63話 準々決勝VS東京成龍学園①
「青見ちゃん!」
私を呼ぶ、懐かしい声が響く。振り向く前に、声の持ち主が誰かわかった。
「先輩!」
予想通り、千庄の前キャプテンである陽子先輩がそこにはいた。
「来てくれたんですね」
「うん、ホントは一回戦から来たかったんだけど、なかなか予定合わなくて。ここまで勝ち上がってくれてよかった。準々決勝進出おめでとう! ……って今から試合なのにそれはおかしいな」
陽子先輩は小さく笑った。志望校である神戸大に合格し、この春から大学生となる。私服姿の先輩は、すごく大人びて見えて、なんだかドキッとした。
光先輩とか、他の三年生たちの姿も見えた。今は球場入りの直前で、多少ナーバスだった心が、少し解けた気がした。
陽子先輩は私の顔をまじまじと見つめると、
「なかなか、良い表情してる」
と、小さく微笑む。
「そうです?」
「うん」
よくわからないけど、先輩は満足そうに「うんうん」と頷いているのでよしとした。
「頑張って。ここまで来たら優勝してね」
「はい! 優勝します」
先輩は背中を見せ、光先輩たちに合流していった。
強い風が吹く。陽子先輩の、自身の髪が乱れないよう右手で頭を抑える姿が見えた。
“優勝します!”と言ってみたもののやはり簡単じゃ無いし、なにより今日の壁、東京成龍学園を超えるのすら厳しいと思われる。それにさっきから、ずっと風が暴れている。今日の試合はどうなるのだろうと、胸が騒いだ。
◇◇◇◇
「ライト!」
試合前のシートノック、芹沢先生が打った打球を、今日ライトで先発出場の、村井美佳先輩が追っていく。
二回戦で足を負傷した乃愛はスタメンを外れることとなった。千庄にとっては攻守において痛手となる。
美佳先輩は高く上がったフライを、足取り怪しく捕球した。単なる正面のフライにしては手間取ったキャッチではあったけど、別に先輩が下手という話では無い。上空をかき乱す、風がそうさせたのだ。
バックスクリーンの上に立った旗が猛烈にはためいている。方向はホームから三塁方向へ、右バッターにとっては追い風となるけど、私にとっては微妙なところだ。
ここまで強烈に風を浴びながらの野球はめったに経験できるものじゃ無い。もしかしたら、このいたずらな風が試合の運命を変えちゃう可能性もある。
「キャッチャー!」
シートノックの最後、日菜子先輩へのフライが上がる。ボールは風に煽られ、軌道を大幅に変えていった。日菜子先輩は追い切れず、ボールは地面へと落ちた。今日の風は、厄介だ。
◇◇◇◇
後攻の成龍のシートノック、必然的に視線は春野さんへと寄ってしまう。成龍は優勝候補、すぐれた選手が揃っているはずなのに、春野さんの動きはその中でも抜けている。動き出しからトップスピードへの移行の早さ、足捌き、捕ってからの絶え間の無さ、送球の力強さ、シートノックだけで日本一のショート、野手と呼ばれる所以を証明している。
自分との違いを探してみる。なにより、春野さんのキャプテンシーが目につく。声を出し、チームメイトを鼓舞し続けている。強豪校らしい、成龍のきびきびとした動き、球場に響く活気あふれる声たちの中心には、間違いなく彼女がいる。
「どうしたの? ボーっとして?」
ずっと視線を固定したままだった私に違和感を覚えたのか、明日葉が顔を覗き込んできた。
「んー、なんでもない」
あんまり敵のことばかりを考えてもしょうがない。まずは自分の出来ることをして、この難関を突破すること。明日葉の誕生日に、決勝を甲子園で戦うことを目指す、それだけに集中しようと思った。
◇◇◇◇
試合前の整列、春野さんは猛烈な眼光を私へとぶつけた。
「おねがいします!」
幾重にも声が重なり、二つの整列は散っていく。先に守る、成龍の選手たちは守備位置へ散っていく。先攻の千庄部員はベンチへと戻っていく。
