56話 僕とわたし
「これまでの努力の成果を発揮して、えっと……一つでも多く勝てるよう頑張ってきます」
体育館の壇上、日菜子先輩はそう言った。全校生徒を前にし緊張しているのか、なんだか歯切れが悪かった。
三月の半ばの終業式の後、女子野球部の面々は壇上に呼ばれ、選抜出場へのお祝いとエールを送られた。簡単な壮行会みたいなもので、最後に日菜子先輩の言葉で幕は閉じた。
学校は昼までで、これで三学期は終わり、春休みに突入する。私たちにとっては目指してきた舞台がじりじりと近づいてきていることを意味している。
「青見さん、ちょっといいですか?」
午後からの部活に向け、私たち女子野球部の一年は集まり、教室で弁当を食べていた。そのとき、たぶん二年生であろう女子三人組が、廊下から私を呼んだ。何だろうと、廊下へ出てみると、
「選抜頑張ってください!」
三人組のうち、一人がなぜか敬語で言う。「あ、はい。頑張ります」と返すと、彼女たちは満足したのか、キャッキャ言いながら去っていく。
「さすが、学校のスター」
教室に戻ると、乃愛が大げさな口振りで言う。
「スターって……そんなんじゃないって」
「いやいや最近学校中の人に声かけられてるじゃない」
確かにそうだけど……“スター”は大げさではないかと思う。
「“月刊女子野球”にも載ってたし」
月刊女子野球はその名の通り、女子野球についての内容を主とした月刊雑誌である。今月号は選抜大会の特集で、私も注目選手の一人だとかで、二月に取材を受けた。
自分のことが載った雑誌なんて読む気がしなかったけど、母親が買ってきたから、一応目を通した。私を十人以上の注目選手の一人として、ちっちゃい写真と、ライターの寸評と、“優勝目指して頑張ります”という短いコメントだけが載っていた。
注目選手といっても、たいしたものではなく、もっと特集されている人たちが何人もいた。なんと言っても一番の目玉は沙音璃のようで、表紙も彼女だし、特集に何ページも割かれていた。まあ沙音璃が表紙なら売り上げも増えるだろうなあ、なんて思った。
「なんか桜希の写真、ひきつった顔に見えてたけど」
明日葉は言った。そう言うってことは、明日葉も私の小さな特集を見たってことだろう。
取材の時、カメラを向けられた私は、これから撮られる写真が全国的に出回ってしまうと思うと、表情が強ばってしまった。
「その話はいいから。それより、決勝の日って、明日葉の誕生日でしょ」
話を即刻切り替えたくて、昨日気づいた事実を取り上げた。選抜の決勝が予定された日は、明日葉の誕生日だった。私の言葉を受け、明日葉は、
「そうだけど、なんなの?」
「優勝――優勝をプレゼントするから」
「はあー? プレゼントって……なんか違くない? 優勝って、わたしだけが貰うもんじゃないし、わたしだって貢献するのに」
「いいの、細かいことは。誕生日に日本一になれたら、最高でしょ」
三月末、それがホントに起きたらと、想像しただけで気持ちが高ぶる。
「いいねいいね」
他のみんなも乗ってきて、明日葉の誕生日を日本一で祝おうという気持ちで私たちは一つになった。
「いやだわ、そんな。別にわたしのためじゃなくても」
明日葉は、恥ずかしげに頬を掻いていた。
◇◇◇◇
近頃、天候は本当に安定してきていて、春の芽生えが濃くなってきた。今日の朝、私たちは学校に出発し、選抜の舞台へと向かった。
今日は開会式と、一回戦の四試合が行われる。私たちの出番は二試合目である。いきなりの出番だけども、あんまり緊張を感じなかった。やはり昨夏の経験や、いろんな舞台を積んできたのが大きいのだろう。
会場に着き、球場の姿を視界に収めると、胸にこみ上げるものがあった。目の前に大きくそびえる球場、昨夏の選手権と同じ場所、私たちは、ここに帰ってきた。
あの時は、落ち着きを取り戻す時間も無く、あっという間に終わってしまった。けれど今回は、前回とは全然違う。心の余裕がある。経験を経て、強くなれたし、違う結果がやってくる。
開幕式の前、私たち、選抜に出場する選手たちは球場外でぞろぞろしていた。そんなとき、不意に後ろから、人の手みたいなのがにょろりと出てきた。二つの手はそのまま私の瞳を塞ぎ、視界が真っ暗になる。
「だ~れだ?」
思わず大きな声を発しそうになったけど、ただのいたずらだということに思い至り、声を抑えた。でも、この声は誰だろう。
こんないたずらをやってくるのは、うちの部だと日菜子先輩か、星奈先輩だけど、声が全然違う気がする。
となると他校の選手だけど、私の知り合いと言えるのはこの場にいるであろう選手で、知り合いは沙音璃だけである。その沙音璃のとも、この声は違う。考えていくうちに、なんだか恐怖が湧き上がってきた。
「だ、誰ですか……?」
「僕だよ、僕」
「ぼ、僕……? 一人称が“僕”の女の子なんて、私の知り合いにはいないんですけど」
「あ、そうか。前、君に会ったときは“わたし”って言ってたか」
ますます意味がわかんなくなって、私は強引に手を振りほどき、振り返った。
「巻島……さん」
「やあ、久しぶり」
