73話 お似合い
「明日葉ちゃん、七組の本山くんに告白されたのだって、聞いた?」
まさに晴天の霹靂だった。放課後の練習を終え帰宅、空腹を母親の手料理で満たし、疲れた体をお風呂で癒やし、さあ、あとは寝るだけだというころ、乃愛から電話が掛かってきた。
「……知らないけど」
「あ、言ったらまずかったのかな……さっき明日葉ちゃんから電話が掛かってきて、なんだろ? って思ったら、いきなりそう言ってきたから。当然、桜希にも言ったのかと」
「全然知らない……」
入浴し、リラックスモードに入っていた体は、一瞬にしてこわばる。
「てか、本山って誰?」
「本山くんだよ、サッカー部のエース、イケメンで結構人気ある」
「ああ……」
サッカー部といわれ、なんとなく件の人物の顔が浮かび上がってくる。それなりに顔が整っていて、それなりに人気者というイメージはある。
「それっていつの話?」
「さあ……それは聞いてない」
「明日葉はなんて答えたの?」
「知らない」
「じゃあじゃあ、他になんか言ってた!?」
「……怒ってる?」
「怒ってない!」
言っていることと、語気の荒ぶり方は明らかにそぐわない。私は怒りに駆られている。でもなにに?
「明日葉ちゃん、告白された、とだけ言って、すぐ電話切ったから。わたしは何にも知らない」
「そっか、ごめんなんか」
「いやいいけど……それにしても」
乃愛の言葉はそこで途切れた。待っても待っても何にもやってこなかった。
「それにしても……?」
「あ、いいや。ごめん夜遅くに。おやすみ」
プツリと電話を切れた。ベッドに体を投げ出した。体に力が入んない。わかんない感情、たぶん、よくはない。
◇◇◇◇
「あれから、明日葉ちゃんに連絡した?」
翌朝、目覚めは悪かった。眠れなかった。ずっと意識が鮮明で、感情が迷路のなかに閉じ込められていた。出口は見えず、同じ道をぐるぐるとしていただけだった。
「いや、なんにも。明日葉が、私に連絡しなかったってことは、別になんてことはない話なんだろうし」
それは嘘だ。ホントは話の顛末が聞きたくなかっただけ。怖いんだ。明日葉が、誰かと付き合うことになることが。
登校し、二年六組のドアを開けると、目はそこに吸い寄せられる。明日葉は真ん中、教室中央の席にいる。クラスメイトの騒がしさに呑まれず、机に腰を落ち着け、読書をしている。
「おはよ」
「おはよう」
私が横に現れても、明日葉は視線を上げない。
「今日はなに読んでんの?」
明日葉の手にある本はいつもの文庫本ではなく、分厚くてサイズも大きい、ハードカバーの本だった。
「これ? 主人公の女性がある人に出会うんだけど、その人は強引に主人公に迫ってくる。でも主人公も惹かれちゃって、付き合ってた彼氏と別れて、その人と付き合うって話」
「……恋愛小説? 珍しいね」
意外だった。明日葉がいつも読んでいる本といえば、○○の殺人みたいな、物騒なタイトルのミステリーが多い。恋愛ものを読んでいるのを見たことはない。
「なんか、そういう気分だったから」
意味深に明日葉は目を細めた。いろいろと邪推してしまう。恋愛小説な気分って、やっぱり、告白されたことが影響してなのか。それにその小説の内容、略奪愛的なやつだろうか。めっちゃ気になる。明日葉が何でそれを読もうと思ったか、知りたいから。
「それ、読みたい」
「図書室で借りた本だから、終わったら借りればいいけど……上下巻の二巻だから、まだ私読み終わんないよ」
「わかった」
明日葉は私の返答が終わると、また小説の世界に浸り始めた。しょうがなく、私は自分の、窓側の一番前の席に戻る。結局なにも聞けてない。昨日の件について、根掘り葉掘り本人から聞くはずだったのに、怖くて一歩踏み込めなかった。
「おはよー」
うなだれるように席に突っ伏した私の元へ、クラスメイト三人がやってきた。普段、あんまり話さないような、おしゃべり好きな人たちだ。
「ねえねえ、関長さんが本山くんに告白されたってホント?」
噂が伝わるのは早いというけど、これほどとは思わない。クラスメイトたちの興味津々な笑顔が、私にはなぜか、悪意が詰まったものに感じられた。
「知らない」
「そうなの? でも、ねえ?」
「うん、あたしはそう聞いたけど」
彼女たちは顔を見合わせ、しきりに頷きあっている。彼女たちでも事の翌朝には知っているというのに、私は、乃愛が教えてくれなければなんにも知らないままだった。
私に言わない、言えない理由がある?
