42話 末広さん
激闘を終えた私たちは、次なる相手を視察した。千庄と洛総の試合の後に行われた試合では、大阪三位の金蓮会と、奈良一位の高堀高校の対戦となった。緊迫した試合の結果、勝利したのは金蓮会だった。
試合が終わると、宿舎へと移動した。時間は五時半を過ぎたところで、夕食までは少し時間があり、少しの自由時間ができた。
「その辺散歩しよ」
私の提案に、明日葉は乗った。宿の近くの、いろんなお店が並んだ通りを歩く。道中に話すことといったら、今日の試合のことばかりだった。
「最後の打席の前でさ、明日葉が昔なぎちゃんと対戦したとか言ったでしょ、それで私、その試合のこと思い出せたんだ」
私は思い出した。当時無敵だったなぎちゃんの球を打ち返した、私の記憶の片隅にいた小さな女の子は明日葉だった。
「正直あんま思い出して欲しくなかったけど。それはまあ」
「なんかその言い方だと、私の思い出してない絡みがまだあるって感じだけど」
「ないと言ったら、嘘になる」
「えー、教えて」
「嫌」
「意地悪。なんで嫌なの?」
「嫌なもんは嫌なの」
「……なら、絶対、思い出してやるから」
明日葉は、「やめてよ」と言いながらも、その顔には微笑みがあった。
昼間に雨が降っていたせいか、強く体を打ち付ける風は、体に響く冷気をはらんでいた。めちゃくちゃ寒いって感じはしないけど、やっぱり体に堪えるものがあって、秋の風って感じがする。話は、試合に戻った。
「最後の、あのファウルさ。あんなに飛ばしたの初めてじゃない?」
明日葉が言う“ファウル”とは、最後の打席で私の放った、ライトフェンスを越えた大ファウルのことだ。
「うん。自分でもよくわかんないんだけど、新しいフォームがすっごくしっくりきたっていうかさ」
立ち止まって、私はバッティングフォームを再現してみた。打つまではコンパクトで、インパクトからは大胆なスイング、腕を振り切ると、昼間の試合の“あの感触”が戻ってくる。
「こうやって打った瞬間、凄い感触が伝わってきてさ。なんかというか、気持ちよかった」
「そりゃあ、あんだけ飛ばせたら気持ちいいでしょうけど」
小さな公園が視界の右手に現れた。夜が迫りつつあるここには、人っ子一人いなかった。公園内にはベンチがあって、私は「ちょっと座っていこ」と、そこに腰掛けた。
「そんなゆっくりしている暇ないよ」
「いいじゃん、ちょっとだけ」
明日葉は「まったく」みたいなことを言いたげな顔をしてたけど、やがて私の横に座った。
「ちょっと寒いかも」
「うん」
ピューって音を立てながら、風が体を撫でていく。公園内のブランコが風を受け、揺れて、ギコギコ鳴る。私は明日葉に体を寄せ、肩に頭を乗せた。服を越え、体温が伝わってくる。じんわりとした暖かみが、冷たい風に晒された体によく効いた。
「あのフォームもさ、明日葉のアドバイスがなかったらできなかったし。なんか、私、いつも明日葉になにかしてもらってばっかりで、こっちはなにもしてあげられてない気がする」
「……わたしが言いたいこと言ってるだけなんだから、やめてよ、そういうの」
そういうことを言われると、我慢できなくなる。
「好き」
「あっそ」
適当にあしらわれる。そんな態度をとられると、もっと踏み込んで、心をこちょばしてあげたくなる。私はもっと明日葉の方へ体を寄せ、体重をあっちに渡し、言う。
「明日葉は、私のこと、好き?」
すると明日葉は、急に立ち上がる。あっちに預けていた私の体重は行き場をなくし、ベンチに投げ出された。
「うわっ、あぶな」
「すぐそんなこと言うんだから」
立ち上がった明日葉は、こっちに背を向けたまま言った。
「だって、“好き”って言って欲しいから」
「もうめんどくさい! 帰る」
そのまま、大股で歩き出した。私は慌てて追いかけた。
「待ってよ。ごめんって、もう言わないから」
ようやく追いつき、横に並んだ。私の言葉に明日葉は、
「だいたい、なんでそんなこと言わせようとするのよ」
「だって、いつか言うとか言ってたのに、ぜんぜん言ってくれないもん」
「うー。心の準備っていうのがあるから、もう」
明日葉は、顔を反対向きにし、表情を私から見えないようにした。そして、小さな、私にちゃんと届けようとしてるかわかんないような声で言った。
「いつか言うから。絶対、たぶん、おそらく……」
どんどん言葉が弱くなっていく。黒髪の間から覗く明日葉の左耳は、朱く染まっていた。
それからは、しばらく無言で来た道を戻った。知らない道に、知らない建物、視界のほとんどが“知らない”で構成されている、ここは私の知らない街だ。そんな街が、夜に覆われつつあって、冷たさを増していく。でも、ちっとも心細くない。
「明日の試合、どうなると思う」
私が口を開き、ようやく無言の時間は終わった。
明日の二回戦、金蓮会との試合は選抜をかけたものとなる。金蓮会は大阪三位といっても、大阪桐葉、履彩社という全国トップクラスの実力校に劣っているだけで、他の県なら、十分優勝できる力を持っている。
「たぶん点はある程度取れるだろうから、ピッチャーがどれぐらい踏ん張れるかでしょ。今日みたいに最初に五点ぐらい取られたらきついと思う」
「先発は、乃愛だよね。大丈夫かな」
乃愛は今日登板がなく、明日先発することがすでに決定している。
「末広さんはそんなに緊張するような奴じゃないし、適当に五回三失点ぐらいにまとめるでしょ」
「そうだといいけど。ていうか、いつまで乃愛のこと“さん”付けで呼ぶの」
明日葉は私含め、野球部の同級生に対しては下の名前で呼ぶ。でも、乃愛だけはいつまでもよそよそしく“末広さん”と呼ぶ。
「別にあいつと仲良くないもの。あいつなんて末広さんで十分だわ」
◇◇◇◇
宿に帰り、自分の部屋に戻る。噂の乃愛と舞香が、なにやら二人で、一つのスマホの画面をのぞき込んでいた。私たちの姿を認めた乃愛は、
「お帰り」
「何見てるの?」
「んー、これ」
「プロ野球……?」
そう言ってのぞき込むと、二人が見ていたのはプロ野球の動画だった。
「今永?」
明日葉が画面を見てつぶやいた。舞香が、
「そう。あたしが参考にしてるピッチャー」
画面の奥のピッチャーは舞香と同じ左投げで、フォームは確かに似ていた。
「わたしたちはピッチングの研究をしていたのです。君たちがイチャイチャしてる間にもわたしたちは」
乃愛はえっへんと言いたげに胸を張った。明日葉が、私にだけ聞こえるぐらいの小さな声で「こういうところが嫌い」ってつぶやいた。
「舞香が今日好投したからね、次はわたしが頑張るから。五回三失点ぐらいに抑える」
「そこは嘘でも0に抑えるとか言わないと」
「いやそれはきついなあ」
乃愛はピッチャーやり始めてから、舞香と一緒にいることが多くなった。二人はあーだこーだ言いながらまた動画を見始める。そんな二人を見て、私は「ファイト」ってつぶやいた。




