62話 日本一のショート
二回戦の翌日、ようやく、全国ベスト8という実感が湧いてきた。
私たち千庄高校は、大阪桐葉、埼玉徳咲、神戸海稜、履彩社、東花巻などの超有名、名門校たちの顔ぶれの中に残ってしまっている。全国に存在する、千校ちょっとの女子野球部たち、その中の八校の中に、私たちは残ってしまっている。
場違いなんじゃないかという気持ちと、ここまで来られた嬉しさが、心の中でごっちゃ混ぜになっている。でもやっぱり、心の中を一番支配していることは、準々決勝の相手、東京成龍学園についてだ。
そもそも私たちはこの選抜が始まる前、全国で勝利すら挙げたことがなかった。だから、二勝からのベスト8で明らかに浮き足立ってしまっているが、成龍の場合は決してそんなことにはならないだろう。彼女らにとってはここまで勝ち上がるのは当たり前のことだから。
昨夏の成龍は全国ベスト4、昨春は準優勝、その前の夏はベスト8、要するに、今の成龍の部員たちは入学してから全国ベスト8より下の成績を経験したことがない。ちなみに、その前の年は夏優勝している。千庄と成龍の実績は月とすっぽんだ。
今大会の試合もまったく危なげが無い。一回戦は8-0、二回戦も6-1と、相手に付け入る隙を一分も与えてない。
「まずピッチャー、エースの道元静香、全国屈指といっていい右腕です」
千庄部員たちは旅館の一室を借り、次なる相手の試合映像を見ていた。モニターを指差しながら、日菜子先輩が成龍選手たちの情報を伝えていく。
「ストレートはめっちゃ速いです。カーブ、シュートでカウントをとってきて、決め球はチェンジアップ、スライダー。オーソドックスといえばオーソドックスだけど、どの球も一級品で、全国トップクラスの右腕といえるでしょう」
道元さんに関していえば、私も注目選手として載った『月刊女子野球』では、大会で五本の指に入る投手として紹介されていた。私たちの一個上の世代の右ピッチャーでは、ナンバーワンとの声もある。
「野手の中心はなんといっても、春野秋穂。春と秋で、とても過ごしやすそうな名前」
日菜子先輩は一瞬、前方の部員たちを伺った。冗談を言ったつもりなのだろうけど、誰一人反応しなかった。私も、先輩に反応している余裕は無かった。今まさにモニターの中で打席に入った、春野さんに関心のすべてを寄せていたからだ。
この人のことは知っている。話したこともある。一回戦が終わった後、球場において突然私に話しかけ、因縁を付けてきた成龍の選手、その人こそ、春野さんだった。
そのときはまったく誰だかわからなかったけど、どこか顔に見覚えがあった。今思えば、それは月刊女子野球で彼女の顔を見ていたからだった。
「右投げ左打ち、チームのキャプテンで、ポジションはショート。走攻守どれをとっても大会屈指だそうです」
日菜子先輩はおもむろに雑誌――月刊女子野球をそのまま読み上げている。俗に言う、カンペ読みという奴である。
「ショートとしては日本一と呼ばれている……」
ずっと雑誌に視線を走らせていた先輩だけど、顔を上げた。ちょっとだけ私へとぴったり目を合わせた後、
「私はそう思わないけど……」
先輩が“日本一のショート”とまで言ったところで私を見たこと、そして、春野さんがわざわざ私に因縁をつけてきたこと、この事たちの意味を感じられないほど、私は鈍感じゃない。
私は、春野秋穂――日本一のショートと比べられている。
モニターの春野さんは、投手の球をものの簡単に右中間奥深くへと持っていく。俊足を生かし、三塁まで到達した。噂に違わぬ躍動ぶりを見ていると、妙に、胸がざわざわした。
◇◇◇◇
対戦相手の情報を共有した後、近くの高校のグラウンドを借りて練習を行う。準々決勝は明日であり、最終調整の場となる。
バッティング練習では、相手のエースの道元さんを想定し、打撃投手にいつもより近くから球を放ってもらった。速い球対策だ。
「ナイスバッティング!」
スイングする度にそんな声が周りから飛ぶけども、私自身はあんまりしっくりきていない。近くから投げてもらうことにより、打撃ピッチャーの球は見かけ上、道元さんのスピードに近づいている。
けれど、私は道元さんの球は、あくまで映像でしか知らない。実際に打席に立ってみれば、もっと速く感じるかもしれない。
いっそのこと、もっと速い球、日本一速い、沙音璃の球を想定すればいいのではと思った。たぶん道元さんの球があれに優ることはないだろう。
「ごめん、もうちょっと近づいて」
距離を縮めて投げてもらったけど、記憶にある沙音璃の球はもっと速い気がした。だから「もっと近づいて」とお願いすると、同級生のピッチャーは、
「これ以上はちょっと……桜希の打球、怖いから」
やっと我に返った。もうピッチャーと私の距離はめちゃめちゃ近い。これは怖いと言われてもしょうがない。
「ご、ごめん」
できるだけ距離を縮めてもらい、バッティングを続けた。自分の調子自体は悪くなかった。二回戦でのホームランを打ったスイングの感覚を、まだ体が覚えている。忘れないよう、何度も繰り返す。
「ありがとうございました」
バッティングを終えたところで、後ろから声を掛けられる。
「なかなか気合い入ってんね」
すみれ先輩だった。
「道元のスピードあそこまでじゃないと思うけど。あんなに近づかなくてもよかったんじゃ」
「いえ、あれは沙音璃の、上橋沙音璃の球をイメージしたんです。一番の、最高レベルを想定しとけば、打席に立った時に絶対に面食らわなくて済むかなって」