「でも、お似合いの二人って」
「うん。本山くんと釣り合う人ってなかなかいないと思うけど、関長さんならねえ」
「可愛いし。頭もいいし。スポーツも。ミステリアスな部分も魅力的じゃない?」
私の席を囲み、私を抜きに話は続けられていく。聞いているだけでむかむかする。気づけば、両手を強く机にバン! って叩きつけていた。
「な、なに……」
「トイレ」
もちろん、ホントにトイレへ行きたかったわけじゃない。ただその場に居られなくなっただけ。後ろからひそひそ声が聞こえるけど、全部無視して、教室を出た。
私たちの六組を出てすぐ、七組の教室がいる。ドア越しに中をのぞくと、本山くんがいる。机に座り、サッカー部や男子野球部の人たちと駄弁っている。どうせ、ろくでもない話をしているんだろう。ああいうチャラい人たちの話なんか、中身なんかないはずだ。
「どうしたの? 怖い顔をして」
ふわっと耳に飛び込んできた声で目を覚ます。いつのまにか横に立っていたのは、チームメイト、舞香だった。七組の舞香は、ちょうど登校してきたみたいで、リュックを背負っていた。
「あたしたちのクラスになにか用かな?」
「い、いやなんでもない」
「ホントに? 中に親の敵でもいるかのような顔してたけど」
「な、なんでもないから……!」
舞香は教室をのぞき込んでいた。舞香が噂を知っているかはわからない。それでも、詮索されるのが嫌で、会話を続けたくなかった。
◇◇◇◇
日中、なにも起こらなかった。なにも聞けなかった、とも言い換えられる。ただ、平凡な日常が続いた。
放課後の練習も特に代わり映えのすることもない。一年生がいるのも当たり前になってきた。そしてそばに美月がずっとへばりついているのも、違和感がなくなった。
「ショートって特別な感じありますよね」
練習後のグラウンド整備、トンボで地面を均しながら美月は言う。
「一塁手、二塁手、三塁手ときて、遊撃手ですよ。内野手の中で一人だけ特別なんです、ショートは。あたしも今までずっとショート守ってきたんですけど、桜希先輩がいるんじゃしょうがないです。おとなしく、他のポジションを守ります」
美月は最近、サードの練習をしている。明日葉のレギュラーを奪うと豪語していた美月だったけど、意外にもあっさりとポジションのコンバートを受け入れた。なんでも「サードでも先輩の隣のポジションなんで大丈夫です!」とか。
理由はともかく、ポジティブなのは羨ましい。ちょっと悪くいえば脳天気だけど、その明るさをちょっと分けて欲しいとも思う。
「美月はさ。迷わなかったの? この高校に入学を決めるの」
「どうしてですか?」
私の質問の意図がわからない、とも言いたげに美月は口元に人差し指を添える。
「だってさあ。都会の親元を離れて、野球をするためだけにこんな田舎に来るなんて、私だったらちょっと考えるけど」
「そうですねえ、あんまり考えなかったです」
「ホームシックになるかも、とか」
「ああ」
ずっとあっけらかんに喋っていた美月だったけど、ここで初めて――出会ってから初めて神妙な表情を見せた気がする。
「たぶん、こっちに来た方が、おばあちゃん家の方が居心地がいいんで。だいたい県じゃないですか。ホームシックになるほどじゃないです」
美月は、顔をぶるぶると振った。すると、雰囲気は元通りの明るさを取り戻した。何か“明るさ”という衣装を再び着直したみたいに。
「ていうか先輩、何か悩み事でもあるんですか?」
「……あるっちゃあるけど」
「あたしが解決してあげましょう! ずばり、悩み事はなんですか?」
「いや無理、絶対言えない」
「どうしてです?」
「無理なものは無理!」
それは、とぉってもプライベートな話だから。
「ふーむ」
美月はなにやら両腕を組み、うんうんと頷きながら、
