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へたれショートとつんつんセカンド  作者: 夏を待つ人
三章 真夏の全国高等学校女子硬式野球選手権大会
31/101

29話 一回戦VS作凛学院④

「セーフ……セーフ!」


 首の皮一枚繋がった。一点差の最終回、ツーアウト、代打で登場の美羽先輩が見事に出塁し、試合はまだ続く。気まぐれだった野球の神様は、私たちに少しだけ微笑んだ。


 美羽先輩は塁上で白い歯を見せ、思いっきり腕を突き上げる。私はその姿をしっかりと目に焼き付け、一回深く息を吐き、左打席に立つ。


『一番ショート、青見さん』


 万雷の拍手と声援を背に受ける。吹奏楽部の音楽が奏で始められ、高揚を加速させていく。


 目の前に右手一本で立てたバット、それ越しにピッチャーの姿を定める。今永さんの表情は固い。


 バットを半円を描くように左肩へ持って行く。左手をバットに合流させる。右足を開く。ルーティンを終え、構える。


 右足でリズムをとりながら、投球を待つ。ここぞで右足を持ち上げ、始動する。初球、今永さんの右手から繰り出されたボールは、外に大きく外れたボール球となった。


 今永さんの投球数は100球を越えている。でも、球の勢いはまだまだ健在だ。


 二球目、


「ボール」


 チェンジアップがまたも外に逃げていく。あからさまなボール球二つに、違和感が浮かぶ。


 三球目はストレート。これも外へのボール。そして最後も、


「ボールフォア」


 一瞬、虚空を見つめ、呆然とした。打てる球が来なかった。拍子抜けだった。


 何も言わず、一塁へと歩く。明日葉と目が合って、頷き合う。また、祈るしかできなくなる。


『二番セカンド、関長さん』


 ツーアウト、一塁二塁。すべては明日葉に委ねられた。この夏初スタメンの一年生にとっては、荷が重すぎる場面。でも、きっと。


 今永さん、セットポジションからの第一投。外角低めいっぱいに投げ込まれたストレート。


「ストライク!」


 高らかと球審の声、それに続き、どよめきが起こる。ここへきて、最高の球だった。明日葉は手を出さなかった。


 敵もさるもの。やはり、まだまだ投球の内容に問題は無いように見える。私との打席だけが特別おかしかっただけ。つまり、勝負を避けたかっただけ。


 それはセオリー通りではない。私を歩かすことは同点のランナーを二塁に進め、逆転サヨナラのランナーを出塁させること。私と勝負をすることよりも、サヨナラ負けの可能性を高めてでも、明日葉との勝負を選んだこと。


 二球目、セットポジション。構えて、全然動かない。1、2、3、4秒、間が合わなかったのか、今永さんはプレートを外した。ふー、と息を漏らす声が観客席から届く。


 再び、場が仕切られる。拍手が起きる。球場全体が張りつめた雰囲気を加速させていく。


 決着は二球目、甘く入ったカットボール。明日葉は振る。磨き抜かれたスイングにさらわれた白球は、甲高い音を立て、勢いよく飛んでいく。


 私は走り出した。強く足を駆け、二塁に向かう。でも、終わりを見届け、やがてその足は止まった。


「アウト!」


 痛烈なライナーを、レフトがしっかりとグラブに収める。両手をつきあげ、相手の、歓喜の中心へと走っていく。その姿を、目で追う。


「ゲームセット!」


 最後の整列、対照的な表情の両チームが並ぶ。私は、「ありがとうございました」がうまく言えなかった。


◇◇◇◇


 第三試合が始まったみたいで、この球場外にも野球の音が届いてくる。でも、すべてを終えた私たちにとっては、どうでもいいことだった。


「そんな顔しないで」


 陽子先輩は言う。子供をあやす時みたいに優しく微笑んでいる。逆に私は、人様に見せられないぐらい、ぐちゃぐちゃな顔をしていると思う。


「あなたと短い時間だったけど一緒にプレイできて、ホント運が良かった。楽しかった。うん、それに、こんな夢の舞台でのプレイに連れて行ってもらえたし」


 試合後の千庄部員は予想外に明るかった。後輩部員たちはみんな悲痛な表情を浮かべていた。でも、とてもすっきりした感じの三年生たちの様子につられ、次第に明るさを取り戻していった。


