80話 練習試合VS大阪桐葉③
「は?」
突然そんなこと言われたら、誰だってこんな反応になると思う。
大阪桐葉との練習試合、六回表、乃愛が急にタイムを取り、「肩痛いからもう投げられない」とか言い出した。「交代できるピッチャーがいない」と告げられると、「桜希、投げて」と。
荒唐無稽で、意味不明、理解が追いつかない。乃愛は、頭がおかしくなったのだろうか。
「ちょっと何言い出すの? 私、元ピッチャーじゃないし」
「昔ちょっとやってたでしょ」
「ほんのちょっとだけじゃん!」
「お願い! 親友を助けると思って、ね」
「無理無理。意味わかんない!」
ホントにピッチャー経験なんてちょっとしかない。急に「投げろ」とか言われても無理だ。ましてや相手は日本一のチーム、もしマウンドに上がってしまえば、ボッコボコに打たれさらし者になるだけだろう。
「えー!? 桜希先輩、ピッチャーやってたんですか!? 見てみたいです!」
サードの美月が横から入ってきた。
「ちょっ……! みつ――」
さらに、美月に賛同する声があった。ファーストの星奈先輩だった。
「わたしも、見てみたい」
「星奈先輩も……」
ファーストとサードは敵だ。そして敵は、もう一人増える。
「そうね。他にいないし。というわけでお願いね。別に打たれて良いから、適当に敗戦処理して」
「日菜子先輩まで……打たれていいなら、別に私じゃなくていいじゃないですか」
「うーん、でも正直、私もさっちゃんのマウンド姿見てみたいから」
キャッチャー兼主将まで敵に回った。私には、もう一人しかいない。
「あ、明日葉、なんか言ってやってよ」
ずっと黙って展開を見守っていた明日葉は、私の懇願に、
「うーん、まあいいじゃない……わたしも見てみたいし」
「……だめだこりゃ」
もう内野陣に味方はいなかった。となると、
「せ、先生、ダメですよね、こんなの」
芹沢先生は腕を組みながら、
「すぐに他のピッチャー用意させますから。とにかく打たれても良いんで時間稼いでください。怪我とかしないように、全力で投げなくてもいいんで」
「えっ?」
「じゃあ明日葉さんがショートで、美月がセカンドですね」
「はい」
「はーい」
先生は、私投手が決まったことみたいに話している。逃げ道を塞がれた。
「……どうなったって知りませんよ……」
「じゃあ頼むよ、親友」
乃愛はベンチに戻っていった。先生は球審へ交代を告げに行った。私はマウンドに取り残された。
◇◇◇◇
私がピッチャーを務めることがわかると、三塁側、大阪桐葉ベンチからもどよめきが起きていた。
「さっちゃん、何投げれるの?」
「ストレートと、曲がるがどうか運任せのカーブ……」
「おっけー。じゃあサインは――」
日菜子先輩とのサイン交換、投球練習を行う。先生の言うとおり怪我だけはしないように、適当に腕を奮う。もちろん気持ちの良い球なんて投げれるはずもなく、どんよりとした直球が日菜子先輩のミットに収まる。
何球かカーブも試してみたが、全部曲がらなかった。遊びで投げたことあるだけだから、とてもじゃないけど実戦で使える代物じゃない。
投球練習を終え、桐葉の六番、谷田さんが左打席に立つ。
「プレイ!」
サインを確認し、投球モーションに入る。大きく腕を振りかぶる。目標――先輩のミットが遠く感じる。目一杯腕を振ったけど、バッターは造作なく、私の球を打ち返した。
鮮やかな打球はライナーとなり、センター前ヒットとなる。二塁ランナーがホームに還り、2-5、桐葉のリードは広がる。
「だから言ったのに……」
愚痴っぽく呟くけど、誰も聞いてはくれない。。マウンドに立つピッチャーは孤独なのだ。
ノーアウト一二塁、八番の安達さんが右打席に入る。一球目、二球目、三球目、制球が定まらない。三球続けてのボール球となる。
「ノーコンピッチャー、早くこっちに打たせろ!」
という味方からの、明日葉からの野次が飛ぶ。
「せんぱーい、頑張ってー!」
という美月からの声。
「ファイト」
という星奈先輩からの声。
「ふー」
軽く息を吐いた。視線の先の日菜子先輩は、肩を回して私にリラックスを促す。言われるがまま、肩を動かした。
とりあえずはストライクを投げよう。後のことは知らない。私に「ピッチャーやれ」とか言い出した人と、それに賛同したみんなが悪い。
