32話 練習試合VS洛総②
「君に会わせたい人がいるの」
唐突な提案に、私は身構えた。嶋村さんは、私の反応を確かめるようにたっぷりと間をとり、私のよく知った名前を言った。その名前は、私の思考を一瞬止めた。
「園田渚。うちの高校にいるの。君は渚の元チームメイトでしょ」
「なぎ……ちゃん?」
私の反応を見て、皮肉めいた笑みを浮かべた嶋村さんは、深く続いていく井戸みたいに底の見えない、得体の知れなさを醸し出していた。
「ほら、リードしなよ」
すでにプレイは始まっていた。慌ててリードを図る。私の後ろから、なおも嶋村さんは話しかけてくる。
「今日ここに青見さんが来ることは伝えてあるけど、さあ、来てくれるかな?」
園田渚――なぎちゃんは、私が少年野球をやっていた時のチームメイトだった。一個上で、チームではエースで四番の大黒柱。そして、彼女が小学校卒業したとき以来、私たちは一回も会っていない。
明日葉がセンター前へのヒットを放ち、私は一気にホームへと還った。6-0。私は全然喜んだ顔が出来なかった。そんなことよりも、早く乃愛と話したかった。
「ねえ、なぎちゃんが、この高校にいるって知ってた?」
「えっ、あー」
乃愛は一瞬だけ驚いた。その驚きの度合いは私ほどではなかった。すぐに顔を作り直し、
「聞いたことはあったんだけど、そういえば洛総だったか」
「知ってたの……なんで、教えてくれなかったの?」
「忘れてた」
なんだか気持ちが落ち着かなかった。
「向こうの主将が、私となぎちゃんを会わせたいって。どうしよう、気まずい……」
「気まずいのは、あっちでしょ。こっちはなにも気にしなくてもいいんじゃん」
なぎちゃんと四年間会ってないのは、彼女が小学校卒業とともに京都へ転校したから。別れのとき、私たちは野球を続け、いつかどこかの試合で敵として会うことを誓った。頻繁に連絡を取り合おうってことも約束した。
でも、ある時からなぎちゃんからの連絡は途絶えた。私が電話をすると、彼女は二言だけ「野球はやめた」と「もう連絡してこないで」とだけ言って、通話を切った。それが私たちの最後の会話だった。
小学校の時の関係なんて、そんなもんなのかもしれない。残ったのは、淡い思い出と、もやっとした気持ちだけ。
話をしている間に六回裏が終わった。気持ちの整理がつかないまま、最後の守備に向かわなければならなかった。
◇◇◇◇
結局、奈桜先輩が最終回に一点を取られたものの、最終スコアは6-1と千庄の完勝となった。新チームでの最初の試合を勝利で飾った部員たちの表情は、とても明るかった。
「青見さん!」
試合が終わってしばらくして、千庄部員の集う場所へ、嶋村さんがやってきた。彼女は私の手をつかむと、
「渚、ちゃんと来てた。会いにいってあげて」
私には断る選択肢もあった。でも、素直に嶋村さんの行く方に体を委ねた。
「どこ行くの?」
背中越しに明日葉の声がした。
「ごめん、ちょっと待ってて」
◇◇◇◇
嶋村さんの歩は、なかなか止まらなかった。なんでこんなに遠くに? って聞くと、彼女は、
「渚が、誰にも見られない場所がいいって言うから」
なにが起こるっていうのか。単に、旧友との懐かしい再会。それだけ。そして校舎の陰に隠れ、日陰になっている場所に、彼女は立っていた。
「ごゆっくりどうぞ」
口元に怪しい笑みを付けた嶋村さんは、私たちを二人にした。消えた。言葉を忘れたよう、私は呆然として立っていた。やがて、四年と四ヶ月ぶりに会った人は、口を開いた。
「久しぶり」
「……久しぶり」
なぎちゃんの声は、記憶にあるものより低かった。身長は私と同じぐらいだったはずなのに、私があっちを見下ろす形になっている。昔は短くスポーツ少女らしさ溢れていた髪型は、少しぼさぼさになっていて、あんまり健康的な感じはしなかった。勝ち気に勇ましかった瞳は、陰が差し、少し垂れ下がったように見える。
でも、ヨレたパーカーにジーパン姿の彼女は、なぎちゃんだった。どんよりとした空気が私たちの前に横たわる。
「なんか、すっごい活躍してるみたいね、知らないけど」
明らかに“知らないけど”に強調を置いていた。あんたになんかもう興味ないけど、っていう感じをだそうとして、必死だ。
「さっきちらっと見たけど、相変わらずだった、桜希も。乃愛は、見違えたけど。ていうか、あんたもなにか喋りなさいよ」
“どうして”って言葉が喉まで出かかっていた。どうして連絡しなくなったの? どうして野球をやめたの? でも、
「……なぎちゃんは、変わったね」
「そりゃあ、四年も経てばね。で、言いたいことはそれだけ?」