「まあ人生いろいろありますけど、とりあえず進んでみることも大切です。遠くから見たら高くてとても超えられそうな壁でも、近づいてみたらそうでもなかった、ていうこともありますからね」
別にアドバイスを求めてないし、美月の言うことなんて当てにならないだろうと思っていた。ところがどうして、それなりに背中を押してくれそうな助言ではある。
「どうですか?」
そう言って美月はニコニコ笑う。単純明快に思えていたこの後輩が、ちょっとずつ分からなくなってきている。
◇◇◇◇
「明日葉」
夜が目覚めかけている。視界が暗い。電灯の明かりを頼りに、明日葉の背中に声を掛ける。帰宅する女子野球部員たちが、私たちの横を次々と通り過ぎていく。
「なに?」
「えっと……」
練習終わり、私はいつもより早く帰り支度を済ませた。そして校門前の坂を下る明日葉を捕まえた。幸いにも明日葉は一人で歩いていて、プライベートな話をするのに好都合だった。
「電車の時間あるから、話があるなら手短にお願いしたんだけど」
「うんわかってる」
美月に背中を押されたことになる。たいしたことじゃないはず。でも、心臓の震えは大きくなる。
「七組の本山くんに告白されたって、ホント?」
たったこれだけのことを聞くだけに、一日中悩んでいた私は、ホントの小心者だ。ようやく言えた。でも、心臓の震えはなおも激しい。問題はこの先だ。
「うん。誰から聞いた?」
「乃愛から。それで、なんて返したの?」
「断ったに決まってるじゃん。部活に集中したいから無理って、今日の昼に言っといた」
「そっか……」
そこでようやく、一日中ため込んでいた不安や鬱憤を吐き出せた。
「ホントはサッカー部の人なんて絶対無理、って言ってやりたかったけどね。大体、ちょっとしか話したことないのに、ホントびっくりした」
明日葉は笑っている。なんだか私だけが気に病んでたみたいで、やっぱりすっきりしない。だから聞いた。
「どうして乃愛に連絡したのに、私にはなんにもなかったの?」
「別に大した話じゃないし。桜希に言うの、忘れてただけ」
それがホントかどうかはわかんない。しかしこの話はもういい。もう終わった話だから。次は、終わっていない話。
「もう一個聞いていい?」
「手短なら」
「3月31日の別れ際。あの時のあれは何?」
もう止まらない。ずっと心に留まっていた言葉たちが、すらすらと出て行く。
「あの時とか、あれとか……なんのこと?」
「とぼけないで! あなたが私に、いきなり別れ際にしたことよ」
「ああ、キスしたこと?」
「そうよ」
「それがどうかした?」
「どうかしたって……」
白々しい態度にひるみそうになる。だけど、もう戻れない。
「……なんで、あんなことしたのかだけ教えて」
「魔が差した。それだけ」
「それだけって……それで私は、あんなことされた私はどうしたらいいの……?」
あの日からずっと私はおかしい。寝ても覚めても、明日葉のことばかり考えてて、野球にも勉強にも集中できない。私をそんなのにしたのだから、責任を取って欲しい。
そして明日葉の口から出てきた言葉は、私を打ちのめすのに充分だった。
「忘れて」
言って欲しかった、聞きたかった言葉があった。実際に耳に入ったのは、それとは真逆の言葉だった。
「忘れれるわけ、ないじゃない……!」
初めてのだったのに。
「ごめん」
「おーい」
乃愛がやってきて、場の緊張は崩れた。
「もう桜希、わたしを捨てて先に行くなんて」
私の存在も忘れ、明日葉を追って出たのだった。その結果がこれだ。
「じゃあわたしはこれで」
「うんじゃあね、バイバイ!」
私は明日葉になにも言えなかった。明日葉が背中を見せ、去っていく。
「なんで謝るのよ。バカ」
そう呟いた私を、乃愛が、不思議そうに見つめていた。




