28話 一回戦VS作凛学院③
夏の暑さが時間が経つほど厳しさを増す。昼過ぎに始まった試合は中盤から終盤へと向かっていく。
ここまで2-0と、千庄はいい感じに試合を運べている。五回の裏、千庄の攻撃は八番の日菜子先輩からだ。先輩の放った打球は、ショート前への弱いゴロ。飛んだコースが良く、内野安打となる。
ノーアウト一塁、打席にはラストバッターの未来先輩。当然、送りバントのサインが出る。しかし、未来先輩はバントを決めることができなかった。
一球、二球とバントをファウルとしてしまい、ツーストライクと追い込まれる。芹沢先生はバントのサインを解除した。結果、一球のボール球をはさみ、先輩は空振り三振に倒れた。
「ごめん!」
すれ違い様に先輩の言葉を聞き、私は今日三回目の打席に向かう。
一打席目は二塁打、二打席目は敬遠気味のフォアボール、ここまではいい感じだ。この打席はどういう風に攻めてくるだろうか。
初球、いきなりの決め球、チェンジアップだった。真っ直ぐ直進してきたボールが急速に失速し、キャッチャーのミットに吸い込まれる。
「ストライク」
二球目は目先を変えようとしたのか、高めのボール球のストレートだった。これでワンストライクワンボール。
やはり、最後はチェンジアップに頼るのでは、と考える。とすると、次はストレートかカットボールの可能性が高い。
速い球に標準を合わせる。三球目、その予想は裏切られ、ボールはその勢いを失いつつ、こちらに向かってくる。
チェンジアップだった。私は開こうとしていた右足に力を込め、スイングのタイミングをずらす。ギリギリまで我慢し、落ちていくボールを拾う。良い感触を得た。
いい感じに飛んでいったライナーの行き先は、ファーストの真正面。ファーストがライナーをキャッチして、一つ目のアウト。さらにファーストが一塁ベースを踏んだことで、二つ目のアウトをとられてしまう。
「げ……」
日菜子先輩は戻りきれなかった。紙一重のところ、抜けていればチャンスで明日葉以降に回せたのに、一気に状況は暗転し、攻守が入れ替わる。
◇◇◇◇
六回表の守り。
『一番センター、坂下さん』
相手の打順は一番から。前の回に不運で攻撃を終えてしまった千庄にとっては正念場である。光先輩、ノーワインドアップからの初球、
「ストライク」
光先輩はここまで完璧なピッチングを披露している。ここまでチャンスを作られたのは四回の一回だけ。それも私のエラーのせいなので、ノーピンチといってもいい。
「ストライク」
二つ目のストライクをとる。今日の先輩に死角は見あたらない。
「ボール」
一個のボールを挟む。このままの調子で、このまま完封勝利を飾って欲しい。そんなことを思った矢先だった。
鋭い快音を残し、打球はレフト前に落ちる。今日初めて、作凛の先頭バッターが塁に出る。
ノーアウト一塁、ランナーは俊足で打席には二番。盗塁、バント、エンドラン、あらゆる可能性を考慮しないといけない。
ただ、私の想定は無駄に終わった。バッターは小細工を凝らしてこなかった。初球を叩き、ライト前ヒット。ノーアウト一塁二塁、まさに試合の分水嶺を迎える。
「一個ずつ取っていこう!」
陽子先輩が一本指を立ててみんなに言う。ピンチを作られたがまだ二点差。最悪、一塁ランナーに帰られたってまだ同点だ。
『三番ピッチャー、今永さん』
カキン――そんな私の気持ちをあざ笑うかのように、今永さんの打った打球は、左中間を破っていった。ランナー二人が帰る二塁打となる。二球ボールが続いていった、三球目だった。
今永さんは一振りで試合を振り出しに戻した。ずっと鳴りを潜めていた作凛応援団が、水を得た魚のように急に活気を得だす。
