33話 怖い顔
「青見、ピッチャーをやってみないか?」
小学生の時、少年野球チームの監督にそう勧められたことがある。私は当時からずっとショートをやっていて、ピッチャーをやりたいなど、露にも思ったことはなかった。
とはいえ断る理由もなく、とりあえず「やります」と言った。さっそく、キャッチャー相手に投げさせてもらった。
自分の中の投手像を頼りに、投球モーションを構築した。振りかぶって、右足を高く上げて、思いっきり右腕を振る。ボールがキャッチャーのミットに収まる。それを何十回も繰り返した。
「うーん、微妙かな」
私に聞こえるようはっきりと言ったのは、いつからか私の投球を見ていた、なぎちゃんだった。
「桜希は、ショートの方が向いてるよ」
自分でもあんまり良い球ではないなあ、と感じてきていた。それなりに早いし、制球もできているけど、なにかがしっくりこない。それこそ、なぎちゃんの球に比べれば、私のは棒球な感じ。
「すいません……やめときます。私はピッチャー向いてません」
ピッチャーなんてずっと試合の中心で、私にとっては目立ちすぎる場所だと思う。
「俺は向いてると思うけどなあ」
そうは言いつつも、監督は私に無理強いはしなかった。私がピッチャーをするという話は、幻の中に消えた。
◇◇◇◇
昔の話を少しだけ思い出した。というのも、今、私はピッチャーをしているから。
「いくよー」
ピッチャー、というか打撃投手。ネットを目の前に置き、バッターに打たれるためだけに投げる。
勇ましく構えるバッターは明日葉だった。私が一球投じると、明日葉は華麗に外野まで飛ばしていく。カキーン、カキーン、投げた球はすべて打ち返されていく。あんまり面白くないので、ボールのスピードを上げたり、変な回転をかけてみたり。でも、彼女はしっかりと捉えていく。
そもそも、本気で投げたって抑えられない相手である。全国レベルのピッチャーだって明日葉は簡単に抑えられない。
もし、あの時からずっと私がピッチャーをしていたら、なんてことが頭に浮かんだ。私がどんなピッチャーになったのか、果たして明日葉を抑えられただろうか。
明日葉が礼をして、自分の番を終える。私をボコボコにしたせいか、とても気持ちの良さそうな顔をしていた。この前の作凛戦の悔しさのせいか、明日葉は凄く伸びてきている、成長してきていると感じる。とても喜ばしいこと、でも私はなんだか置いてかれそうな気がして、焦燥も覚える。
それと最近の明日葉について、懸念がもう一つある。
◇◇◇◇
あっという間の夏休みだったように思う。県大会から全国、それと明日葉との花火大会とか、とにかく濃くて、慌ただしく、充実した期間だった。
夏休みが終わると、たくさんのイベントが私たちを待っている。九月の初めには学園祭があって、それを終えると、秋季県大会がすぐそこに迫ってくる。
日中は勉強して、放課後は部活。体に馴染んだサイクルが帰ってきた。そこに学園祭の準備も始まる。そんなせわしない日々の中、私の心に、あんまりよろしくない感情が生まれてきていた。
ある日の昼休み。食事を終えた私と乃愛は、学校の図書室に向かった。扉の外から、中をうかがう。
図書館という、とても静かで、落ち着いた空間。あんまり私とは縁が無かった場所にやってきたのは、他でもない。明日葉がいるから。
案の定、彼女はいた。一人じゃなく、二人で。女子野球部の二年生、高村星奈先輩と。明日葉は、とても楽しそうだった。
「桜希、顔が怖いよ」
「えっ、嘘……」
「冗談だって」
明日葉は最近、星奈先輩と仲がいい。練習中とか昼休みとか、いつも喋っている。それだけならまだしも、先輩といるときの明日葉は、私といるときは見せないような、いい笑顔を見せている。
嫉妬。私が抱く感情はまさしくそれだ。別に明日葉は私の所有物でもないのに、なんでか嫌な気分。
図書室の中に目を転じると、二人は本を手に取り、言葉を交わし続けている。
「何の話してるのかな」
「そりゃあ本の話でしょ。明日葉ちゃん、結構、読書家だから。先輩もそうらしいから。気になるなら、混ざってくれば」
それを実行して、露骨に嫌な顔をされたら立ち直れない。今日のところは退散することにした。
「大丈夫だって、明日葉ちゃんは、桜希の前から消えたりしないから」
◇◇◇◇
翌日、私は意を決し、一人で図書室に向かった。明日葉が教室を出たのを確認し、今日こそは二人の会話を邪魔……じゃなくて混ざろうと思い、私も教室を出た。
ところが、部屋に二人はいなかった。他の生徒の姿も全然無く、司書さんだけが黙々と作業している。静寂が流れる空間に、ポツリと一人だけで、急に心細くなってきた。
なにもしていないのも不自然なので、その辺の棚から、私でも知っている文豪の作品を手に取ってみる。ペラペラとめくってみたけど、文字が詰まっていて、読み切れる気がしなかった。そんなとき、
「青見さん」
「ひっ!」
