40話 一回戦VS洛総④
ノーアウト一塁、0-5、私たちに残された攻撃は六回と七回の、たった二回しかない。そんな絶望的な状況の中、打席に立つ。
『一番ショート、青見さん』
バッターボックスに入ると、サインを確認し、軽く足場を均す。そして、構える。
右腕を大きく上げ、ユニフォームの袖で口元を隠し、こっちの呼吸と表情を読まれないようにする。足は広めにスタンスを取る。足の上げを最小限にし、すぐにスイングへ移るため。
私の構えを見た瞬間、ピッチャー、なぎちゃんは驚きを隠せなかったのか、目を大きく見開いた。
「プレイ!」
球審の宣告を受け、なぎちゃんはセットポジションに入る。私は彼女の足に焦点を合わした。彼女はなかなか動かない。じっと待つ。焦らなくとも、ボールはいつかやってくる。
幾秒かと経つと、なぎちゃんはマウンドを外した。球場全体から息が漏れた。私は気にせず、彼女の足を注視しつづけた。
なぎちゃんはさっきと同じで、私の嫌がるここぞというタイミングでボールを投じようとしているが、そのタイミングがまったく図れなかったのだろう。今の私は、どんな瞬間にボールが来ようと対応できる。
雨での中断時間、ずっとベンチ裏でイメージと素振りを繰り返した。しっくり来ている。これが私の新たなスタイル。
彼女はセットポジションに移ると、今度は牽制を二回繰り返した。明日葉がそれに引っかかるはずもない。私も何回牽制を挟まれようとも、動じることなく、ボールが来る瞬間を待つだけ。
ようやく一球がやってくる。ピッチャーの足が小さく上がる。そのまま体重移動をしながら左腕を振る。
彼女の動きにシンクロし、私の右足もちょっとだけ上がる。すぐに下ろし、下半身のスイング体勢は完了する。高く上げていた両腕は少しだけ下げ、また少し上げてタイミングを取る。上半身もスイング体勢が整う。
「ストライク」
外角へのストレートがミットに突き刺さる。完璧にタイミングが取れていた。振ったならば、完璧に捉えていただろう。シミュレーションどおり、このフォームなら早い投法にも対応できる。
ボールを受けとったマウンド上のなぎちゃんは、明らかに動揺していた。まだ打たれたわけでもないのに。昔っからちょっと分が悪くなると、すぐ動揺する。調子良くても、ちょっと旗色が悪くなると、ボールに異常をきたし、突然崩れてしまう。全然、あの人は変わっていない。
二球ボールが続いた。あきらかにストライクゾーンを外れたボールだった。
五球目、また焦らしに焦らしに重ねた末にやってきたのは、スクリューボール。外側からストライクゾーンへと落ちながら入ってくる。
私の新しいフォーム、足の上下は最小限、腕の動きも最小限、今までとは全然違う動きだ。でも、振り出す直前、そこからあとのスイングの動きは何万回と繰り返した今までのとおんなじだ。下半身のねじれをパワーに変換し、スイングの源とする。バットはボールを強く捉えた。
爽快な感触が全身に伝わる。カキーン――音が響きわたる。打球は左中間、レフトの位置にいたサードと、センターの位置にいたレフトの間を抜けていった。
余裕をもって二塁に到達した。右腕を高く上げ、ガッツポーズをした。一塁ランナーの明日葉が本塁へと帰り、今日初めて千庄のスコアに一点が記録された。
『三番センター、相庭さん』
すみれ先輩への初球、それは背中への擦ったような死球だった。先輩はあんまり痛そうではなく、労せずして一塁へと歩いた。
ちょっと私に打たれただけで、なぎちゃんはもう“負けた”みたいな顔している。まだ試合は続いていて、試合はまだそっちが断然有利だということを忘れている。自分勝手だ。
ただ、次に打席に立った星奈先輩も顔面を蒼白としていて、まったく打てそうな雰囲気が無かった。なぎちゃんは星奈先輩相手には調子を取り戻し、三振に切って取った。
『洛総高校、シフトの変更をお知らせします』
次は五番の日菜子先輩のところ、洛総はまたしても、ピッチャーのなぎちゃんとファーストの桐谷さんへのスイッチを行った。桐谷さんが再びマウンドに上がる。
投球練習中、相手のショートの嶋村さんは言う。
「やっぱり、君が打つと千庄は乗ってくる」
「たまたまですよ」
「たまたまじゃないと思うよ。君の背中を、みんなが見てるって感じがする」
最後に、嶋村さんは付け足した。
「でも、まだまだ私たちが勝ってる」
そう。私たちは一点を返しただけ。勝利にはあと五点が必要だ。
『五番キャッチャー、弓削さん』
キャプテン、日菜子先輩がバッターボックスへとゆっくりと向かう。
「キャプテーン!」
そう声を飛ばしてみると、日菜子先輩は、こっちを向いて小さくうなずいた。ワンアウト一二塁。たぶん、ここで先輩が打たなきゃ私たちの負けだ。
初球、外角へのスライダー。打球は三塁側スタンドへのファウルとなった。二球目、低めのストレートがボールとなった。
一球ごとに球場に緊張が走る。ふー、と深く息を吐く。
三球目は内角へのシュート、日菜子先輩の体近くを通過するボールとなった。今の球、先輩は避けにいかず、完全に死球狙いだった。私は、いや、みんながここでキャプテンに打って欲しいと思っているはず。気持ちはわかるけど、当たりにいかないで。
四球目、高らかに響く金属音が鳴った瞬間、ぬかるむ地面を蹴り、走りだす。打球は、レフトとセンターの間、左中間を裂いていった。