私たちはタイムをとった。内野陣は顔をしかめ、マウンドに集める。
「さすが名門だわ」
陽子先輩が言った。始まって一時間ちょっと、ずっと私たちの流れで試合は進んでいったのに、それはたった数分でもとに戻された。
「OKOK、まだ同点。ここを抑えれば大丈夫でしょ」
光先輩が、明るく言った。みんながうなずいた。たとえそれが空元気でも、今の私たちにとってはとてもありがたい明るさだった。
「よし、こっから仕切り直し。集中していこう」
「はい!」
陽子先輩の言葉を最後に、私たちはポジションに戻っていく。それと同時に拍手が鳴る。一塁側の千庄応援団も活気を取り戻す。
試合は佳境。熱気と活気が渦巻く、まさに高校野球と言う雰囲気。
二塁ランナー、今永さんは試合中、ずっとポーカーフェイスだった。今さっきの同点打にも、あんまり喜ぶ素振りを見せない。
ただ、そんな相手のエースは、悔しそうに唇をかみ、
「あなたを、抑えられる気がしなかった」
と言った。おそらく、私への言葉だった。さらに、つぶやくように付け足した。
「さすが、“上橋沙音璃を倒した人”だけはある」
みんなが、私のことを“上橋沙音璃を倒した人”と言う。灼熱の暑さのせいか、そして逆転されたばかりだったせいか、私はなんだかイラッとした。
「私は、そんな名前じゃない……私には“青見桜希”って名前がちゃんとあります」
自分でもびっくりするぐらい、強く言えた。今永さんは「覚えとく」とだけ返した。
「プレイ!」
試合が再開する。同点となり、ノーアウト二塁。今永さんがホームに帰るかどうかで、なにもかもが変わっていく。私たちにとってはホントのホントに正念場だった。
打席には相手の四番、主砲の江守さん。彼女と光先輩の勝負は一球ごとに拍手が起きた。
初球、ストレートを外角低めに決め、ストライク。おそらくバッターは手を出せなかった。
二球目、外へのスライダー。バッターは手を出していき、ファウル。
追いこんだ三球目、バッテリーが選択したのは再びのストレート。外角低め、日菜子先輩の要求一ミリも違わぬ位置へ決まる。だが、
「ボール!」
球場からため息、安堵の息がたくさん溢れる。極限の勝負に、緊張が糸みたいに張っていく。
そして四球目、またしても、光先輩の正確な投球、今度は内角低めいっぱい、キャッチャーミットの構えられた位置へ、ズバリと決まる。
「ストライク! バッターアウト!」
「よっしゃー!」
光先輩は叫ぶ。今度はストライクとなり、三振。この回最初のアウトをとる。
「凄い……」
私は呟いた。このピンチで、今日最高の球だった。
さらに五番も打ち取る。四球目を打った五番の打球は、ピッチャーへのゴロとなった。
「ツーアウト!」
あと一つ、あと一個のアウトがあれば、同点止まりで回を終えれる。
『六番ファースト、清野さん』
このバッターの放った打球は、ピッチャーの足下を抜けていく。一瞬、“タイムリー”を覚悟した。
でも、明日葉が飛んで、目一杯左腕を伸ばし、ボールの進行を止める。瞬時に立ち上がり、一塁に投げる。ワンバウンドの正確かつ素早い送球が、一塁にたどり着く。でも、
「セーフ!」
一塁審が両手を広げ、ため息と歓喜が対照的に両スタンドに流れる。
あと少しでチェンジ、それどころか、明日葉がセカンドじゃなければ、抜けてしまい、一点を取られてしまっていた。明日葉のファインプレーだった。
「惜しい、ナイスプレー!」
私の言葉を、明日葉は無視をした。アウトに出来なかったのが相当悔しいみたいだった。
それでも、このプレーを無駄にしてはいけない。ここで次の打者を打ち取れば、明日葉のおかげで0に抑えられたことになる。
でも、野球の神様はそんな私の願いを聞いてくれなかった。