「ホント、ありがとう」


 その優しさが、逆に、私を強く締めつけた。


「でも……」


「あなたの“涙”は何の涙?」


「えっ」


 問われている意味がすぐに咀嚼できなかった。“涙”の理由を訊かれていることにやがて気づいた。


「それは先輩たちが、これで終わりになっちゃったから……」


「私たち、じゃなくて、あなたは自分のために悔し涙を流すべきよ」


「自分のため……」


「そう。私たちはもう、こんなところまで来させてもらって悔いなんてない。だから、私たちのために泣かないで。でも、あなたはここで満足しちゃ駄目。

 あなたはもっと、高いところを目指すべき」


 今さっき自分たちの三年間が終わりを告げたというのに、先輩はとてもすっきりとした顔をしている。一語一語に感情を込めて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「新しいチームはあなたと関長ちゃん、二人で引っ張って。今日の涙を、悔しさを忘れず、次は、もっと高いところにいって。そうしてくれたら――それが一番、私たちにとっても嬉しいから」


 溢れ出る感情を抑えられず、私は先輩に飛び込んで、うわーんって泣いた。


「よしよし……最後ぐらい、先輩らしくしないとね」


 私より少し小さな先輩の体。頭を撫でてくれる右手。


「あと、関長ちゃんのこともよろしく頼むね。分かってるだろうけど、強い子だけど、繊細なところもあるから。あなたにあの子が必要なように、あの子にもあなたがきっと必要だから」


 どれぐらいそうしていたかわからない。やがて、くっついていた体は離れていく。


 それから他の三年生とも言葉を交わした。美羽先輩も、光先輩も、他の先輩たちも、みんなに「ありがとう」っていう感謝と「頑張って」っていう激励をもらった。私も何度も「頑張ります……」って言って、何度も泣きそうになった。


◇◇◇◇


 学校に帰り着いたのは、もう空が暗くなり始めた頃だった。


 ずっと明日葉のことが心配だった。私の精神も普通ではなかったし、帰りのバスでは寝てしまっていたから、全然話せていなかった。


 積もる話はまた後日と言うことになり、今日のところは女子野球部は解散となる。帰り際に、私は明日葉へ言った。


「ねえ、大丈夫……なの?」


 明日葉は、少しだけ微笑んでいった。


「なにが?」


 そして、「じゃあね」と言って駅への道を歩いていく。ずっと、普通に見えた。私と違って泣いてないし、先輩たちの言葉にもしっかりと対応していた。


 なんだか違和感がぐるぐるしている。乃愛と自転車を漕ぎ出した私だったけど、もやもやして何も話せなかった。


「心配なら、まだ間に合うよ」


 乃愛は突然、そう言った。


「一番悔しいのは、明日葉ちゃんだろうから」


 最後のバッターで、チャンスで打てなくて、決してあらわにはしないけど、明日葉が一番悔しい。


「……間に合うかな」


 スマホを取り出す。指を動かして、メッセージを打つ。“行くから駅で待ってて”。


「ごめん。先帰ってて」


 とにかく急いだ。馬みたいに足を回して、ペダルを漕いで、一秒でも早くたどり着きたかった。


 彼女が待っている保証は無かった。私のメッセージを見逃して、すでに列車に乗車済みの可能性はある。でも、私が駅にたどり着いたとき、ちゃんとそこにいた。


 明日葉は、冷ややかな静寂が支配する駅の待合室で一人、顔を伏せ、座っていた。はあはあと息を切らせた私が空間に足を踏み入れると、ふと顔を上げた。ふわっと、重力がないみたいに自然に私のもとにやってきて、胸に飛び込んだ。


