50話 覚えてない
準決勝の翌日の日曜日は、久しぶりに何も予定が無かった。部活は休みとなり、何もすることなく一日を終えた。
その翌日の月曜日、もちろん学校があって、朝、いつもの時間に登校した。教室に着いてすぐ、ある違和感を感じた。あるはずの光景が無かった。いるはずの人がいなくて、「おはよう」って言えなかった。
明日葉がいない。電車通学の明日葉は、私たちより登校が早い。いつもなら私が教室に着くと、机で本を読んでいる。そこへ「おはよう」って声を掛けるのが、私のいつもの朝だった。
「どうしたんだろ?」
「遅刻なんじゃないの。そのうち来るでしょ」
乃愛が言うように私も思っていた。ところが、ホームルームが始まっても明日葉はやってこなかった。私はホームルームと一限の間に、明日葉に“どうしたの?”ってメッセージを打った。
返信はすぐには返ってこなかった。担任の先生に聞いてみると、
「関長さんなら、高熱が出たそうです」
「高熱……」
つい二日前には“わたしは風邪ひいたこと無いから”なんて豪語していたのに。
その後、安否を確認するメッセージを何回か送ってみると、昼休み、ようやくあっちから、“寝てた”というメッセージがやってきた。
“大丈夫?”と聞いてみると、“大丈夫”とだけ返ってくる。“本当に?”と送ると、“しつこい!”っていう文面が送られてきた。
◇◇◇◇
気に病んで、今日の授業はあんまり集中できなかった。知らないうちに放課後となり、部活の時間となった。
「明日葉ちゃん、やっぱ休み?」
練習用のユニフォームに着替えようとしたとき、急に背後から声がした。振り向くと、星奈先輩がいた。
「休みです。熱出たの、知ってたんですか?」
「昨日の夜、熱が出たって、電話で」
「そうですか……」
星奈先輩には昨日の時点で教えたのに、なんで私に教えてくれなかったんだろう。私が露骨に不快感を顔に示していたのか、星奈先輩は、
「わたしが、青見さんには知らせたの? って聞いたら、明日葉ちゃんは心配かけたくないからって、連絡しないって言ってた」
「……」
「青見さんなら、病気だって聞けば、夜でもすぐに明日葉ちゃんのところに飛んでいっちゃいそう」
先輩は、微笑ましげに頬を緩ました。反論しようと思ったけど、実際その通りな気がしたので止めといた。今だって、すぐに明日葉の元に行きたい。
「お見舞い、行ってあげて」
「えっ……でも、練習……」
「日菜子だって、先生だって、あなたを止めないと思うから。行きたいなら、行った方がいい」
正直、適当に言い訳をして練習をサボろうかとも思っていた。踏ん切りがつかず、ここまでやってきてしまったんだけど。
「わかりました。日菜子先輩に正直に話して、サボっていいか聞いてみます」
「明日葉ちゃん、喜ぶと思う」
背中を押してもらい、決心がついた。私は荷物を持ったまま、日菜子先輩の元へ行った。
「先輩、今いいですか?」
「いいけど……どうかした?」
「実は――」
正直に、ありのままに話した。先輩は、あの明日葉が病気になったという事実にめちゃくちゃ驚いていた。
「というわけで練習、サボらせてください!」
一応、頭を下げる。
「いいよ」
「いいんですか?」
「だって、私に止める権利ないし。それに“ダメ”なんて言ったら、さっちゃんなら私が“OK”って言うまで、武力行使してきそうだから」
「……私をなんだと思ってるんですか?」
「“愛しの明日葉”のためならなんでもやっちゃう、頭の中のほとんどが明日葉ちゃんで構成されてるやばい奴」
「……」
「冗談冗談。ていうか、もう荷物持って準備万端じゃない」
「じゃあそういうことで」
あんまり突っ込むことはせず、すぐに退散しようとすると、
「先生には私から言っとくから。お大事にって、伝えといてね」
