82話 練習試合VS神戸国際①
「いいなあ桜希。スタメンなんて、まだわたし一回もないのに。ずるいなあ」
それは小学生のころ、私が初めて試合に出た時の話。乃愛に誘われ野球を始めて数ヶ月、とにかく一生懸命練習についていった私に、『九番レフト』でのスタメンという機会がやってきた。
「だったら、代わってよ。乃愛ちゃんがやってよ」
試合に出ることが怖かった。だから他人事のような乃愛の口調に、ちょっといらいらしたんだ。
「緊張してんの?」
乃愛は少し笑って言った。私は「うん……」と言い、「怖い……」と付け加えた。
「あんまりそういうこと言わない方が良いと思うなあ。出たくても出れない人もいるのに、“代わって”なんて」
子供そのものだった私は、当時から大人だった乃愛の言葉には、よくはっとさせられていた。
「確かに……ごめん」
乃愛は「うんうん。わかればよろしい」と腕を組んでうなずいた。
「めっちゃ悔しいけどね。なんか、あっというまに桜希に抜かれちゃって。でも、応援してるから。頑張って」
ずっと不安に押しつぶされそうだった私の心は、その笑顔で穏やかに変わった。結局その試合はあんまりうまくいかなかったけど、最後の打席で初ヒットを記録できた。
◇◇◇◇
乃愛の様子を見て、そんな懐かしい記憶を思い出した。
今日は結構暑い。太陽の存在感が増していき、夏の気配がする中、今日の千庄女子野球部は練習試合の予定だった。大阪体育付属高校との二連戦である。千庄高校で行われるこの試合は、夏の大会に向けて、貴重な実戦機会だ。
第一試合、神戸国際との試合の先発は乃愛だった。試合前、ダグアウト内の乃愛は、ボール四つ使ってのお手玉をしていた。
ホント器用にボールを上げて捕っての繰り返し、さながら大道芸のようで、それを見ていた部員たちが、
「すごーい」
「器用だね」
とか囃し立てている。乃愛はさらに得意になり、お手玉のスピードを上げる。試合前の緊張感が全くない光景だ。
「緊張してんの?」
と私が後ろから声を掛けると、宙に浮いていたボールたちは一気に落ちていった。余興が終わり、乃愛の余興を楽しんでいた
「なにもう。せっかく良いところだったのに」
乃愛は、落としたボールを拾うと、
「緊張というか、不安ですな。そんなにわたし、顔に出てる?」
「もう長い付き合いだから、わかるよ、それぐらい」
こうやって、気楽そうな風に気取っているときこそ、乃愛の心中は穏やかでない。特にピッチャー始めた昨夏以降は、そういった時が増えてきた。
「なんだろう。せっかく自分の武器を手に入れたっていうのに、それが通用しなかったらショックだし」
乃愛はこの前、新しい武器――新変化球を習得した。そして迎えた先発が今日の試合だ。並々ならぬ決意を持ってマウンドに望むのだろう。
「乃愛」
乃愛の横へと座る。すっと手を取った。「なに?」と瞳が言う。私からの言葉を待っている。
ありきたりな言葉しか思いつかない。達者な乃愛に、うまく言葉を託すのは難しい。だからせめて、不安を緩和する言葉をと、口から不意に出たのは、
「私、明日葉と付き合ってるの」
自分でも想像していなかったものだった。ちょっとびっくりさせてリラックスしてもらうと思っただけなのに。心の底では、乃愛には私たちのこと知って欲しかったのかもしれない。
「ふーん」
でも、乃愛の反応は素っ気なかった。
「お、驚かないの?」
「だって、なんかそんな気してたし」
「あっ、そう……」
「大体なんで今言うの?」
「びっくりさせて、そしたらちょっとはリラックスしてくれるかなあって」
「意図は理解できるけど、だからって自分のプライベート売らなくていいんじゃない」
乃愛は声を出して笑った。思い通りの展開ではなかったけど、結果的には目的を達せられたのかもしれない。昔乃愛がやったように、私は乃愛の右手を両手で包んだ。
「頑張って」
「うん」
そして試合が始まる。後攻めの千庄は先に守備につく。マウンドで投球練習を行う乃愛を、横目で見ながら、ボールを内野間で回す。
神戸国際の一番打者が左打席に入る。球審が「プレイ!」とコールし、乃愛が第一球を投じる。
「ストライク!」
試合開始直後であったせいか、球審は勢いよく宣告した。二球目はカーブ、バッターは見逃し、追い込んだ。
一球のボールを挟んだあと、乃愛はスライダーで勝負を決めにかかったが、バッターはファウルで逃げる。
ここまではいつもの乃愛と一緒だ。ストライク先行で勝負を進めるも、決め球に欠ける。ファウルで逃げられ、球数がかさむ。
