79話 練習試合VS大阪桐葉②
巧打者、近藤さんが、静かな眼差しでマウンドの綾乃を捉える。彼女の打席での所作は洗練されていて、まるで職人のような熟練したものを感じる。
2-1、千庄が大阪桐葉をわずかにリードして四回表を迎える。打席には桐葉の三番、近藤さん、迎えるは千庄の一年ピッチャー、森下綾乃だ。
綾乃はここまで、春の王者相手に堂々たる投げっぷりを見せている。失点は初回だけで二回以降はほぼ完璧だ。
この調子でテンポよく投げ続けて欲しいところだけど、さすがに相手が相手だ。そう簡単にはさせてくれないだろう。この回は、三番の近藤さんから始まる。要警戒だ。
初球、綾乃が振りかぶって、大きく腕を振る。全身の力を腕の先に集め、ボールに力を伝える。威力あるストレートが、日菜子先輩のミットに収まり、乾いた音を立てる。
「ストライーク!」
ボールを見送った近藤さんの口元には、わずかに笑みがあった。「この一年、やるな」とか思っているのだろうか。
二球目、内に食い込むスライダーに、近藤さんは捉えきれず、力の無いゴロが星奈先輩へと転がる。先輩が危なげなく処理し、ワンアウトとなる。
一難去ってまた一難、今度は四番の恩田さんが右打席へ。近藤さんが“技”なら恩田さんは“力”だ。全国ナンバーワンとの呼び声高いバッター相手に、バッテリーはどう攻めるか。
バッテリは、初球、二球目と変化球を選ぶ。どちらも外れて、ツーボールとなった三球目、ストレートがストライクゾーン高めに、浮く。
恩田さんは待ってましたとばかりに、フルスイングで迎え撃つ。が、やはり綾乃のストレートに押され、美月へのゴロとなる。当たり障り無い打球で、美月は問題なく捕球し、ボールを一塁へ送る。
「アウト!」
実際、綾乃を“凄い”とは思っていた。だけども私は間違っていた。彼女を評するには“凄い”じゃ足りない。
五番の梶田さんは、二球で追い込んだ。三球目、バットは綾乃のストレートに空を切った。これでスリーアウト、桐葉のクリーンナップを三人斬りだ。
「ナイスピッチ!」
「凄い!」
一塁側は大盛り上がりで、部員たちみんなが綾乃を取り囲み、いろんな言葉で彼女を褒めた立てている。当の本人は少し照れくさそうにしていたけど、その頬には笑顔がちゃんとあった。
「ナイスピッチ」
明日葉が言う。綾乃は、やっぱり、明日葉に褒められるのが一番嬉しかったようで、
「ありがとうございます! 師匠!」
と、満面の笑顔で言った。
「し、師匠……?」
「はい。明日葉先輩は、私の師匠です」
「そうなの明日葉?」
「さあ……? 弟子だと認めた覚えはないけど」
「じゃあ、あたしの師匠は桜希先輩です!」
突然横から、誰かに媚びる用の高い声が聞こえてきた。美月だった。
「……あなたたち、打席回ってくるでしょ。早く準備したら」
明日葉が言うと、二人は、「はーい」と言って打席の準備に向かった。四回裏の千庄攻撃は六番から、美月が七番、綾乃が八番だ。
素直で可愛い(?)二人の後輩がいなくなってすぐ、明日葉が切り出した。
「綾乃が、あんなにやれると思った?」
それは神妙な面持ちで、真剣な答えを求めているのだとわかった。
「もしかしたらやってくれるんじゃないかと思ったけど、ここまでとは思わなかった」
ここまでの綾乃成績は、王者相手に四回投げて失点は立ち上がりの一点だけで、回を投げるごとに調子を上げてきている。誰がどう見たって、立派なピッチングだ。
「明日葉はどう思ってたの?」
「わたしも、ここまでは予想してなかった」
「だよね……」
この予想外は嬉しい誤算で、もちろん綾乃本人にとっても、私たちチームメイトにとっても喜ばしい話のはず。でも、胸騒ぎが止まらない。なぜだろう。
「あいつはどう思ってるのかしら」
明日葉の視線の先にはバッターボックスがある。四回裏の千庄の攻撃は、六番の乃愛からだった。
◇◇◇◇
四回裏の千庄の攻撃は、語るところなく三人で終わった。迎えた五回表、綾乃はピンチを迎える。美月のエラーなどでツーアウト一二塁となり、一番の、上橋詩音璃が打席に立つ。
ここで芹沢先生が投手の交代を告げた。乃愛がピッチャーの用意をするため、ライトからベンチへと戻っていく。この交代に、綾乃は少し不満げだった。
「もっと投げたいです!」
マウンドへとやってきた日菜子先輩に、綾乃は言った。意外な反応ではある。試合前、あんなに緊張していたのに。やっぱり、あれだけの投球ができたなら、もっとマウンドにいたいと自然に思うものなのだろう。
「気持ちはわかるけど、元々この試合はあなたと乃愛の二人で投げきってもらうつもりだったから、ごめんね」
「……わかりました。そうですよね。すいません……」
綾乃は残念そうにマウンドを降りた。代わりにマウンドに上がった乃愛は、一番の詩音璃、二番の高山さんに連打を浴び、千庄は二点を失った。
◇◇◇◇