四球目はど真ん中へのストレートだった。バッターは見逃し、ようやくストライクが入る。
そして五球目、どうにでもなれと放った球は、またしてもど真ん中へのストレート、バッターは見逃さず、痛烈な打球が一二塁間を襲う。
しかしそこは美月の守備範囲だった。素早く回り込み、ボールを抑え、一塁へ送球する。
「ワンナウト!」
ようやく、アウトが一つともる。少し気持ちが楽になった。ラストバッター、途中出場のピッチャー、桜井さんと対峙する。
一球目はストレート、バッターは見る。二球目もストレートでファウルを稼ぎ、二球で追い込む。
調子が出てきたのだろうか、自分でもよくわからない。ただなんとなく、気分は乗ってきた気がする。
三球目、初めてカーブを投げた。それはしっかりと空中で軌道を変え、曲がりながらストライクゾーンを通過した。
「ストライク、バッターアウト!」
バッターは意表を突かれたのか、手が出ない。まさかの見逃し三振で、ツーアウトとなった。
「ナイスピッチ!」
日菜子先輩からボールを受け取る。バッターにバットを出させずの見逃し三振は、正直、気持ちよすぎた。
なにはともあれ、これでツーアウトだ。この公開処刑な状況からあと少しで抜け出せる。でも、ここからは上位打線だ。全国屈指の打者たちが、ずらりと並ぶ。最初の壁、上橋詩音璃が打席に立った。
「えっ?」
その時、目を疑った。少なくとも千庄側の人間は、戸惑いと驚きを覚えたと思う。これまで詩音璃が入ってきたのは左打席だったのに、今回は右打席に立った。
私という素人ピッチャー相手への情けとして、逆の打席で相手してあげるということだろうか。でもそうだったら、桐葉側の人も大胆な一年生の行動に驚きを示してもおかしくない。そもそもそんな相手を舐めた行動、監督が許さないはず。
すなわち詩音璃は、右でも左でも打てる選手、世にも珍しいスイッチヒッターなんだ。初球、
「ボール」
外へのストレートが大きく外れる。詩音璃は、不敵に笑った。威圧感がある。バットを高くに構えるそれは、姉の詩音璃にそっくりだった。あれだけ姉へ反発をしている癖に、打ち方がそっくりというのはなんだか可愛らしい。
二球目、外角いっぱいを狙ったはずの球は、真ん中へ吸い込まれていく。不用意な球を逃す子じゃない。凄まじいスイングが、凄まじい打球を生む。
強烈なライナーが空中を裂いていく。ただ明日葉が横っ飛び、打球を捕まえる。
「アウト!」
ショートライナーでスリーアウト、地獄の時間が終わった。
「ナイス、助かった」
「“こっち打たせろ”って言ったし、当然」
かなりのファインプレーだったけど、明日葉は平然としていた。
「先輩! ナイスピッチです!」
満面の笑みの美月がこっちに駆け寄ってきて、私とグラブタッチを交わした。
「美月もナイス。助かった」
「えへへ、当然ですよー」
結果的にはヒット一本打たれただけで終わったけど、二人のファインプレーがなければもっと大量失点していたかもしれない。
ベンチに帰り真っ先に飲んだスポーツドリンクがめちゃくちゃおいしかった。身に染みる感じがする。ピッチャーはとんでもなく疲れることがわかった。
「詩音璃の打球、やばかったね。めっちゃ速かった」
私が言うと、明日葉は、
「ていうかあいつ、まさかスイッチヒッターとはね」
スイッチヒッターなんて高校入ってから初めて見た。単純な話、普通のバッターの倍練習しないといけないわけだから、めっちゃ大変だと思う。
「あの人、元々右打ちですよ」
美月が言った。
「そうなの?」
「確か中学の、クラブチームに入ったぐらいで左になったんです。姉と同じが嫌だからって。でも結局もったいないから、どっちもやろうってなったみたいですけど」
「ふーん」
「詳しいのね。上橋詩音璃のこと」
明日葉が言うと、
「あたしとあの人、大阪の、結構近いところに住んでて、何回も対戦したことあるんです。昔からやばかったですね。まあ姉の方もですけど」
なんかその発言に違和感があった。明日葉が何かを言いかけたが、
「さっちゃんお疲れ様」
日菜子先輩がやってきた。
「どうも」
「いやーナイスピッチングだった」
口ぶりからしてねぎらいの言葉だったから、青見桜希投手はさっきの一回だけだと思った。だけど、
「先生と話したんだけど、次の回もお願いね」
「えっ?」
「もうちょっと見てみたいからって。もしかしたら、さっちゃんピッチャー、あり得るかも」