おそらく、ここで新変化球が来る。グラブを胸の前に置いたところから、左足を上げる。体重を前に前進させながら、上半身を目一杯使って、右腕を奮う。
指先を離れ、綺麗な直線を描いていた白球はホームベース直前、落ちる。ボールの予想軌道を通っていたはずのスイングは、むなしく空を切った。ボールは日菜子先輩のミットに収まった。
「よしっ!」
空振り三振、単に一個目のアウトを取っただけなのに、乃愛はグラブをパンっと叩いた。私も「ナイス! ナイスピッチ!」と思いっきり叫んだ。
落ちる球――最後、乃愛が投じた球は、スプリットだった。
◇◇◇◇
「魔球、完成したよ」
一週間ちょっと前の登校の時間、乃愛は私に出会うなりすぐに、そう宣言した。
「ホントに?……ってどんな球?」
「ナイショ。今日の練習でお披露目するから、楽しみにしてて」
「魔球とか言ってるけど、大丈夫なの? だいぶハードル上がってるけど」
エース争いで遅れを感じた乃愛が、魔球開発(?)にいそしんでいることは知っていた。完成を喜ばしく思う気持ちももちろんあったけど、開発の詳細について一切教えてもらってなかったから、半信半疑だった。でも、
「うん。期待してて」
はっきりとした返事が返ってきたから、期待せずにはいられなかった。
そして放課後、私はブルペンに呼ばれた。日菜子先輩と明日葉がいた。プロテクターをつけた日菜子先輩が、
「で。どうなの、魔球の感じは?」
「え? 日菜子先輩も知らないんですか?」
先輩も全然詳細を知らない感じだったので、思わず聞いてしまった。
「変化球の種類だけ知ってる。ただ、実際に受けたことはないから」
考えてみればここ最近、乃愛の投球を練習中に見たことがない。新球開発は家の庭で極秘裏に行ったプロジェクトということだ。
「何でそんな隠してたの?」
「みんなをびっくりさせたかったから。さあさあ日菜子先輩、受けてください。前に先輩に言ったとおりの球ですから」
先輩はしぶしぶ従い、座った。乃愛はマウンドへと歩き出したが、途中で振り返り、
「桜希と明日葉、打席に立って」
「えっ、二人とも? なんで?」
「左に桜希、右に明日葉。コントロール乱したらわたしは終わり。二人に当てて怪我なんかさせたら、わたしはこの部にいられなくなるし」
「理由になってない気がするんだけど……コントロールは大丈夫?」
「自信はない。だから二人を置くの。プレッシャーを己にかけるために」
「“置く”って……」
私たちを人柱にする気? と抗議を続けようと思ったけど、明日葉が「わかった」と言って打席に立ってしまったので、不可抗力でその場の雰囲気に従った。
明日葉が右打席、私が左打席に、二人ともバットを持っていない。普通ではない状況の中、視線の先の乃愛が、「いくよー」と言った。
慣れ親しんだゆったりとした力感の無いフォームから、ボールが放たれる。軌道の途中でボールは忽然と消えた――いや、落ちた。日菜子先輩もミットで追ったが、捕球し損ねた。
「今のは……?」
「フォーク」
投球としては完璧だった。低めストライクゾーンからボールへと落ちていく、追い込まれたカウントで投げられたら、絶対振ってしまう球だった。
それから五球ほど“フォーク”を見た。すべて完璧に制球されていた。お切れ味もよく、スピードを保った状態から、小さく鋭く落ちていった。この球なら、“魔球”といっても過言ではないのかもしれない。
「どう?」
とこっちに駆け寄ってきた乃愛に聞いた。
「凄い! どうやったの?」
「ヒントは、自分の言葉にあった」
乃愛は、澄ました表情で語り始めた。
「前二人に、“使える変化球は多ければ多いほど良い”とか言ったでしょ」
「ああ、うん」
「それで気付いた。今までわたしは、自分の持っていた武器を磨くことしか考えてなかった。ちょっと考えが凝り固まってたのね。だけど、その言葉でハッとして、新たな武器を作ればいいじゃんって」
「それで、落ちる球を?」
私が言うと、乃愛は頷き、
「どうせなら、あんまり人が使わないようなのをと思って。で、試しに投げてみたら、意外と上手くいったんだよね。自分の手に合ってたのかな」
男子の野球ではよく見るフォークだけど、女子野球の世界では全然見ない。なぜかというと、フォークは人差し指と中指を大きく開き、ボールを挟んで投げる。単純に普通の女子では、指の長さやボールを挟む力――握力が足りない。投げられる人もいるにはいるんだろうけど、負担が大きいせいか、滅多に見ない。