続く七番の打球は、ふらふらと上がっていく。完全に打ち取った打球。でも、飛んだコースがすべてなのが野球。それはレフトと私の間に、無情にも落ちる。
歓喜に湧く作凛。この回の三点目は、勝ち越しとなる一点だった。
◇◇◇◇
六回表の千庄は、二番の明日葉から。明日葉は追い込まれてから粘ったけど、最後はサードへのゴロに倒れた。
戻ってきた明日葉は「くっそ……」と小さく漏らした。
「あと少しで、アウトに出来たのに……」
さっきのプレーをかなり気に病んでいる。あれをアウトに出来ていれば、三点目は無かったのに、と。
「明日葉のせいじゃない。あれはそもそも他の人じゃ追いつくことすらできなかった」
その擁護に、明日葉は強く私をにらむ。
「他の人とか関係ない! わたしが、アウトにできてれば、終わってたのに」
強い剣幕に、私はひるんだ。「でも……」とだけ言って、それっきり言葉が継げなかった。
三番の陽子先輩はセカンドゴロに倒れ、ツーアウト。
しかし、四番の麗先輩、さらに五番の光先輩が連続ヒットでつなぎ、同点、逆転のランナーが出た。
『六番センター、相庭さん』
一塁二塁のチャンス、すみれ先輩が右打席に入る。私たちは祈る。
最初の球はカットボール、すみれ先輩は打ちにいく。カーンと惨めな音。今永さんへ捧げられたような、ピッチャー足下へのゴロが転がる。今永さんは、送球までを丁寧に行った。
「アウト」
ずっとクールだった今永さんがガッツポーズをした。この回は、無得点で終わる。
◇◇◇◇
七回表はなんとか作凛を0に抑えた。点差は一点のまま、私たちの最後の攻撃は始まる。
最後かもしれない円陣を終えると、陽子先輩は私の腕をつかみ、呼び止めた。
「また、神様とあなたに祈るから」
“また”っていうのは、この前の、県の決勝のことを踏まえてのことだろう。あの時と今回の状況はとても似ている。2-3で負けている最終回、下位打線がつなげば、私の今日四回目の打席はやってくる。
この回の先頭は今日あまり良いところがない乃愛だ。あの時は乃愛のフォアボールで試合の流れは変わった。だけど、乃愛は初球を引っかけてしまい、ショートへのゴロに終わった。夏が終わるまで、あとアウト二つ。
『八番キャッチャー、弓削さん』
日菜子先輩の打席。ここで、芹沢先生は動く。
「美羽さん、九番のとこで代打いきましょう」
美羽先輩の出番がやってくる。先輩はなんとかこの試合までにボールを使った練習を再開することができていた。さっきまでダグアウト裏でバットを振り、出番を待っていた。
「まかせたよ。美羽」
陽子先輩が言う。それから先輩部員たち、特に三年生たちが美羽先輩に声をかけていった。先輩はそのどれもに「うん」と、うなずいた。そして、私と明日葉に向けて、力強く表情を作り、言った。
「二人に回すからね、準備、ちゃんとしててよ」
日菜子先輩がキャッチャーフライに倒れた。ツーアウト、ここで球場に響くウグイス嬢の声。
『バッター、前田さんに変わりまして、藤田さん。背番号4』
背番号4、美羽先輩が打席に入っていく。
「美羽先輩!」
私が叫ぶと、先輩はこっちを向いて、小さく首を縦に振った。
美羽先輩とはとても仲が良かった。ショートとセカンドで、一番と二番で、ずっと隣で数ヶ月間やってきた。先輩との記憶が走馬燈のように駆け抜けていく。終わりたくない。まだ。
そんな私の願いを、気まぐれな野球の神様は叶えてくれた。
美羽先輩は初球から打ちにいった。三遊間への打球、そんなにいい当たりじゃない。でも飛んだコースがいい。
ショートが捕って送球、美羽先輩は最後、身を投げるように頭から滑りこんでいった。一塁審の判定を待つ。時が止まる。静寂が走る。
「セーフ……セーフ!」