私の返事も聞かず、先輩は戻っていった。
「……ガンバ」
明日葉が言う。私は、もう一イニング投げないといけないらしい。
◇◇◇◇
六回裏の千庄の攻撃は一人ランナーを出したものの、後続が続けず、無得点に終わる。2-5、試合は最終回の攻防に移る。勝敗を考えたら、ここは絶対に得点を許してはいけないところだ。
慣れない投球練習をしながら、向こうのベンチを窺う。桐葉の攻撃は二番の高山さん、三番の近藤さん、四番の恩田さんと続く。さっきの回は運が良かっただけ、いよいよ火だるまと化すことを覚悟した。ところが、
「センター!」
二番の高山さんは初球を叩き、センターフライとなった。三番の近藤さんはやはり、私相手でも慎重だった。
「ストライク、バッターアウト!」
二球のファウルを挟み、ツーストライクスリーボールとなった八球目、球審の右腕が上がる。近藤さんが自信を持って見逃した外角いっぱいの球がストライク認定され、今日二つ目の見逃し三振、たぶん私自身が一番びっくりしている。
「う……うーん?」
日本一の巧打者を三振に切ってしまった。何が起きているのだろう。そして四番の恩田さんは二球目、空高く白球を打ち上げる。
「あ……」
ホームランを覚悟して振り返る。が、打球は角度が付きすぎたか、フェンス手前で失速し、レフトのグラブへと落ちる。
「アウト!」
「……」
まさかの三者凡退に、心臓がドキドキしている。興奮しているのか、動揺しているのか分からない。
◇◇◇◇
5-2のまま七回裏、千庄の攻撃が始まる。打順は七番の美月からだ。私に回ってくるかは分からない。とりあえずピッチングで火照った体を冷やそうと水分を含んでくると、明日葉が話しかけてきた。
「ナイスピッチ」
「たまたまだって」
「後ろから見た感じ、楽しそうに見えたけど」
「まあ正直、見逃し三振は気持ちよかった」
「あああれね」
明日葉は、微笑み言った。
「かっこよかったよ、三振取った瞬間」
真正面からそんなこと言われると、恥ずかしくて、なんにも言えなくなってしまう。
「……だったら投げて良かったかもだけど……でも、もう絶対やらないから、ピッチャー」
「結構いけてたのに」
「マウンドにいると落ち着かないんだって、明日葉が隣にいないから」
「……もう」
なんて馬鹿な会話をしている内に、美月が粘ってフォアボールを選んだ。
「あいつ、性格のわりに打席では結構、慎重だよね」
確かに美月は積極的なバッティングをしそうで、意外と慎重な打席を見せる。そういえば、さっき美月の発言に抱いた違和感はなんだったのだろう。
「さて、回ってきそう」
明日葉が言うとおり、ツーアウトランナー一塁で明日葉の打席は回ってきた。簡単にヒットを放ち、ツーアウトランナー一二塁で私の第五打席がやってくる。
相手ピッチャーは二番の桜井さんが投げ続けている。代わってから無失点、千庄は散発のヒットしか放てておらず、これが最初にして、最後のチャンスだ。
初球、私をあざ笑うかのようにカーブがストライクゾーンへと落ちていく。
「ストライク」
まったく予想していなかった球だった。二球目、外角いっぱいをストレートが突く。
「ストライク」
ストライクか、ボールか、球審の裁量次第で決まる、打ってもヒットゾーンに持って行けない場所だった。いい球だ。
三球目、今度はスライダー、ボールゾーンからストライクゾーンへとキレ良く入ってくる。逆らわず、打ち返す。打球はレフトとセンターのあいだを抜けていく。
全力で走り、三塁へ到達する。もちろんその間に二人のランナーがホームを踏み、二点を返す。
しかし反撃はそこまでだった。すみれ先輩が初球を打ち上げ、ピッチャーフライ、試合が終わる。4-5、惜敗だった。
◇◇◇◇
千庄と大阪桐葉の練習試合は、二試合予定されていて、合間にはちょっとの休憩時間があった。その間に、詩音璃が私の元へつかつかとやってきた。
「良い試合でしたね。そっちは、かなり自信になったんじゃないでしょうか」
詩音璃の第一声はそれだった。とても上から目線だ。
「まあ、素人ピッチャーが投げた割にはね」
「ああ、桜希さん。やっぱり、ピッチャーの練習とかしてなかったですよね」
「うん。やっぱり分かるよね」
「……それであれなら、末恐ろしいです。恩田さんも言ってました。“ボールが伸びてきて差し込まれた”って」