「ありがとうございます。伝えときます」
◇◇◇◇
明日葉に行くことを伝えようかは迷ったが、サプライズで驚かせたい気持ちもあり、内緒にしておくことにした。
しかし、そもそも私は明日葉の家に行ったことが無い。知り合ってから半年間、ずっと部活で忙しく、機会が無かった。私にある手がかりは、住所だけだった。
とりあえずはと駅に向かい、電車に乗った。一人で電車に揺られることも初めてで、なんだか落ち着かず、ずっと窓の外の風景を眺めていた。
駅を降りた後、まったく知らない風景が広がっていた。こんなところ、初めて来た。私はスマホの地図と睨めっこしながら、歩き出した。
ふらふら道を歩き、道行く人にいろいろと訪ねながら、ようやく表札に“関長”と書かれた家に着いた。少し黄がかった壁に、赤色の屋根が被さった、二階建ての住居だった。
私は家の敷地に入った。すると庭にいたのか、私を見た犬が急にめちゃくちゃ吠えだした。
「ひぃっ」
明らかに敵意たっぷりの吠えっぷり。私を怪しい人だと判断したのだろうか。そういえば明日葉の家は雄の柴犬を一匹飼っていると言っていた。確か名前は“ハヤト”。
玄関先にたどり着き、インターホンを押した。「はーい」と聞こえてきたのは男性の声だった。
「あの、明日葉さんの友達で、お見舞いに来ました」
「今開けるから」
待っている間も、柴犬のハヤトはずっと吠え盛っていた。ドアが開き、出てきたのは私と身長が同じぐらいの男性だった。
「もしかして、青見さん?」
「あっ、はい」
「そっか。娘が仲良くしてもらってるみたいで。あっ明日葉の父です」
お父さんには、童顔なところとか、明日葉の面影がしっかりとあった。
「ごめんね。ハヤトの奴、いつもは来客にあんなに吠えないんだけど」
「い、いえ。びっくりしたけど、大丈夫です」
となると、ハヤトは私だから吠えまくったってことだろうか。なんだか飼い主に似ている気がした。
「さ、入って入って」
招き入れられ、「おじゃまします」といい、足を踏み入れた。靴を丁寧に揃えた。なんだか緊張した。
「二階の部屋で、たぶん寝てると思うけど。階段上がって、すぐ左の部屋で」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げ、すぐ目の前の階段に一歩足を乗せた。すると、お父さんは、
「あんまり明日葉の友達がうちに来ることとか今までなくて」
「そうなんですか」
「まああんな性格だから。大丈夫? 明日葉にいつも振り回されてない?」
お父さんは優しい目をしていた。おっとりとした柔らかな口調で、そこは明日葉に似てないと思った。
「いえ、明日葉は優しいです。とっても」
階段を上り、すぐ左の部屋、おそらくここだろう。コンコンとドアをノックしようとした時、
「入っていいよ」
と私がやってきたのをわかっていたかのように、中の人物は言った。「失礼します」と言って、ドアを開け部屋に入る。六畳ほどのスペースで、まず最初に目に入ったのがベッドだった。その人の頭は部屋の奥の方を向いていて、被っている布団のせいで顔は見えない。
その横には学習机があり、ファイルとかプリント類が綺麗に整頓されている。スペースを大幅に取った大きな本棚には、マンガとか本がぎっしりと並べてある。全体的に野球にまつわるものがほとんどで、人によっては味気ない部屋だと表現するかもしれない。でも、私にとっては、想像した通りの部屋だった。
夏の大会で撮った写真もあり、私と二人で映った写真もちゃんと飾ってあった。私は、床に敷かれたカーペットの上に正座した。布団を被った明日葉は寝返りを打ち、こっちを向いた。ようやく顔が見えた。
「驚かせようと思ったのに、全然びっくりしてないじゃん」
「だって、ハヤトが急に吠え出すから目が覚めて、そしたらピンポンが鳴って、下から桜希の声が聞こえたし。それに、なんか来てくれるような気がしてたし」