そこに立っていたのは、巻島乃梨子。大阪桐葉の背番号1――秋までは10番だったのに、高校生ナンバーワンと言われていた秋までのエース、藤堂香織さんの座を見事に奪った。ユニフォームの胸に刻まれたTOYOの文字が、威圧感を周囲に放っている。
「び、びっくりしたー。なんなの、“僕”とか“わたし”とか」
「わたしは僕だよ」
「はい?」
「僕は一人称とか二人称、気分で使い分けてるんだ。決して急にキャラ変したわけじゃないよ。これは昔から」
「二重人格的な?」
「まあ、そんな感じ」
「……あなた、“変わってる”って人によく言われない?」
「“変わってる”とか、“痛い子”とか“頭おかしい”とかよく言われるんだけど、君もそう思う?」
「……全面的にそう思います」
「そうかなー?」
巻島さんは愉快そうに笑みを浮かべていた。さっきまで試合に向け、気合いを充填できていたのに、この変な人の登場で体の力が抜けていった。
「うーん」
その言葉をスイッチに、彼女の表情にシリアスがかかる。
「今のあなたは、秋に会ったときよりも良い顔してる。きっと、自信がついたのだと思う」
巻島さんのぱっちりした瞳が、少し伏せがちに私を見つめる。ふわふわしたミディアムヘアの彼女は一見童顔だけど、こうして近くでよく見ると、同い年とは思えないぐらいの大人の色気も感じる。
「でも、まだまだ。あなたはもっと良い顔ができるはず。前会ったとき、あなたが野球をする理由を聞いたけど、まだ見つかってないのでしょう。それが見つけられたときのあなたを、わたしは見てみたい」
「……」
瞳は深く、濃い。吸い込まれそう。そこで、「桜希ー!」と私を大声で呼ぶ声が聞こえた。それは沙音璃だった。正直、助かった。
「なんで乃梨子もいるの?」
沙音璃は、ここまでやってくると、開口一番、不満をさらけ出した。
「だって僕たち、友達だもん。ね?」
巻島さんが同意を求めてくるが、私は無視した。しかし私の無視を、彼女はさらに無視した。
「ていうかさおりん久しぶりだね。元気にしてた?」
「乃梨子に“さおりん”って呼ぶのを許可してないわ」
「なんでえ? 出会ってすぐに“あたしのことは、さおりんって呼んでね”って可愛く言ってたのに」
それ、私にも言ってたような。
「言ったけど、それはもう取り消しって宣告したでしょ。現在、あたしのことをさおりんって呼んでいいのは、この地球上で桜希だけなのよ」
「あらまあ。今は青見さんを狙ってるんだね」
沙音璃は巻島さんに睨みを利かせている。これが修羅場というものだろうか。沙音璃が来てくれて助かったと思ったけど、余計変な状況になった。しかし、本当の救世主がやってきた。
「桜希。日菜子先輩が呼んでる」
明日葉だった。
「あ、うん。じゃあね二人とも」
救世主の登場に、私は嬉々として場を去ろうとしたけども、沙音璃が「待って!」と呼び止めた。
「今日の第二試合、しっかり見物させてもらうから。二人がどれだけ成長したか、見せてもらうわ」
沙音璃はきっぱりと強く言い放った。
「乃梨子にも言っとくけど、あたしたちは決勝まで絶対行く。千庄か桐葉か、どっちか知らないけど、甲子園で待ってるから」
千庄と大阪桐葉は、神戸海稜とは反対側のゾーンだから決勝まで当たらない。その決勝の会場は、高校野球の聖地、甲子園となっている。男子の全国大会、いわゆる甲子園大会の休養日に、女子の決勝が行われる。
「僕たちと青見さんたちの勝った方が挑戦権を得られるってわけだね」
そして、千庄と大阪桐葉の対戦は準決勝となる。もちろん双方が勝ち上がればの話だけど。
「そっちこそ首を洗って待ってなさい」
明日葉はびしっと言い返した。それを受け、沙音璃は不適に笑った。明日葉に「さあ行こ」と手を引かれ、ようやく私はその場を逃れられた。
「はあー助かった。それで、日菜子先輩はなんて?」
「それは嘘」
「えっ」
「なんか、桜希が助けて欲しそうな顔してたから」
「さっすが! 私のことよくわかってくれてる」
手を叩いて喜んだ。しかしすぐに巻島さんとの会話が脳裏に蘇り、ため息が出た。
「なんか、世の中変な人多いなって」
私が愚痴っぽくつぶやくと、明日葉は、
「……あなたもたいがい変だと思うけど」
「ええっ!? 私は普通だよ」
「そうかしら」
私は千庄部員たちの集合に戻った。ちょうど係りの人が準備を始めたから、そろそろ入場行進が始まる。最後に明日葉は言った。
「まあ、わたしには言われたくないと思うけど」
◇◇◇◇
アップを終え、第一試合が終わるのを待つ。それが終わると、球場に入り、再び体を暖める。シートノックがあり、グラウンド整備の後、試合が始まる。
観客席には、観戦というよりかは偵察が目的な人たちがたくさんいる。神戸海稜の面々、宣言通り、沙音璃の姿もある。
大阪桐葉もいるし、他の強豪校のユニフォームも見える。相手の岐阜女子か千庄か、どっちかを脅威に思っているのだろうか。分かんない。でも、私はやることをやるだけ。
グラウンド整備が終わった。審判団が出てきた。双方の選手たちもベンチ前に並び、そのときを待つ。審判の声で本塁へ集合する。
「これから、千庄高校と岐阜女子高校の試合を始めます。礼!」
たくさんの女子たちの「お願いします!」が重なる。私にとって二回目の全国、初めての選抜大会が幕を開けた。