「何しに来たの?」


 そのゼロ距離での質問は、すでに、私たちには不要なはずだった。明日葉はもう一個、問いを追加した。


「何でそんなに、わたしのことを、わかってくれるの?」


 静かな空間に、声がしっとりと響く。私はさらさらとした明日葉の髪を撫でた。


「だって、好きだもの」


 明日葉は密着を解いて、呟いた。


「嫌なやつ……」


 待合室には、若い人たちがちらほらいるだけで、彼らは私たちのハグをちらちら見ていた。


 私たちは椅子に腰掛けた。明日葉は、振り絞るように言葉を作り出した。


「ずっと苦しかった。人生で、こんなにみんなに期待されたことなかったから……戸惑ったけど嬉しくて、頑張りたかった。でも、最後ああいう風に終わってしまったから……」


 明日葉の話を聞く。その手を、ギュッと握って。


「先輩たちに申し訳なかった。特に藤田先輩には」


 明日葉が今日守ったセカンドは、藤田先輩こと美羽先輩のずっと守ってきたポジションだった。


「それと、桜希の期待に応えられなかったのも」


「私?」


 私の疑問符を無視して、明日葉は続ける。


「こんな気持ちになったことないから、対処法がわかんない。以前のわたしだったら、こんな思いしなくて済んだのに。あんたのせいだ」


「えっ?」


「あんたのその、感情を馬鹿みたいに大っぴらにする感じに影響されて、わたしはおかしくなったんだ。人と関わるのが、なんというか、あんま嫌いじゃなくなって。今みたいに……人になぐさめられて、嬉しいって感じるなんて、もう、馬鹿みたい」


 明日葉は顔を両手で覆った。確かに、最近の明日葉は変わってきていると感じる。花火の時とか、可愛すぎて違和感を覚えるほどだった。


「でも。それって、いいことなんじゃないの」


「……いいことかはわかんないけど、別に……今のおかしなわたしだって嫌いではない……し。もっと、素直にものを言えたら、って思う」


 ポツリポツリと待合室から人が消えていく。次の列車がもうすぐ到着するという旨のアナウンスが鳴る。明日葉はそれに乗らないといけない。


「“行くから”ってメッセージを見たときは、苦しくて、どうしたらいいか分かんなかったから、うれ……しかった……ありがと」


 明日葉の、だんだん小さくなっていく声だったけど、最後までちゃんと聞こえた。


「お礼というか、対価に、なにかわたしに要求して」


「別にいいのに」


「いつも言ってるでしょ、借りを作るのが嫌なの」


「うーん」


 私はいいことを思いついた。


「そうね。ホントは早く帰ってご飯食べて寝たかったけど。あなたのために必死に自転車漕いでやってきたんだから、それ相応のことはしてもらわないと」


「なによ……急に」


 困惑している彼女に向け、私は言った。


「私に、“好き”って言って」


「は?」


 明日葉はひどく面食らった顔をして、そして、急速に顔を沸騰させた。


「な、なに言ってんのよ!」


 病んでいる人みたいなことを言っている私は、きっと、もう手遅れだ。


「だいたい、なんでわたしがあんたのことを好きだって前提なのよ」


「別に本心はどっちでもいいの。ただ、言ってみて欲しいだけ」


 頬を掻いてみる。勢いで切り出してはみたものの、さすがに恥ずかしくもある。


「そういうところが、嫌だって言ってるのに……」


 明日葉はちらっと私の瞳をのぞき込んだ。そうした後、言った。


「じゃあ、言うだけなら……」


 ゴクリと唾を飲んだ。心臓がドクンドクンと加速していく。その瞬間を待った。でも、変な音が駅の中に響いて、私たちの邪魔をした。


『まもなく二番乗り場に――』


 私たちは、二人ともアナウンスにビクンとなった。で、慌てて目を逸らした。


「もう、馬鹿馬鹿しい!」


 明日葉は急いで立ち上がった。そして、背を向けたまま、


「いつか言うから、待ってて」


 そう言い残し、明日葉は慌てて走っていった。


 私は駅を出る。自転車を取りに行く。辺りはもう暗かった。どれぐらい話していたのだろうと思った。明日葉の乗る列車を見送る。窓越しに見える車両の風景に、一瞬だけその姿が写った。立ち止まり、車両が暗闇の中に消えていくまで、ずっと眺めていた。


 心臓がずっとバクバクとしていた。夕闇に染まる中での出来事。それが私たちの、最初の夏の終わりだった。

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[良い点] キャラが可愛いのにカッコよくて展開も熱くてとても面白かったです 応援してます
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