「綾乃とわたし、何が違うんだろ」
乃愛は言う。2-3、綾乃が残していったランナーとはいえ、乃愛が登板したとたんに逆転されてしまった。
「さあ……」
それしか言えなかった。五回裏は九番からで、確実に私に回ってくる。
桐葉のピッチャーは、前の回から桜井さんという三年生に代わっていた。九番の結衣先輩が三振に切られ、一番の明日葉が打席へ。三球目のスライダーを明日葉は叩く。打球は空気を引き裂くように疾走し、三遊間を割っていく、はずだった。
「アウト!」
詩音璃が横っ飛び、右腕を伸ばし、打球をもぎ取る。二塁審が強くアウトを宣告する。明日葉のヒットは、詩音璃の守備力でアウトに代えられた。
「ドンマイ」
すれ違いざまに私が言うと、明日葉は、
「あいつ、やばいな」
上橋詩音璃、この前入学したばっかなはずなのに、日本一のチームに馴染むどころか、完全に主力と化してしまっている。今日の試合に限って言えば、桐葉で一番の活躍と言ってもいい。ホント、上橋家の血はどうなっているのだろう。
ツーアウトとなって迎えた私の三打席目は、初球で終わった。外の変化球を打ち上げてしまい、ライトフライでスリーアウトとなる。
「うーん……」
桜井さんの変化球が予想以上によくて、うまく反応できなかった。これで千庄は、二回連続の三者凡退、リズムよく抑えられてしまっている。
「せっかく藤堂さんを下ろしたのに、あんなのが出てくるなんてね」
明日葉がなぜか笑みを浮かべて言う。笑うしかないという感じだろうか。
桜井さん、序列で言えば、巻島さん、藤堂さんに次ぐ三番手ピッチャーの彼女だけど、全国ほとんどの高校でエースになれる力を持つ、右の本格派だ。正直な話、明らかに調子が悪かった藤堂さんよりも厄介なピッチャーに思える。
「ホント、羨ましい戦力だよね。うちもこれくら――」
自分がまさに言おうとしていることに気づき、慌てて口を閉じた。それはあまりに傲慢すぎて、残酷な言葉だった。
◇◇◇◇
乃愛は六回表も苦しかった。いきなり四番、五番に連続ツーベースを打たれ、一瞬にして一点を献上してしまう。
調子が悪いのは明らかだった。球の勢いが無い。乃愛の武器であるコントロールの良さも感じられない。なかなかストライクゾーンに投球が入らず、やっとストライクに行ったと思えば、相手にとっての打ちごろの絶好球ばかりだ。
六番にフォアボールを与えたタイミングで、乃愛はタイムを取り、内野陣をマウンドに集めた。そして開口一番、言った。
「肩痛い」
「えっ?」
みんなが、目を丸くした。乃愛はひょうひょうと、
「なんか最初から肩に違和感あって、でも全然耐えられる程度だったんです。ただだんだん酷くなってきて、もう投げられないです」
あっけに取られてた内野陣だけど、日菜子先輩がようやく口を開いた。
「最初から痛かったなら、なんでそう言わなかったの?」
「いやだから、最初はちょっとだけだったんですって」
先輩相手だけど、少しふて腐れた感じも見受けられる。正直乃愛に、肩の痛みをかばうような様子はない。
「というわけで、もう投げるの止めときます」
ホントに肩を痛めているのなら、絶対にこれ以上投げさせるべきじゃない。だけど、
「ホントに肩痛いの?」
私が聞きたかったことを、明日葉が聞いてくれた。
「なーに、明日葉ちゃんはわたしが仮病使っていると思うの?」
「うん」
「なるほど。明日葉ちゃんは、わたしがこれ以上打たれたくなくて、この場から逃げ出したいばかりに仮病使うような人間だと思うわけだね」
「そうまで言ってないけど」
「まあ、半分ぐらい合ってる。この場から早く逃げ出したいのは合ってる。でも肩が痛いのは本当。仮病じゃない、ホントの話」
マウンドに芹沢先生がやってきた。日菜子先輩が事情を説明すると、先生は疑うことなく、乃愛の申し出を聞き入れた。となると、一つ問題が起きる。
「この後、誰に投げさせましょう?」
日菜子先輩と先生が相談していた。この回含めてあと二イニングを誰かが投げなければいけないのだ。
綾乃は既に控えと交代しているから、この試合投げることはできない。元々この試合は綾乃と乃愛の二人に投げきってもらう予定で、千庄の他の投手陣は準備をしていない。すぐに投げさせるわけにはいかない。
「とりあえず奈桜さんに……」
「わたし、今投げれる人知ってます」
この問題のまさに引き金である乃愛が、先生たちに向け、唐突に言った。
「えっ? でも、誰も準備してない……」
「ずっと試合に出てるんで、肩は大丈夫だと思います。あと元ピッチャーで、すっごい才能ある人なんで、これを機に試してみるのも良いと思います」
先生も、日菜子先輩も、星奈先輩も、明日葉も、美月も、この人は何を言ってるのだろうと、ポカンと口を開けていた。
「だ、誰?」
私が恐る恐る聞くと、乃愛は私をはっきりと見て、言った。
「桜希、投げて」




