38話 一回戦VS洛総②
「園田、青見さんにバッティング、教えてやってくれ」
「はーい」
小学三年生のとき、チームに入ったばかりの私は、なぎちゃんに野球の基本を教わることとなった。あんまりプロ野球とかを見てなかった私は、彼女が、初めて見た上手い人だった。
「野球好きなの?」
「う、うん……」
ただ当時の私にとって、勝ち気そうな瞳をした一個上の女の子は、ちょっと怖かった。
「バッティングはこうやって、こう!」
「……こう?」
「うーむ、初めてにしてはなかなかじゃない」
なぎちゃんは言葉じゃなくて、動きで説明してきた。私は彼女の真似をするしかなかった。それでも初めて振った割には、しっくりと来るスイングだった。
「桜希ちゃんは右利きだから、左じゃなくて、右打ちの方がいいんじゃない?」
そう言って乃愛は、なぎちゃんとは手の位置を反対にした、逆のスイングを見せてくれた。私は右打ち、左打ちという概念を持っていなかった。
とりあえず、乃愛の前をして、右打ちのスイングもしてみた。あんまりしっくりこなかった。
「こっちの方がいい……かも」
だから私は左打ちになった。私は野球を始めた最初から、左打ちだった。
「えっと、名前なんだっけ?」
「あ、青見桜希」
「そうそう、桜希ね。きみ、才能あるよ。わたしのちょっと下ぐらい」
今思うと“わたしのちょっと下ぐらい”は完全に余計だけど、その言葉はすごく嬉しかった。
◇◇◇◇
空は青黒く、今にも雨が降り出しそうだった。試合開始直後の一回表ワンアウト二塁、打席には相手の三番のなぎちゃん。
初球はファウル、ワンストライクとなった二球目。奈桜先輩のスライダーをなぎちゃんは振りにいった。昔と変わらない、そして私のフォームにそっくりなスイングは、ボールを右中間深いところまで運んでいく。バットは捨て、ぐんぐんと加速していったなぎちゃんは、三塁まで到達した。先制のスリーベースとなった。
四番の放った打球は、私へのゴロとなった。その間に三塁ランナーは本塁を踏み、洛総に二点目が入った。
◇◇◇◇
一回の裏、相手の先発、桐谷さんがマウンドに立つ。右のサイドハンドである彼女は、練習試合で対戦した投手である。
そのときはちゃんと攻略できた相手だ。二点の先制を許したけど、早くに追いつきたい。
千庄の一番は明日葉。先頭バッターらしく、しっかりとボールを見ていった。だけど、ツーストライクツーボールの6球目、詰まった打球が投手の前に飛ぶ。桐谷さんは冷静にそれを処理し、一つ目のアウトを取られる。
『二番ショート、青見さん』
明日葉は一塁をかけ抜けた後、なにやら首を傾げていた。なにかの違和感を覚えたのかもしれない。とりあえず様子見、ボールを見ていく。
桐谷さんは、若干、体を沈ませながら、地面と平行に腕を振る。癖のある回転を伴った球が外角へと決まっていった。
「ストライク」
一見して、前回と変わらないように思える。でも、前回とのイメージとの齟齬もある。
二球目、相手の挙動に呼応し、足を大きく下ろし、ボールを迎え撃つ。体に近い球がさらに変化し、私の体に迫ってくる。構うもんかと、思いっきりバットを払った。芯で食われたボールは、ライト前へのヒットとなった。
「よし」
なかなか良い球だったけど、ボール自体のキレは薄い。ボールもよく見えている。
三番、すみれ先輩の放った打球は、お誂え向きのショート真っ正面のゴロ、相手の守備陣はそつのない動きを見せ、ゲッツーが完成した。
観客の大多数を占める洛総の応援は、大歓声を上げる。一回の攻防で早くも、試合の流れを相手が持っていった。
◇◇◇◇