私と明日葉は打席の準備をしなければならない。今日もいつもと変わらず、明日葉が一番で、私が二番だ。
マウンドには背番号10、高山さんが投球練習を行っている。エースの道元さんは温存、ということだ。道元さんはライトでのスタメンだから、中一日で行われる準決勝、大阪桐葉戦を見据えてのことだろう。
「行ってくる」
明日葉は打席に向かった。名前がアナウンスされ、球場から拍手が起き、試合が始まる。三塁側のスタンドのブラスバンドの奏でる音たちが、場を彩り始める。今日の試合には吹奏楽部がやってきてくれた。それに一回戦、二回戦よりも千庄応援の人たちも増えたように思う。やっぱり近場で全国の舞台を戦えるというのは、かなりアドバンテージがある。
「プレイ!」
初球、高山さんの右腕から繰り出された球は、外角を丁寧に突いていった。明日葉は見逃し、ストライクが宣告される。
二球目、カーブ――投球は打者を嘲えようと大きく曲がっていく。キレと変化を兼ね備えた並のバッターならタイミングを崩されたり、バットで捕まえられないほどの球だったが、
明日葉には脅威になり得ない。
バットが強く振り抜かれ、真芯で捉えられた打球は、鋭くレフトへと飛んでいく。ただ、ボールの行き先はレフトの真正面で、足をほとんど動かさず、外野芝生に触れること無くグラブへと収まる。
レフト前に落ちると思ったけど、打球はかなり伸びていった。風の影響もあっただろうか、いやそれ以上に打球の力強さがあった。二回戦では、あとちょっとでホームランの打球もあった。明日葉のバッティングは、進化している。
『二番ショート、青見さん』
左打席に入る。ブラスバンドの奏でる音楽でリズムを感じ、ピッチャーの動きを待つ。一球目、外へと逃げていくボール――シュートを見送った。
ピッチャーの高山さん、二番手といえども、他の全国出場校におけるエースたちにまったく見劣りしない、レベルの高い右ピッチャーだ。
しかし全国トップクラスであるエース、道元さんには劣る。成龍ほどの名門でも、最高峰のピッチャー複数枚かかえているわけではない。そんなの、全国でも桐葉だけだ。
二球目、ストレートが正確に外角低めへとやってくる。テニスラケットのように柔らかくバットを使い、逆らわずはじき返す。センター前へのシングルヒットとなった。
『三番センター、相庭さん』
すみれ先輩への初球、盗塁のサインが出た。たぶんシュートだったか、先輩はボールを見逃した。横目で打席の様子をちょっと窺い、全速で二塁へと走る。
「セーフ!」
ショート――春野さんがタッチをするより早く、スライディングは二塁へ達した。これでワンアウト二塁、先制のチャンスを作れた。
春野さんは「バッター集中ね」と、ピッチャーへ声を掛けた。そして、私へと視線をよこした。
「こんにちは、みさきさん」
「……だからみさきじゃなくって、桜希です。春野秋穂さん」
「やっぱり、また会ったわね」
春野さんは口角を上げた。その笑みには、喜びが含まれている気がした。
「そんなに、私のこと気になります?」
「ええ、とっても」
すみれ先輩、星奈先輩と連続で打ち取られ、スリーアウトとなる。初回の攻撃は0点で終わり、成龍の攻撃へと変わる。
◇◇◇◇
『一番セカンド、陽さん』
成龍の一番は台湾からの留学生で、上背はあんまり無いけど、身体能力が高く、攻守ともに力強いプレーが持ち味な選手だ。雑誌の情報に寄ると、彼女はなんとか族っていう台湾の先住民の血を引いているらしい。
初球、今日先発の奈桜先輩が投じたストレートは、吸い寄せられたようにど真ん中へと向かう。待球の考えは無かったのか、陽さんは迷わず振り切り、ボールを叩く。
痛烈なゴロが私の右側、三遊間を襲う。私は飛び込んだが、まったく及ばなかった。レフト前ヒットとなり、さっそくの出塁を許す。
二番バッターはバントでランナーを送る。ワンアウト二塁、二球で作られたピンチ、そして打席には、