明日葉は冷感シートをおでこに貼っていて、頬はりんごみたいに真っ赤だった。
「来てくれてめっちゃ嬉しい。ありがとう」
「うん。熱、どれぐらいあるの?」
「さっき測ったときは38度8分」
「めっちゃ高いじゃない。大丈夫なの?」
「大丈夫じゃ無かったけど、でも、桜希が来てくれてちょっと良くなった」
明日葉は思いっきり歯を見せて笑った。あんまり見られない光景だった。弱っているせいか、声にいつもの張りが無い。でも、それはそれで可愛く思えた。
「あの柴犬、ハヤト、めっちゃ私に吠えてきたんだけど。なんか飼い主に似てるなって思って」
「飼い主に似て、可愛い?」
「……う、うん」
そして、なんだかおかしい。高熱でおかしくなっちゃったんだろうか。
明日葉のよくわからないテンションに怯んでしまい、何も話す言葉が浮かばなくなる。そもそも心配な気持ちだけでここまで来たから、取り立てて話したいことがあったわけでは無かった。
「うつっちゃうから、あんまり長居しないほうがいい。わたしを倒すほどのウィルスだから、めっちゃ強い」
「う、うん」
私は立ち上がり、少しだけ部屋を回った。昔の明日葉の写真とかもあった。話を聞いてみたくなったけど、それはまた今度にしよう。
部屋の出入り口の前に立った。ドアノブに手を掛けたけど、このまま帰っちゃうのも、なんだか嫌で、
「今度、二人でどっか行こ。デート、しよ」
「いいよ。なら頑張って治す。今日はホントありがと。嬉しかった」
やっぱり、今日の明日葉は変だった。
「ねえ、私のこと、どう思ってる?」
だから、もう一個思い切って聞いてみた。答えが返ってきた瞬間、心臓が、ドクンと跳ねた。
「好き」
「……相当熱がひどいみたいだから、ゆっくり休んでちゃんと治してね。無理しないで。じゃあ帰るから、お大事に」
「はーい」
部屋を出て、階段を下りた。リビングから出てきてくれたお父さんに、「帰ります」と告げた。
「もしよかったら、また来てね」
「はい。おじゃましました」
頭を一回下げ、靴を履き、外へと出た。瞬間、またハヤトに猛烈に吠えられた。でも、あんまり気にならず、駅の方へと、勝手に弾む足で向かった。
◇◇◇◇
「覚えてない」
明日葉が学校にようやく来れたのは、お見舞いの二日後だった。私が明日葉の家に行ったことについて聞くと、
「来てくれたのは父親に聞いたけど、でも、そんな記憶なんてないわ」
「ホントに? 結構喋ったよ」
「だから知らないって、熱にうなされてたから」
「でも……」
「もう、しつこいって。わたしが覚えてないって言ったら覚えてないの」
覚えてない、そんなの知らない、あの時のことについて、明日葉はその一点張りだった。あの時の明日葉はどこへ行ったのか、性格も元に戻っていた。結局、私は諦めた。
ただ、その日の練習前、
「もう大丈夫なの? 無理しないほうが……」
「心配性なんだから。もう余裕だって」
明日葉は、今日から練習に復帰すると言い張った。心配だったけど、元気そうだったし、こうなったら私の言葉なんて聞かないので、あんまり咎めるのは止めといた。二日前にはゆっくり休んでねって言ったら、「はーい」と返してくれたのに。
「ところで今週の日曜日、練習休みでしょ。なんか用事とかある?」
私が「ないけど」と返すと、
「じゃあ二人でどっか行こ。デート、するんでしょ」
「あ、うん」
「じゃあ日曜日ね。風邪引かないでよ」
明日葉は、それだけ言って星奈先輩の元へ行き、会話をし始めた。
「えっ」
私は、明日葉の矛盾にすぐには気づけなかった。どこまでが本当で、どこまでが嘘か、全然わかんなくなった。そんな私をよそに、明日葉は星奈先輩と楽しそうに会話をしていた。
「ずるい……」