二回はともに無得点に終わった。ただ相手は、この回もランナーを出しチャンスを作った。対してこちらは、桐谷さん相手に完璧に抑えられた。ここまでは、終始私たちが圧倒していた練習試合とは真逆の展開だった。
三回の表、洛総の攻撃は再び一番から。奈桜先輩は一人目こそ打ち取ったものの、
「ボールフォア」
二番バッターを歩かせてしまう。どうしようもなく流れが悪い。
『三番ファースト、園田さん』
なぎちゃんの登場で、あっちのベンチ、スタンドが湧いている。
「いけー渚!」
嶋村さんの声が届く。それだけじゃなく、あっちの部員全員がなぎちゃんを後押ししている。入部してそう時間も経っていないはずだけど、大した慕われようだ。
カキーンと、後押しに結果で答える。なぎちゃんが捉えたボールは、一目散にセンターの方へ飛んでいき、芝生で一回跳ねる。これで二打席連続のヒットとなった。
『四番サード、村上さん』
さらには、四番にシングルヒットを許し、二塁ランナーが返った。これで三点目。
あとをなんとか抑え、この回は一点で止めることができた。三回裏の始まる前、円陣を組んだ千庄部員たちの表情は、著しく暗かった。
円陣の中心、日菜子先輩は、私と乃愛を交互に見て、
「とにかく園田さんを止めないと。元チームメイトの二人、なんかあの人の弱点無いの?」
私は気の利いた答えがなにも思いつかなかった。乃愛は、
「プライドが高いこと、調子に乗りやすいこと、打たれ弱いこと。自分が一番でないと気が済まないこと。あと、桜希への対抗心が異常に強いこと。それぐらいですね。技術的には、ちょっと思いつかないです」
なんの参考にもならなさそうと思ったのか、日菜子先輩は頭を振った。
「……とりあえず、桐谷さんから点取る方法を考えないと」
そうだ。三点のリードを許した以上、桐谷さんから点を奪うのは勝利への絶対条件だ。
「ちょっといいですか?」
みんなが思い沈む中、明日葉が手を挙げた。
「打席に立ってみて、少し違和感がありました。なんか前と微妙に違うって」
「確かに、私もなんか違う気がした……」
「で、さっきの回ずっと見てて、やっとその正体がわかりました。あの人の、プレートの立つ位置が前と変わっています。前回は真ん中に立っていたと思うんですけど、今日は、右の端に立っています。だから、みんな、微妙に芯を外されて、ゴロを打たされていると思うんです」
マウンドにある白いプレート、ピッチャーは、そのどこにでも足をかけて良い。その端っこに立てば、ボールには角度が付き、バッターにとっては見えにくくなる。
明日葉の言うとおり、ここまでの千庄のアウトは全部内野ゴロ。イメージとの些細な相違が、みんなの打撃を狂わせている。
「でも、投げている球は変わんないんで、慣れれば打てると思います。まだ序盤ですから、焦らず、一点ずつ返していけば大丈夫だと思います」
みんなが「おー」と、明日葉の言葉に応えた。日菜子先輩が「私のセリフがない……」って嘆いて、部員たちに笑いが起きた。少しだけムードが和らいだ。
明日葉の言う通り、一点ずつ返していきたいところだったが、三回の攻撃も三人で終えられてしまう。三回終わって、3-0。私たちにまるで良いところが無かった。
◇◇◇◇
なんとか耐えていた空はついに決壊し、パラパラと小さな雨粒が落ち始めた。ただ、これぐらいでは試合は止まらない。四回表に突入する。
打順は七番から。奈桜先輩は最初の二人を打ち取り、ツーアウトを取った。といっても、かなり苦労しながら。
九番バッターも待球し、四つのボールを選ぶ。ツーアウトながら一塁にランナーを置き、上位打線へとつながる。