「ほーん。なかなか、うーん。あーもう駄目だなあ」
突然、投げやりな言葉を羅列し始めたすみれ先輩は、急に自分で自身の両頬をたたいた。パンパンと、二回、音が鳴った。
「ど、どうしたんですか……?」
「ん、いや、ちょっと自分のたるんだ気持ちが恥ずかしくなって。気合いを入れ直そうと思って。なんというか、二回戦を終わってから、どこかでもう満足してしまってたから、ベスト8結果にね」
その気持ちは、決してわからないわけでは無かった。
「だって千庄は、全国出場がこれで二回目で、これまで一回も勝ったことが無かったんだよ。ここまで来たらみんな褒めてくれるだろうし。次の相手は優勝候補だし」
「ちょっとわかります。たぶん、おんなじこと考えてる部員も多いとは思います」
「そうかなあ……」
私から視線を流し、先輩は涼しげな視線を伏せた。短く整えられた黒い髪が、汗のせいか、光って見えた。
「なんか、意外です。先輩もそういうことを思うんですね。もうちょっとストイックかと」
先輩は前チームからレギュラーを張っており、このチームでは副キャプテンである。上位打線を打っていたり、センターというポジションを守っていることから、同じく上位打線を打っててショートの私とはずっと近い位置にいた。だからそれなりに話をすることも多いけど、こうした心境を吐露されたことは無い。
「ま、あたしはそういう人ってこと。こういうところがあるから、あたしじゃなくて日菜子がキャプテンになったんでしょうね。実際あたしも日菜子が適任だと思うし」
中性的で凛々しさすら感じる顔から、あんまりそういった性格を想像できない。一年生たちみんなが、すみれ先輩がキャプテンになる、またはなってほしいと言っていたほどには、人望もある。
「ま、せめて、君たちの足は引っ張りたくないけど。一、二番が優秀だと三番は大変なんだよね」
◇◇◇◇
「やっほー。調子はどう?」
宿舎での食事を終えた後のつかの間の自由時間、スマホが鳴った。見てみると、沙音璃からの通話だった。いつでも明るい声色で、なぜか、
「調子は、うん、いいけど。そっちは……聞かなくていいや、どうせ、絶好調なんでしょ」
「そのとーり。で、そっちは次、成龍学園だよね。いやーなかなか」
「対戦したことある?」
「いやー無い。とりあえず道元と春野は知ってる。あいつら超有名だから」
「そう……」
一瞬、春野さんについてどう思うか聞くか迷った。けれど、自分が“日本一”を意識しているのを見透かされるのが嫌で、なにも言わないことにした。
「えっと、東花巻よね。どう、勝てそう?」
「うん余裕余裕」
余裕綽々に沙音璃は言った。沙音璃のどや顔が目に浮かんだ。この人は、常にエネルギーが溢れている。これで満足、十分なんて思ったりするのだろうか。彼女の、原動力はなんなのか、どこにあるのか、知りたかった。
「沙音璃は、なんか目標とかあるの、夢とか」
「んーそうだなあ。とりあえずは全国の有力選手たちを全員叩きのめすこと。道元も春野も、あと乃梨子や君も。次は150キロを投げて世界中にあたしの存在を知らしめること」
「沙音璃らしいね」
150キロなんて、女子にとっては常識的な数字ではない。でも、なんだか沙音璃ならできる気がした。
「あ、ごめん。監督に呼ばれたから、切るわ」
「うん。明日お互い頑張ろうね」
「じゃねー。また明日。グッナイ!」
沙音璃からの通話は切れた。騒々しさが一瞬にして消え、突然、辺りにポツンと取り残されたような気持ちになった。
◇◇◇◇
部屋に戻ると、明日葉が、壁に寄りかかり目を閉じていた。その両耳にはなにか音楽でも聴いているのか、イヤホンがあった。
「何聴いてんの?」
「ん」
近づき、ほっぺを摘まんでやると、明日葉は目を開けた。あんまり明日葉がイヤホンを耳にしていることを見たことは無い。
「波の音」
「波の音!?」
去年の夏のことを思い出した。県大会決勝の前夜、波の音を聴く先輩の姿がありありと思い浮かんだ。先輩曰く、波の音を聴くと落ち着けると。
「なんか陽子先輩みたいだね」
「この前、その陽子先輩に聞いたの。落ち着きたいときは波の音を聞けって」
「ふーん。落ち着きたいって、緊張してるとか?」
「緊張じゃない。明日の試合に武者震いというか、わくわくしてるから、リラックスしようと思って」
私の中に、疑問が浮かんだ。それをそのまま、素直に言葉にした。
「明日葉はさ、ベスト8まで来れてもう十分だと思ったりしてない」
「はぁー、そんなこと思ってるわけないでしょ。もしかして桜希はそう思ってる?」
「えっまあ、ちょっとは……」
明日葉は、大きくため息を吐いた。
「あのね。わたしたちの力を試したくないの。こっからの全国トップの連中相手に結果出したくないの」
「……出したい」
「でしょ。それに、決勝に行けず、誕生日を惨めな気分で迎えたくないもの」
そうだ。ちょうど大会の決勝の日は、明日葉の誕生日だった。最高の誕生日にしてあげようと思っていたのに。
「ごめん!」
私は、練習のときのすみれ先輩のように、自分で自分の両頬を叩いた。気合いを入れ直した。
「な、なに……?」
明日葉の手を取った。
「成龍に勝って、準決勝も勝って、決勝行こ」
最初は少し困惑が浮かんでいた明日葉の顔も、やがて気を張った表情に戻し、
「当たり前でしょ」
ごちゃごちゃ考えていたけど、すっきりした。私にはそれで十分だ。明日葉の誕生日、その日に決勝戦を戦う、それだけ考えていれば十分だった。




