、「これ」と指さす。


「ああこれ……なんかよくわからなくて」


「公式が理解できないんじゃ、数学のテストに挑むのは無理です。武器を持たず、戦いに挑める? バッターがバットを持たずに打席に入るみたいなもんだよ。グローブを付けずに守備位置に着くようなもん。ピッチャーが……」


 いい例えが浮かばなかったのか、乃愛は止まった。


「なんだろ、ピッチャーが、変化球なしでバッターに挑むようなものかな。バッターとかのより、この例えの方がいいかも。ストレートだけで抑えられればいいけど、そんなの普通の人は無理。変化球がないと、バッターは抑えられない」


「なんの話?」


「使える公式と変化球は多ければ多いほど良いって話。あっ……」


 そこで乃愛は何かをひらめいたように、「そっか!」と両手を叩いた。


「どうかした?」


「ううん、なんでもない。それでこの問題ね。まず公式の説明だけど――」


 説明を始めた乃愛の頬には、なぜか、少しの笑みがあった。


◇◇◇◇


「じゃあね。バイバイ!」


 数時間にわたる勉強を終えた後、私と明日葉は乃愛の家を出た。私に家へ向かって二人歩き出してすぐ、明日葉が乃愛の家の方を振り返り、


「広い家だったわ。庭も広いし。さすが両親両方医者の金持ち」


 私も振り返った。広くて、緑の芝生が敷き詰められた庭が見える。あそこでキャッチボールしたり、ティーバッティングしたり、暗くなるまで延々と二人で野球をした、懐かしい想い出がよみがえる。


「それよりさあ、乃愛どう思う?」


「……うーん」


 最近乃愛が元気ない。私はそう感じていたけど、乃愛も同じように感じていたと言う。今日の勉強会は、乃愛の様子を見る目的もあった。


「わたしには、大丈夫そうに見えた」


「そう……でも」


「綾乃に負けるっていうのも、別に乃愛の力不足とかじゃないと思う。ただ綾乃が凄すぎるだけ。そのことに気付けば、余計な肩の力も抜けて、いつもの調子に戻るでしょ」


「でもやっぱり、乃愛は一番・・にこだわってきたから」


「まあ、あいつのことはあいつ自身でなんとかするでしょ。ひねくれ者で、人から干渉されたくない奴だし、ほっとけばいいんじゃない。そんなことより――」


 少し体を近づけてきて、小声で明日葉は続ける。

 

「あいつ、わたしたちの関係・・に気付いてる?」


「……さ、さあ?」


 急に「二人の感じ、変わったよね」と言われたら時は、心臓が止まりそうだった。まだ、明日葉と付き合っていることは乃愛にも内緒しているけど、バレてしまったのかと思った。


「別にあいつになら、バレてもいいけど」


「私は……なんか怖くて」


「わたしからは言わないから、桜希が望むなら、喋ってもいいよ」


 そうは言われても、なんとなく言いづらい。すべてを話してしまえば、何かが変わってしまうような気がした。


◇◇◇◇


 中間テストは終わり、後は部活に集中するだけ。五月の後半を迎え、いよいよ夏の大会へ向けて機運が高まってきた。でも、乃愛に関する気がかりは、ずっと私の心に巣を食っていた。


 練習中、遠目で乃愛のピッチング練習を観察してみても、特段調子良さそうには見えなかった。直接本人に「調子はどう?」と声を掛けるのもはばかれたため、ボールを受ける日菜子先輩キャッチャーに話を聞いてみた。


「なんか、魔球開発中だって」


「えっ?」


 乃愛の調子はどうですか? って聞いたらそんな答えが返ってきたので、度肝抜かれたというか、開いた口が塞がらなかった。


「魔球というか、ただ新しい変化球を習得するって言う話なんだけど」


「なんの変化球なんですか?」


「部員たちを驚かせたいから、それは秘密にして欲しいんだって」

 

 何がなんだかわからない。私の知らないところで、乃愛は何をしているのだろう。


「心配? 乃愛のこと」


「……はい、まあ……苦しんでるのがわかるから、なんとかしてあげたいというか」


「親友想いなのね」


「……乃愛の場合は、小学校からの付き合いなんですけど、ずっと私が助けてもらってきたんです」


「ああなんか、さっちゃんが野球始めたのって、あの子に誘われたからだっけ?」


「そうです。あと、この高校入ったのもそうですし、いつも乃愛に引っ張ってもらってばっかりでした。もし乃愛がいてくれなかったら、私は、全然違う人生歩んでたと思います」


 乃愛と出会わなかった人生は、たぶん、今よりもずっとつまんないものだっただろう。そして、明日葉とも出会えてなかった。


「その気持ちがあれば、充分だと思う」


 日菜子先輩は、私の肩に手をやった。


「あの子はあんまり人に助けてもらうとか好きじゃないだろうから、直接何かしてあげようとか考えなくても良いと思うけど。でも、その想いを大切にして、見守ってあげて。そして、もし魔球開発が上手くいったら、一緒に喜んであげて。あと、褒めてあげて」


「先輩……」


 先輩は手を離し、私とすれ違い、真っ直ぐ歩き出した。振り返って見えた背中が、大きく、頼もしく見えた。


「良いこと言いますね」


「私はこの部の、キャプテンですもの」


 その日の夜、私はなんとなくランニングをしていると乃愛の家に通りかかった。すると、何やらネットへとボールが突き刺さる音が聞こえた。乃愛がネットに向かって投球練習をしていた。


 おそらく“魔球開発”をしているのだと思った。声を掛けようとも思ったが、


「がんば」


 とだけ言って、足早に立ち去った。


◇◇◇◇


 数日後、いつも通りの登校の時間、乃愛は宣言した。


「魔球、ついに完成したよ」

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