「差し込まれてあんだけ飛ばす方が恐ろしいと思うけど」
「これからピッチャーやっていきます?」
「やんない」
「えー。もったいないですよ」
なんだか美月みたいなしゃべり方で、不自然だった。
「……私にピッチャーさせて、他のことおろそかにして欲しいって感じ?」
「あっ、バレたか」
詩音璃は茶目っ気たっぷりに舌を出した。
「だって、桜希さんがピッチャーになってくれれば、わたしの敵はいなくなりますから。わたしが日本一のショートです」
私を褒めているのか、自分を褒めているのかわからない発言だ。相変わらず姉そっくりな自信家だ。
「詩音璃あなた、桐葉のレギュラーもう取っちゃったのね」
「それがなにか?」
「いや……“わたしの才能は姉には及ばない”とか言ってたのに、ちゃっかりしてるなあって」
「そんなこと言いましたかね、わたし」
しばらく詩音璃は考え込んでいたが、「ああ」と何かを思い出した。
「確かに言いましたね」
「でしょ」
「でも、あれは投手としての才能の話です。野手としてはわたしの方が上です」
詩音璃の瞳は、なんにも疑ってなくて、ただ前だけを見ていた。胸焼けするような自信だった。
「そ、そう……」
返す言葉が見つからないでいると、
「話戻しますけど、桜希さんのピッチャーとしての才能が恐ろしいっていうのも本心ですよ」
詩音璃は言う。それには「はいはい」としか返せなかった。これ以上この話は続かないと判断したか、詩音璃は話題を変える。
「それより、千庄の一年生、なかなかですね。森下綾乃、でしたっけ」
「うん、そうそう。今日のピッチングは正直、私も驚いたけど」
「すでに凄いですが、まだまだ伸びそうな感じがしますね。やっかいな相手になりそう。それと瀬尾美月がこんなとこにいるのは驚きでした」
「美月のこと知ってるの?」
「はい。彼女とはよく対戦してたんで。ただ突然いなくなって……まさか千庄にいるとは」
いなくなって? 美月のことについて聞きたいことが山積みだったけど、現れた第三者により、それは叶わなかった。
「姉妹そろって、青見さんのことが好きなんだね」
その言葉を伴って現れたのは、巻島乃梨子、大阪桐葉の現エースだった。
「乃梨子さん、桜希さんになんか用事ですか?」
「別にぃ。詩音璃が、いつもじゃ考えられないぐらい楽しそうに会話してたから、気になっただけだけだよ」
そう言う巻島さんは相変わらず楽しそうな、嫌な笑みを浮かべていた。
「特になんもないなら、どっか行って欲しいんですけど」
「ああそうそう、一個青見さんに言いたいことあるよ。青見さん、やっぱ君すごいね」
「はあ……」
「全然ピッチャーやったことないでしょ。それであれだけできるなら、ちゃんとやれば、沙音璃ぐらいできるんじゃない?」
“沙音璃ぐらい”っていう姉を侮蔑する言葉に、詩音璃が反応したのがわかった。
「でも気をつけた方がいいよ。それだけ才能があると、周りの人に妬まれるだろうから。どんなに頑張っても結果出せない人とか、君に凄く嫉妬するだろうから」
なんとなく話の内容は理解できるけど、なんで今そんなことを言い出すか分からない。本気で返す言葉が見つからない。
「なにを言いたいかわかんないですけど、話はそれで終わりですか?」
詩音璃が私の気持ちを代弁してくれた。
「あともう一個、青見さんには言っときたい。わたし、夏で野球辞めるかも」
「えっ、なんで?」
これには、素直に言葉が出た。
「つまんなくなってきたから」
「つまんなく……?」
「でも夏が終わって、まだ野球で楽しめそうなら続けるかも。青見さん、あなたには期待してる。夏に会いましょう」
わけわからないまま、「う、うん」と頷く。巻島さんはそれだけ言ってどっか行ってしまった。
「“わたし”か……」
詩音璃は意味深に呟いた。
「なんなの、あの人」
「気にしなくていいですよ。でも、あの人は、兵庫大会勝ち抜いて全国にやってくるのは神戸海稜じゃなくて、千庄だと思ってるみたいですね」
“夏に会いましょう”っていうのはそういうことなんだろうけど。
「わたしも正直、そう思ってますよ」
その後、練習試合二試合目が行われた。両チームともメンバーを落としたため、如実に戦力差が現れ、1-8と千庄は大敗を喫した。一試合目ずっとベンチにいた巻島さんは、二試合目にも出てこなかった。