にらまれる。あっちは私と会うと決めた時点で、過去について聞かれることを想像してたはず。そして、私に質問を促すような言動もある。しかし、私をにらむことによって、質問を封じようとする意図も見える。
小三の私が乃愛に連れられ同じ野球チームに入ったとき、彼女は四年生にしてチームのエースだった。年上の男子からどんどん三振を奪っていく姿が、当時の私には衝撃的だった。
昔のなぎちゃんはとてもわかりやすかった。思考よりも行動が先、猪突猛進で、勇敢で、勝ち気で、そういうところが魅力的だった。でも、目の前の人はどうだろう。なにを考えているかわからなかった。
「……うん」
迷った末、なにも聞かないことにした。もう、なにもかもが昔のことだ。
「ふーん。相変わらず、人に気ばっか使ってるのね」
私を蔑むような笑みを浮かべた後、なぎちゃんは、急に大声を出した。
「さてと……侑季! そこ、いるんでしょ!」
振り返ると、ひょっこりと嶋村さんが現れた。彼女は校舎の陰に隠れ、私たちの会話を盗み聞きしていた。
「ホント悪趣味だわ。わざわざ、こんな場を用意して、盗み聞きなんて」
「だって、二人がケンカでも始めたらいけないから。渚がわざわざこんなとこ指定するから、青見さんのことやってやろうと思ってるのかと」
嶋村さんは、一つもそんなことを思ってなさそうな笑顔で、言う。二人がそれなりに仲が良いことだけは、会話から読みとれた。
「……じゃ、暑いから帰るわ」
なぎちゃんは背中を見せ、去っていこうとした。
「返事! 待ってるからね」
嶋村さんは、その背中に向かって叫んだ。なぎちゃんは、なんにも返してこなかった。
「返事?」
「渚が野球部入るかどうか。今日返事の締め切りなの」
なんとなく事態がわかってきた。この人は、なぎちゃんを部に入れたいんだ。
「あの顔は、いけそうな感じ」
「そうなんですか……全然、そんな感じしないですけど」
「一年半付き合って、渚の考えてることはだいたいわかるようになった」
嶋村さんはうれしそうに頬を緩ませていた。
「……今日ここに千庄を呼んだのは、私となぎちゃんを会わせるためですか?」
「そうだよ。あなたと会えば、渚の考えも変わるんじゃないと思って」
悪びれる様子のない即答に、ため息が出た。日菜子先輩は正しかった。陰謀は存在した。
「もし、渚が部に入るのか気になるなら、連絡先教えて。しっかりと、事の詳細を教えてあげる」
彼女は眼鏡をぐいっと持ち上げた。なぎちゃんの選択が、気にならないといえば嘘に違いなかった。私は、彼女に連絡先を教えた。
◇◇◇◇
結局二試合目も千庄が3-1で勝利した。乃愛と舞香の一年生二人がしっかりと抑えた。
当然、チームの雰囲気は良かった。みんなが楽しそうにおしゃべりに花を咲かせている。私だけが場違いだった。帰りの電車のなか、座席にもたれかかり、ずっと外の風景を見ていた私に、
「なにかあったの?」
「昔の友達に会っただけ」
明日葉は「昔の友達?」と考え込むような仕草をしたあと、
「もしかして、園田渚?」
「えっ、なんでわかったの?」
「だってあの人、有名だったのに、急に消えたから。もしかしたらって思って」
「そっか。そう、園田渚、なぎちゃんと会った」
いろいろと過去を思い出す。私はなぎちゃんにいつも負けていた。何打席勝負しても、たまにしか打てず、いつも彼女の勝ち。彼女はずっと、私の上にいた。
◇◇◇◇
なぎちゃんが振りかぶり、左腕を振る。強烈なスピンをかけられた軟式球は回転を伴いながら進み、バットに当たらず、キャッチャーのミットに収まる。球審のコールとともに試合が終わり、ショートを守っていた私はマウンドに駆け寄る。
「やったやった全国だ」
喜ぶなぎちゃんの元に、みんなが集まる。なぎちゃんはチームのエースだった。彼女を中心に、私たちは少年野球の全国大会に出場した。それが、なぎちゃんとの一番の思い出。
◇◇◇◇
「名前聞かなくなったけど、あの人、野球やめてたのね」
明日葉が言う。
「うん。理由は知らないけど」
「久しぶりに友達に会ったのに、あんま嬉しくないの?」
「うーん、まあ」
正直、あんまり会いたくはなかった。というか、なぎちゃんの今の姿を見るのが、少しだけ怖かった。
◇◇◇◇
それと、日菜子先輩は、陰謀を――グラウンドに罠が仕掛けられていることを最後まで心配してたみたいで、
「よかった。誰も怪我しなくて……なにも起こらなくて良かった」
◇◇◇◇
その日の夜。嶋村さんからメッセージがやってきた。
“渚、野球やるって”