私は余裕で本塁に至った。これで二点目。一塁ランナーのすみれ先輩は三塁へ、バッターランナー日菜子先輩は二塁へ。
「やったやった!」
ベンチ前でみんなとハイタッチを交わす。数少ない千庄側の観客の声も盛んとなる。
さらに六番の乃愛への初球は、変化球がワンバウンドし、キャッチャーがこれを逸らす。ワイルドピッチで三塁ランナーが生還し、三点目となる。二塁ランナー、日菜子先輩も三塁へ。
押せ押せムードの中、乃愛がレフトへのいい当たりを放つ。惜しくもこれはレフトの正面で、乃愛はアウトになる。ただ犠牲フライとなり、日菜子先輩も本塁をふみ、一点差となる四点目が千庄に入った。ベンチはお祭り騒ぎだった。
◇◇◇◇
「絶対0に抑えよう!」
「オー!」
日菜子先輩の声に、部員たちが呼応する。六回裏の四点は私たちのムードをまるっきり変えていった。七回表の守りが始まる。
『三番ファースト、園田さん』
四回途中からマウンドに上がり好投を続ける舞香は、なぎちゃん相手にも果敢にインコースを攻めていった。四球目を内角へのストレートで詰まらせ、セカンドへのゴロとなる。明日葉が丁寧に捌き、一つ目のアウトをとる。
『四番サード、村上さん』
四番は外角へのスライダーをひっかけさせ、私へのゴロだった。打球は水分を含んだ土に勢いを吸収され、弱々しくなる。一目散に前進し、捕って、走りながらのランニングスローでボールを一塁に送る。
一塁審の腕が上がり、アウトが宣告される。これでツーアウト。
『五番レフト、田辺さん』
最後、三つ目は内角へのストレートが日菜子先輩の構えたところへバシリと決まり、見逃しの三振となった。テンポよく最終回の守りを終えた。
「ナイスピッチ!」
舞香とグラブタッチを交わす。いよいよ最後の攻撃、私たちは円陣を組む。
「さあ、あと一回だけど、絶対いけるから。逆転するよ」
「はい!」
「絶対勝つぞー!」
「オー」
みんなの声が集まり、響く。一点差で負けているというのに、私たちに負の雰囲気は一切無い。絶対勝てる、そんな雰囲気が自然と生成され、ベンチに渦巻いていた。
「明日葉、絶対私に回してね」
「もちろん」
七回裏の攻撃は八番の結衣先輩からだ。二番《私》へは一人出れば回ってくる。
私はベンチでいったん座り、水分を取った。甘いスポーツドリンクが体内を駆けめぐり、一呼吸ついた。
グラウンド、マウンドには変わらず桐谷さんだった。球審の「プレイ!」という声を聞き、私は打席への準備へと向かおうと席を立った。
トントンと、私の肩を叩く者がいた。振り向くと、その人の伸ばした人差し指が私の頬に突き刺さった。
「頑張って」
そんな古典的なイタズラをしてきたのは、星奈先輩だった。
「先輩こそ、良いとこで回ってきますよ。たぶん、サヨナラの場面」
「できれば、わたしの前で決めて欲しい」
先輩は視線を伏せた。
「もう無理。四番なんてわたしの器じゃない」
今日の先輩は三打席連続の三振に倒れていた。いつものような無表情では無く、暗く、眼鏡の奥の瞳に深い憂いが表れていた。
「私は、先輩が四番にふさわしいと思ってます」
「でも……」
「でもじゃないです。みんなもそう思ってます」
私は、先輩の手をとって、胸元まで持っていった。
「先輩は自分のことを過小評価しすぎです。もっと自信持ってください。最近の先輩の打席は、気持ちで負けちゃってる」
「……」
先輩は、困惑の表情を私へ向けていたが、やがてその視線を外そうとした。だから私は先輩の頬をつかみ、強引にこっちを見させた。
「だいたいいつも、先輩は自分を隠しすぎです。今の先輩も面白いし好きだけど、もっと素直な、そんな先輩が見たいです」
「……どうしたらいいの?」
先輩のほっぺを上に持ち上げ、口角を上げさせた。
「もっと笑って。私は先輩が笑ってくれるとうれしいし、可愛いと思います」
「青見さん……近い」
「あっ、すみません」
ずっと言いたかったことをようやく吐き出せたせいか、私は先輩との距離が息がかかるぐらいになっていることに気づかなかった。
「明日葉ちゃんが青見さんのことを好きな理由、わかった気がする」
先輩は頬を朱に染めていた。返答に困っていたけど、そのとき、ベンチが湧いた。八番の結衣先輩が粘った末にフォアボールを選び、出塁した。
「さあ準備、しましょう」
「……うん」
◇◇◇◇
「頼むよ」
私はヘルメットをかぶり、バットを持った。日菜子先輩が、そんな私の肩に手を置き言った。日菜子先輩は、星奈先輩にも向けていった。
「せっちゃん、私は信じてるから。園田さんに、昔の借りを返そう」
日菜子先輩と星奈先輩は少年野球時代のチームメイトで、昔なぎちゃんに完全試合をされたことがある。星奈先輩は「うん」と小さく頷き、
「日菜子。わたし、打つから」
星奈先輩らしからぬ感情のこもった力強い言葉に、日菜子先輩は困惑していたけど、やがて「うん」と答えた。
九番の舞香が送りバントでランナーを進める。ここで、洛総が今日何度目かのポジションのスイッチを行う。
『洛総高校、シフトの交代をお知らせします』
なぎちゃんが、桐谷さんとの交代でマウンドに上がる。投球練習の後、私はネクストバッターサークルに向かう。明日葉がバッターボックスに立つ。なぎちゃんがセットポジションに入る。試合は、最後へと向かっていく。