『三番ショート、春野さん』
一塁側スタンド、何十人もの成龍部員たちが大きく声を飛ばす。春野さんが左打席に立つ。一礼し、足場を固め、バットを目の前に掲げる。守備では常に声を絶やさない彼女だが、打席では一切声を出さない。さながら武道の師範のように粛然と作法を進めていく。球場の雰囲気がピリついた。知らず内たまっていた唾、私は思わず飲み込んだ。
バッテリーも並々ならぬ圧を感じたのか、一球もストライクを取ることができなかった。フォアボールとなり、ワンアウト一二塁、ピンチは広がる。
立ち上がりの奈桜先輩はいきなり初球を打たれたことにより、落ち着く暇を得られなかった。四番にあっさりとスライダーをセンター前に落とされ、陽さんが生還、一点を先制される。
その後の二人はアウトにとり、なんとか一点でしのいだ。ただその二人からも、安易にアウトを取れたわけでは無い。一人には十球粘られ、もう一人には痛烈な当たりを打たれた。幸い飛んだ先がレフト正面で、事なきを得たが、重苦しい試合のスタートだったのは明白だった。
◇◇◇◇
ツーアウト二塁、バッターは先頭に帰り、陽さんが意気揚々と右打席で待ち構えている。一回裏に続き、二回の裏も苦難が続く。またしても、陽さんは奈桜先輩のボールを捉える。
痛烈なゴロが、また私の右を襲う。今度は私の支配下、素早く反応し、ボールに追いつく。逆シングルで取り、足で地面を掴み、踏ん張っての一塁への送球、ワンバウンドで星奈先輩のグラブに収まる。
「アウト!」
なんとか間に合い、一塁審の右腕が上がった。追加点は与えずに済んだけど、見通しは暗い。この回の守りも長かった。対し千庄の攻撃は三人があっさり料理され、一瞬で終わった。ここまでの両チームの攻撃時間は体感五倍の差はある。
この回の千庄の攻撃は八番から。打席の準備へと向かう明日葉は言った。
「流れが悪い」
否定しようもなく頷いた。先頭の美佳先輩がキャッチャーフライに終わった。明日葉はネクストに向かうと見せかけ、振り返った。私へと言う。
「まずは、この重苦しい雰囲気を変えないと」
「うん。まずは、同点に、私たちで一点取ろう」
九番の奈桜先輩もピッチャーゴロとなり、ツーアウトとなる。
『一番セカンド、関長さん』
ツーアウト。だけども明日葉がヒットで出て、盗塁し二塁に達する。そして私が適当に外野の前に打球を落とせば、明日葉は生還する。それだけで同点だ。ミッションは簡単なことだ。
ランナー二塁、ヒットで一点の場面を想定する。大きいのはいらない、外野前に落とせばいいだけ、そんな心構えでいたけど、無駄に終わることとなる。
高山さんの初球、カキーン――明日葉は真ん中へのシュートを引っ張っていった。打球は理想的な角度で空を飛んでいく。フィールドに落ちず、レフトのポールを巻くこと無く、ボールはレフトスタンドに落ちた、ホームラン、試合は振り出しに戻る。
ピッチャーは放心状態でレフトスタンドを見つめていた。大歓声が球場を包んだ。ただ当の本人は、腕を突き上げることも無く、淡々と塁を回っている。
“わたしなら当然よ”とでも思っているのか、それとも内心は喜んでいるけどクールに決めているのか、それとも頭真っ白になってしまったか、遠くからでは心情を図りかねる。とりあえず私の心はめっちゃ飛び跳ねている。ゾクゾクが止まらない。
「ナイスバッティング!」
塁間を一周し帰ってきた明日葉と両手でハイタッチをした。ホントは抱きつきたかったけど。
「二人で一点、って言ってたのに」
「風に乗っただけ」
私の言葉には、素っ気なく明日葉は返した。ようやく近くで顔見れた。頬の上気と緩み具合から、ホントはめちゃくちゃ喜んでいることがわかった。
『二番ショート、青見さん』
興奮で全身が熱いまま、左打席に入る。動揺が収まらないのだろう、ピッチャーに尋常ならぬ様子が見える。続く。この波に、乗るしかない。