「完全には挟んでない、というか挟めないからフォークというか、“スプリット”かもしれないけど」
簡単に言うと、フォークよりも落ちが少ない代わりにスピードがあるのがスプリットだ。
「そうね。これはスプリットだわ」
日菜子先輩が言うと、
「まあスプリットの方が、マー君みたいでかっこいいから、そうしときます」
乃愛はようやく表情を崩し、笑った。
「それで、明日葉はどう思ったの?」
「……あの球を常時投げてこられたら、わたしたちでもそんなに打てないんじゃない」
ずっと黙っていた明日葉は言った。
「“わたしたち”っていうのは明日葉と、桜希のことだよね」
「もちろん」
勝手に入れられた私だけど、実際その通りだ。あの球を自由に使いこなせるピッチャー相手を簡単に打つ自信は無い。
「“そんなに”って……普通そこはお世辞でも、全然打てないって言ってくれればいいのに」
「プライドってものがあるから。それに、“そんなに”だって充分すぎるぐらい褒めてるのよ」
「……まあ確かに、君たちがそんなにしか打てないピッチャーは、その辺の人にはほぼ打たれないだろしね」
乃愛は、「よし」といったんグラブを叩くと、
「ありがと二人とも。自信が溢れて出てきた。日菜子先輩、続けましょう。この球を磨きます!」
「うん。私も、絶対捕れるようにならないとね」
二人は再び投球練習を始めた。フォームには心なしか躍動感を感じた。そして表情には、はっきりとした自信が溢れていた。
◇◇◇◇
三回裏、千庄の攻撃は八番からだったが、連続で二人倒れ、ツーアウトで一番の明日葉に回る。
明日葉はあっさりと初球を打ち返し、レフト線へのツーベースとなる。ランナー二塁で私は左打席に入る。
神戸国際は投打共に高いチームで、兵庫県大会ベスト4の常連だ。先発の右ピッチャーも全国の舞台で見てもおかしくないレベルだった。
初球、ドロンとストライクゾーンを割っていくカーブを、良い角度で打ち返し、右中間へと飛ばす。スライディングなしで余裕に三塁へ到達する。二塁ランナーの明日葉が還り、千庄が一点を先制する。
さらに三番、すみれ先輩のレフト前ヒットで私が本塁を踏み、さらに一点追加した。
「ナイスバッティング!」
攻撃を終え、乃愛は私に声を掛けながら、軽快に四回表のマウンドへ向かった。
ここまでの乃愛は内野安打一本と、神戸国際打線をほぼ完璧に抑えている。スピリットもそうだけど、ストレート、スライダーなどが効いていた。
二番からの攻撃で要注意ではあったけど、乃愛は問題なく三人で片付ける。
一人目はストレート二球で追い込み、スプリットで三球三振で切って取る。二人目はスライダーで見逃し三振、三人目はストレートで詰まらせ、キャッチャーフライに打ち取った。
四回一安打無四球無失点、文句の付け所がなかった。
「ナイスピッチ、いい感じじゃん」
「どうもどうも」
乃愛は軽くそう返し、打席の用意へと向かう。千庄の四回裏の攻撃は五番からだった。
先頭の日菜子先輩は初球を力無く打ち上げ、ピッチャーフライとなった。ベンチに戻ってきた先輩は、
「いやいや、今日はキャッチャーに集中しないといけないからね」
と、なぜか私に向けて言ってきた。
「なんでそんな言い訳みたいなこと……私なんも言ってませんよ」
「なんであんな球が打てないの? 凡人は大変ですわね、みたいな目でさっちゃんが見てたから」
「そんな目してませんし……そんな口調じゃないんですけど」
そんなことよりと、私は前置きをして、
「乃愛、どうです?」
と聞いた。もちろん“良い”のはわかっているけど、キャッチャーからの意見も聞きたかった。
「うーん。一言で言うと、びっくりしてる」
「と、言うと?」
「すべての球が今までと段違いでよくなってる、相乗効果って言うのかな。なんか凄い意気込んでたから、大丈夫かなって思ったけど。自分の武器がちゃんと通用するってわかって、気分良くなったせいか、凄い調子が出てきてる」
「わかります。スプリットだけじゃなくって、全部の球のレベルが一段上がった感じ
「うん。ホント、今まで一番楽しそうに投げてる。私、あの子のこと、一年間の付き合いでも全然性格とか理解できなかったけど……気分屋というか、意外と単純な気がしてきた」
六番の乃愛、七番の綾乃と倒れ、この回は三者凡退に終わる。2-0で、試合は後半、終盤へと向かっていく。乃愛の新球開発の試みは、ここまでは間違いなく成功だった。後は、どこまで続くかだ。