背後から、誰もいないと思っていた空間から話しかけられ、私は馬鹿みたいな声を出した。ここが図書室だということを思いだし、手で口を抑える。
「ご、ごめんなさい。誰もいないと思ってたから」
いつのまにか私の背中に迫っていたのは、噂の人、星奈先輩だった。赤いふちの眼鏡に、ふんわりとしたミディアムヘアの先輩は、私の大声にも、いっさい無反応だった。
「三島由紀夫なんて読むの?」
「い、いやまったく……」
私の手にある本を見て、先輩は言う。先輩とは全然絡んだことない。体型はふくよか、胸がとても大きい。
ていうか、あんまり喋っていることを見たことない。イメージとしては“オタク系”。しかし、新チームでは四番を任されるぐらいなので、バッティングは凄い。反対に、胸に大きな脂肪を抱えているせいか、足はあんまり早くない。
そんな先輩は、ここまで無に等しかった表情を少し変える。唇を、ちょっとだけつり上げる。
「明日葉ちゃんを、取り返しに来たの?」
「えっ……」
「いつも、わたしのことを、怖い顔で見てるから」
それ、乃愛にも似たようなこと言われた。
「私……そんな顔してるんですか? 自覚は、まったくしてないんですけど……」
「冗談」
再び無表情に戻った先輩が、ホントに冗談で言っているのかはわからなかった。ここで先輩は黙ってしまった。気まずかったので、私は思いきって聞いた。
「先輩と明日葉は、どうして仲良くなったんですか?」
「気になる?」
「気に……なります。答えにくいなら、答えなくてもいいですけど」
「ううん。大丈夫、二人のそういうの、“好き”だから」
「好き?」
一つ一つを途切れ途切れに話す先輩の言葉は、抑揚や表情の変化を伴わなくとも、とても印象に残った。
「わたしが、漫画家を目指してるって言ったら、凄く興味を示してくれて、明日葉ちゃん、野球漫画が好きみたいだから」
「えっ、漫画家?」
「うん」
「凄いですね! ってことは先輩は絵が上手いんです?」
「そこそこ」
「絵、今度見てみたいです」
「わかった」
そこで先輩は私をじっと見る。なんだろうと思っていると、
「話、終わりだけど」
「そ、そうですか……」
噛み合わない。明日葉はこの人と、どんな感じの会話をしているのだろう。とりあえず、間を持たせようとする。
「私、漫画とか読まなくて。野球漫画、読んでみようかな」
「貸してあげようか?」
「いいんですか?」
先輩は「うん」と短くうなずく。
「きっと、あなたとの、共通の話題が増えれば、明日葉ちゃんが喜ぶから。明日葉ちゃんは、あなたのことを話しているときが、一番楽しそう」
やっと明日葉がやってきた。先輩に、明日葉が私のことをどんな風に言っていたか聞きたかった。彼女は、私たちの元へやってくると、
「なんでいるの?」
と、仏頂面で言う。
「たまには本でも読もうかなと思って。なんかおすすめ教えて」
「前も教えたけど、未だに読んでないでしょ」
そう言いつつも、明日葉は棚から一冊の文庫本を取り出す。
「これ。絶対犯人の正体にビビるから」
なんとかの殺人っていうタイトルの本を渡される。ミステリーだろうか。
「ありがと。絶対読むから」
私は教室に戻ろうと、きびすを返した。星奈先輩が言った。
「ここにいても、いいよ」
「いや、なんだか安心できたんで、帰ります」
◇◇◇◇
数日後の練習前。私と明日葉は、星奈先輩に呼ばれた。なんでも、「二人に見せたいものがある」という。
先輩が私たちに見せたものは“絵”だった。絵が見てみたいという私の要望を、ちゃんと覚えていてくれた。
「わ……上手い」
スケッチブックに描かれていたのは、リアルな感じと目が大きな萌え絵(?)の中間な、二人の女の子の絵。綺麗めの顔をした、髪を後ろで一本にまとめた子、可愛い系のショートカットの子が、笑顔で描かれている。
「……もしかしてこれ、わたしたちですか?」
「そう」
明日葉の問いに、先輩は頷いた。びっくりして、再度、絵を見てみる。デフォルメはされているけど、絵は、確実に私たちの特徴を捉えている。自分がモデルだとわかると、絵が生々しく感じてきた。
「わたし、桜希といるとき、こんな顔してないですけど」
確かに明日葉は、私といるときに、この絵のような笑顔を見せない。
「そうですよ。私といるときの明日葉は、こんな、怖い顔してますから」
頭の上に両手の人差し指を立て、鬼のポーズをとってみる。当然、明日葉は怒った。
「そこまでじゃないでしょ!」
「冗談だって、冗談」
なんて私たちのやりとりで、星奈先輩は声を出して笑った。初めて、表情を崩した先輩を見て、ちょっとうれしく感じた。
◇◇◇◇
その日の夜、洛総の主将、嶋村さんからメッセージが来た。
“今日初めて渚が練習に参加した。ピッチングもバッティングもブランクを感じさせないぐらい凄かった。このままだと秋大会ではエースで四番かも。才能の違いを感じたわ。”