下位打線もなかなか打ち取られてくれない。練習試合の時の洛総は、こんなチームじゃなかった。あの時は手を抜いてたの? って言いたいぐらい完成度の高いチーム。
『一番ショート、嶋村さん』
ここで芹沢先生は、奈桜先輩をあきらめた。先ほどから肩を暖めていた舞香がマウンドに上がった。
投球練習中、私はひたすら体を動かした。雨はユニフォームを打ち続け、体温がどんどん奪われていく。右手をふーっと、息で暖める。
「プレイ」
試合が再開する。嶋村さんが右打席に入る。
嶋村さんのプレーについて、それ以外のことでいろいろあったからだけど、練習試合の時は大した印象を持たなかった。でも、いい選手だ。ショートの守備も上手い。打撃に関しても、一番打者としての役割をしっかりと果たしている。
登板したばかりの舞香の球を、嶋村さんは粘って何球も引き出した。ストライクはカットされ、ボールは見逃される。結果、フォアボールでの出塁を許してしまう。
続く二番の加納さんはレフトへのヒットで、ツーアウト満塁となった。舞香にとっては落ち着く暇も無く、最悪の状況となった。
『三番ファースト、園田さん』
舞香はしきりにお尻のポケットに入れたロージンを触る。雨がパラツき、打席には今日二安打の三番、あまりに辛すぎる状況。
「上手く行きすぎて怖い。あと心配なのは、君のことだけ。君が打つと、千庄は乗ってしまうから」
二塁ランナーの嶋村さんは言った。
「だから、君に絶対打たせないための秘策があるの」
この人の考えることだ。なんとなくは予測できる。どうせ、あいつを私に当てるのだろう。
彼女の言うことを無視し、試合に集中する。舞香は左投げ。なぎちゃんは左打ち。左対左の対決は、一般的には投手の方が有利。だけど、
「ああ……」
なぎちゃんはまたも打った。外角低めの球を、逆らわず左方向へ、打球はポトリとレフト線付近へと落ちた。
三塁ランナーが帰り、四点目、二塁ランナーも帰り、五点目。打者は二塁へ。
“才能”という言葉が思い浮かぶ。ホントにこの人は、野球をやめていたのだろうか。
日菜子先輩がマウンドに行く。洛総のベンチ、応援団はお祭り騒ぎだ。
「どう?」
なぎちゃんは私に声をかける。その問いを無視し、質問を返した。
「私のとこで投げるんでしょ」
「そうよ。次の回にね。嬉しいわ」
「そんなに、私のことが嫌いなの?」
園田渚は、私をにらむ。強く、恨みがかった、鋭利な瞳。
「途中まで私と同じ道を歩いてたくせに、あんたばっかいい思いをしてるのがムカつくのよ」
◇◇◇◇
舞香はそれ以上の得点を許さなかった。しかし、あまりに重い“5”という数字が、スコアボードに刻まれた。
四回の裏は先頭の明日葉から。明日葉は見事に打球をセンター前へ運び、ノーアウトランナー一塁で私。ここで相手は投手を替える。
園田渚がベンチに戻り、グローブを変え、今度はマウンドに立つ。ピッチャーだった桐谷さんがファーストへ。
園田渚の投球練習をじっと観察する。投球フォームも昔と変わらない。右足を大きく上げた後、少し溜めを作る。一瞬の溜めの後、右足を強く下ろす。下ろした右足の膝を伸ばしたまま、高い体勢を維持したままの回転運動で、ボールを射出する。
ズバンと重そうな音がキャッチャーミットから鳴る。ブランクを感じさせない、良い球だった。でも、散々良いピッチャーを見てきたせいか、あんまり脅威に感じなかった。
驚いたのは、むしろその後だった。私が打席に入る直前、洛総の守備陣が大きく動く。
サードがレフトの位置へ、レフトがセンターの位置へ、センターが右中間へ、ライトがライン際を詰める。ライトとセンターの間に三人が立ち、隙間が無くなる。外野が、四人になった。




